[目次



 番外編

 静かな室内に、蝶番の軋む音が響く。反射的に入り口に目を向けたヒューイは、入ってきた男を認めて肩を竦めた。
「相変わらず早いですね」
 否定とも肯定ともつかぬ表情で頷いた男はカイ・リーデル。出入りの激しい業界の中で、最も貴重な中堅の組合員だ。仕事ぶりはごく真面目、依頼達成率にも文句はない。客からの反応は可もなく不可もなし。要は無難なオールラウンダー、仕事の割り振りに頭を悩ます事務にとってもありがたい人材である。
 何故か人里に出没する――但し襲いもしなければ飼われもしない――大型肉食獣というのがヒューイの彼に対する印象だ。
「誰もいないな」
 そんなカイの呟きに、受付カウンターにいる事務のオーソンが苦笑したようだった。それほどまでに珍しく閑散としている。時間と言えば昼過ぎ、天気と見れば朝からの雨、確かに状況は悪いが、それでも通常であればひとりふたりと客がいるものだ。
 首を傾げるカイに、ヒューイは表を指し示した。
「河を越えた隣町で、大規模なイベントやってるでしょう。あれの警備やらちょっとした依頼やらに皆飛びついたんですよ。報酬の割もいいですし、時間が余れば遊べますし」
「ああ、そういえば、あいつ、そう言ってたな」
「あいつ? 誰かは知らんが、知り合いが行ってるならカイも行ってみたらどうだ?」
 問うたのはオーソンである。依頼や報酬の一覧を捲りながら、話も聞いていたらしい。
「朝は入場制限まであったらしいぜ?」
「興味ないな」
 くだらない、というようにカイは首を横に振った。娯楽の少ない一般市民がこぞって向かうほどのイベントも、彼にかかっては遊戯のひとつとなるのだろう。確かに大道芸を見歩いたり、遊覧船に乗って観光したり、素人玄人入り交じった芝居をみたりと、そんな遊びに興じている彼はあまり想像できなかった。そう言った面では、彼は極めてノリが悪い。
 くじを引き負けての仕事がなければ行きたかった、という程度に平均的な思考のヒューイとしては、行けるのに行かない立場というのはどうにも贅沢に映る。
「だからつきあっても長続きしないんですよ」
 ぼそっとした呟きは、しかしカイの耳に勢いよく飛び込んだようだった。依頼終了証明書をオーソンに渡しながら、捕食者の笑みをヒューイに向ける。
「『長続き』にすら至らない奴に言われたくないな」
「……ひどっ!」
 批難は口にするが、残念なことに反論の余地がない。
 カイはといえば、人を嗤えるくらいには女性遍歴がある。付き合いの深さはともかくとして、期間で言えばひと月とまともに持たないあたり、そうと言って良いものかどうかの疑問はあるが、それなりに恋愛対象にされていることは確かだろう。
「この間の女、なんつったけ、美人だったろ。あれ、どうなったんだ?」
「この間? いつの話だ?」
 オーソンとカイの会話に、ヒューイは心が折れる音を聞いた。何かが間違っていると、声を大にして言いたい。
 だいたい、と思う。
 しがない案内役と格好いい場面を見せることの出来る護衛、どちらに分があるかは火を見るよりも明らかだ。窮地を救ってくれたという感情が恋のそれに変わることは珍しくはない。
「カイは仕事中はマメだからな」
「普段はそうじゃないような言い方だな」
「「その通りだろうが」」
 ヒューイとオーソンの声が被る。二方向から責められて、カイは苦笑したようだった。
「仕事があるのに、くだらん用事に構ってられるか」
「『仕事と私とどっちが大事なの』って聞かれたことないか?」
「だいたいの奴はそう言うな」
 当たり、と言いたげにカイは肩を竦めた。
「仕事と女は同一線上にはないだろ。比べてる時点でもう理解できない」
「……まぁ、それについては同感だが」
 そう聞きたくなる状態にある時点で、彼との付き合いの中に愛情はないと察するべきだろう。同等以上の思いがあるなら、そも、そんな状況に陥ることはない。
(ようするに執着心が少ないんだよなー……)
 前の仕事を引きずることのないその性格は、たしかにこの仕事には向いていると思う。だが、仕事中と仕事が終わった後の彼の対応のギャップに、大概の者は驚きを禁じ得ないだろう。そこそこに付き合いの長いヒューイでさえ、彼は「依頼人」という役の者以外は眼中にないのではないか、と勘ぐりたくなるときがある。
 そこまで考えて、ヒューイはふとある人物に思い至った。
「シドラ人のあの子は? けなげに二回も依頼してくれたじゃないですか」
「……ああ」
「へぇ、そんな子いるんだ」
「二回とも、正式に受付を通さずに裏から回しましたからねー。もう二十歳過ぎましたけど、美人って言うより可愛い子かな」
「へぇー……」
「あいつの話はするな」
 額を押さえ、カイが呻く。珍しい様子に何事か、とオーソンは瞬いてヒューイに説明を求める視線を送った。
「なんていうか、まぁ、いろいろあるんですよ」
「だから、いろいろって」
「二ヶ月前、ふたつほど離れた村で崖崩れがあったでしょう。あの時カイも別件でそちらの方に居たんですが、臨時要請で救援に向かったらその子もいた、とか、そういう妙な縁のある子なんですよ」
 件の女性がカイと出会ったのは、もう二年も前の話になる。厄介な依頼をどういうわけかカイが引き受け、予想通り最大級に厄介な事件に巻き込まれてどうにか帰還したのが最初だ。
 次はその数ヶ月後、とある団体の護衛団のひとりとしてカイが参加したとき、偶然彼女がその団体の中にいた。曰く、保護一家の娘の目付役として無理矢理同行させられたということだが、これまた酷い旅となった。到着予定地の村近くで山火事がおこり、当然のように足止めを食らった挙げ句、あわや延焼というギリギリのところで逃げることに成功したという経緯だ。余談だが、このときの働きで、護衛団として任務を受けていた全員がランクをひとつ上げている。
 その後はしばらく空いて半年ほど前、無事成人して戸籍を得た彼女が、再びカイに依頼してシドラ地区へ向かったときも散々だった。主立った街道に走るようになった乗合馬車の馬が突然急死し、荒野の真ん中で立ち往生した挙げ句、軍に追われて逃げてきた賊の残党の人質となり、どうにか殲滅したはいいが山の中で獣の集団に遭遇し、となかなかに激しい旅となったとの報告が上がっている。
 そこまで思い出し、ヒューイは眉間に皺を寄せた。
「……なんか、呪われてません?」
「言うな」
 カイもそう、思っているということだろう。行く先々でトラブルに見舞われる。今のところ旅自体数少ないとはいえ100パーセントの発生率だ。
「組み合わせが悪い? それとも彼女単体?」
 カイひとりで行動しているときは別段何も起こらない。となれば、原因、もしくは誘発物質は彼女の方にある。
 そう問えば、カイは即答を避けるように顔を背けた。あまり考えたくないといったところだろう。彼さえも辟易させるほどのトラブルメーカー、しかも回避不可能。正直、あまり関わり合いにはなりたくない。
(……いや、関わっちゃってるかなぁ)
 少なくとも顔見知りの域には入っている。
 乾いた笑みを浮かべつつ、ヒューイは書類へと視線を戻した。
「もしかして、今日のイベントの情報源って、あの子ですか?」
「そうだ」
「まぁ、今日はさすがに旅行ってわけじゃないですし――」
「誰かいるか!?」
 語尾をかき消す勢いで、扉が乱暴に開けられる。
「救援頼む!」
「え!?」
 受付で、オーソンがガタリと椅子を鳴らす。
「河の水が溢れた! 上流でせき止められてたのが流れたらしい!」
「被害は!?」
「河の近くにいたのが流されたっぽい。軍も動いてるからだいたい救助されたみたいだが、遊覧船が丁度河の真ん中で座礁してる」
「何か必要なものは?」
 入ってきた組合員が、次々と救援物資を羅列する。主には衣類、そしてイベント会場から引き上げるための輸送手段の要請だ。
 彼らには慣れたやり取りを手短に終え、ヒューイは待合所へと顔を向けた。
「カイ、頼み――……あれ?」
 そこにいたはずの男の姿が、忽然と消えている。
「もう行ったぜ?」
 オーソンが、笑い含みに外を指し示した。
「『救援頼む』の『救』の段階で飛び出してった」
 彼の中では、悪い「予感」ですらないのだろう。彼女のいるところで何かあったのなら、必ず彼女はその渦中にいる。それくらいの直結思考だ。
「……あらら」
「そんなに心配なら、捕まえときゃいいのにねぇ」
 それはさすがにちょっと違う。違うが、それぐらいの相手がいてもいいんじゃないかとヒューイは思う。
「でもまぁ、ああいう男は――」
 言いかけ、微妙なところで言葉を止めれば、オーソンはにやりと笑って首を傾けた。
 そうして、同時に口を開く。

「「振り回されるくらいで丁度良いんだろう」ね」




[目次