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(番外編 3) 『白』の脅威

時間軸:本編開始以前




「……あれが、新しい『白』か」
 会議室の中央、高官たちに囲まれて議決した内容を詰める白髪の女に、男は嘲りを込めた視線を向けた。
「まだ小娘だな」
「そうですな。いくら素質として賢なる『白』とはいえ、まだ荷が重いことでしょう」
「早速、周囲の状況を省みない議案など出してきましたしな」
 周辺に、それに追従するような低い哄笑がおこる。
「まぁ、まだ何ごとにも疎い様子。我々がご教育さしあげれば、ものの道理もわきまえるようになりましょう」
「『黒』に手を焼くようになるのも時間の問題でしょう」
「然様、然様。しかし、結界能力だけは貴重ですからな」
「いらぬ苦労をされることもあるまいて」
「然り、然り」
 手を打ち、愛想のように頷くのは取り巻きの官吏である。およそ良識のある者は眉を顰め、計算高くも炯眼を有する者は、巻き込まれぬようにと場を離れている、その現実に気付いてもいないのだろう。
 自制力の乏しいままに肥やした顎の肉を撫で、男は侮蔑にも似た視線を新しい国王に向けた。
「……おや、相談事が終わったようだ」
 件の『白』が壇上に上がっていくのを認め、男は鼻を鳴らす。さすがに、真っ向から反抗する姿勢を見せる気はない。表向き従順な態度で、裏からかき乱す、それが彼の好むところだった。
 全員が着席するのを待って、『白』が決定事項を読み上げる。およそ無難な内容、そも、特に反対意見が出るような議題ではない。
 よどみない口調のまま言い終え、『白』は最後に大きく咳払いをした。
「さて、議題は全て消化し終えたわけだが」
 区切り、おもむろに全員を目で一巡する。
「ひとつ、付け加えることがある」
 打って変わった重々しい口調に、辺りはしんと静まりかえった。
「私の結界能力を持ってすれば、国中の危険や不穏を即座に感知することが出来る。つまり、端的に言えば、何日も続けて、お前たちを監視することが出来ると言うことだ」
「そ、それは……」
「勿論、そんな無粋な真似をする気はない」
 言い切った『白』に数人がほっと胸をなで下ろす。反応は同じでも、内心の感情はおそらくはふたつに分かれるだろう。ひとつは勿論のこと、やましい事柄を抱えている者の反応で、もうひとつは情報統制や言論・行動の自由を妨げになると、国の方針を危ぶんだ者たちである。
 至極まともな、良識在る反応に気付いたか、『白』は僅かに笑みを深めたようだった。だが、次の瞬間には再びしかつめらしい顔に戻り、会場を見回してゆっくりと口を開く。
「ただ、私の統治能力を疑うのは構わないが、裏でこそこそとよからぬ企みをされても困るのだ。どうせ文句があるのなら、直接言ってもらいたい。それを罪に問うことはしないし、職務に支障を来すような措置など取ることはない」
 真摯な姿勢に頷いた者も多かったが、端の方からは失笑が忍び漏れている。正面向かって言われることが全てと捉えるような子供の、何とも単純な発想と依頼だと思ったようだ。事実、そんな言葉だけで裏の陰謀が消え去るわけもない。全ての者が望み通りの未来を得ることが出来ない以上、不満不服はどこにでも根を生やし、地下茎のように見えないところで成長を続けているものだ。
「そこで」
 嘲笑の微粒子が漂う中を、気にした様子もなく『白』は言葉を続けた。
「悪いが、ひとつ、細工をさせてもらった」
「細工……ですか」
「そうだ。隠すことでもないので言っておこうと思ってな」
 国王補佐の訝しげな視線を受け、『白』はごく真面目な顔で頷いた。
「秘密の会合を持ち、よからぬことを企む集会を開いている間――」
 重々しい声に、ごくり、と複数人が唾を飲み込んだようだった。
「話す者全ての語尾に”にゃ”とついてしまうようにした。また、ナ行の言葉も変化するので、覚えておくように」
 以上、と『白』が手を叩く。むろん、解散を示唆する行動だが、それに従う者はごく少数だった。
 多くの者は何度も瞬き、言葉を反芻し、更に反芻し、もう一度反芻して、最後に疑問符を浮かべた。

 ……”にゃ”?

 *

 所変わって、王城に近い一級の市街地。夜の闇に紛れて、屋敷の裏口から数人の男が中へと足を踏み入れた。
「これはどうも、遅くなりまして」
「いえいえ、お越し頂いて恐縮です」
 表面上和やかな言葉が室内を空々しく滑り、快適な温度に保たれているはずの場に乾いた風が吹く。
「皆様おそろいで」
「遅れるような愚鈍な者を、集めなさるわけなかろう」
「お声を掛けていただいただけでも、充分に身に余る光栄で……」
「いや、結構、結構」
 それぞれが豪奢な椅子に腰をかけたのを見計らい、屋敷の主人であり、会合の主宰がおもむろに手を上げる。それはいつもの開始の合図だった。
「皆々、よろしいか?」
 一同は揃って首肯する。
「早速、……現在にょ体制だがにゃ」
「……?」
「……? 国王の交替があったばかりで、当座、部署にょ……移動にゃ……どはにゃいよ……うだが、かにぇてよりの計画通りにゃはいかにゃ……いだろうにゃ……?」
「……。あにょ、語尾がおかしいようですにゃ、にゃ!?」
「みにゃ、にゃにを、にゃにを言って、……!?」
「これはもしかして、『白』にょ言っていたにゃ……!」
 ほぼ全員が同時に血の気を無くす。それまで子供の戯れ、もしくは牽制に近いものだと思っていたのだ。
 確かに、『白』の圧倒的な結界能力を持ってすれば、一部の言葉を勝手に変換させる結界を張り巡らせることは充分に可能だ。肉体を拘束されたわけでも、精神的に思惑に反した思考を強いられるわけでもないのだ。単純な縛りしか存在しない結界なら、まだ若い『白』は何ヶ月にもわたってそれを維持することが出来るだろう。
「し、しかし、言葉が変わるだけで、にゃい容をにゅすみ聞かれているわけでもにゃいですしにゃ……」
「そ、そうですにゃ。これしきにょ悪戯、聞きにゃがしてしまえばすむ話ですしにゃ、……」
「……」
「……」
 薄暗い室内に、更にどんよりとした空気が立ちこめる。
 いい年をした男が集まって、萌えネタのような言葉で会話する、それは思ったよりも精神的ダメージが強かった。可愛くもない、強いて言うまでもなく気持ちが悪い。一番の問題は、陰謀に必須とも言える化かし合いや腹の探り合いに、本来あるべき緊迫感が全くなくなってしまうことだろう。
 男たちの沈黙は長かった。それぞれの思惑とあまりに苦痛な現状の間で揺れ動いていたこと、想像に難くない。
 やがて、最も年配の男が深々と息を吐き出した。
「……様子を見るしかありませんにゃ」
「……そうですにゃ」
「ですにゃ」
 ひとつ言葉を吐く毎に、体力が著しく損なわれていく錯覚を受けるのは、気のせいではないだろう。
 果たして男たちは会合を断念し、とぼとぼと屋敷を去っていった。悄然と肩を落とした後ろ姿が痛々しい。
 そうして、――それら全てを物陰に隠れて見聞きしていた人物もまた、苦笑いを浮かべながらその場を去っていった。

 *

 国王の居室に、子供の笑い声が響いている。
「……また、ジルギールを連れてきたのですか?」
 呆れたように呟けば、エルダは事も無げに短く頷いた。
「朝、侍女たちが騒がないように、明け方には戻しておいてくださいよ」
「冷たい奴だな。こんな小さな子を、夜にひとりにしておくわけにはいかないだろう」
「姉さんが私に用を言いつけなければ、ひとりにはしませんでしたよ」
 軽い脱力感を覚えながら、レオットは姉に釘を刺す。いくら手持ちの駒が少ないとは言え、本来肉体労働に向いていない自分に、よりによって諜報の真似事をさせるのは、今後控えてもらいたいところである。
 半ば文句に近い報告をすれば、エルダは案の定、労いとともに可笑しそうに肩を震わせた。
「笑い事じゃありませんよ。気持ち悪いこと、この上ありませんでしたよ」
「それはそうだろう。でなければ、やった甲斐がない」
 言い、同意を求めるようにエルダはジルギールを見遣る。ふたりの会話を不思議そうに聞いていた2歳児は、その視線を受けて首を傾げたようだった。
 その様子に破顔し、否、親ばかだだもれの表情でエルダは子供をぎゅうぎゅうと抱きしめる。
「お前は本当に可愛いなー」
「むぎゅ」
「……潰れてますよ」
 普通であれば、これしきの圧迫で『黒』が苦しむことなどあり得ない。だが、『白』の結界の内にあり、通常の人間となんら変わりのない状態では、窒息死の恐れすら生じてくる。
 もがき、暴れるジルギールをようやくのように離したエルダは、涙目になっている彼を見つめ、何ごとか考えたようだった。
「姉さん……」
 嫌な予感が脳裏を過ぎるや、レオットは己の勘に従い声をかける。――むろん、それで止まるような女ではない。
「ジルギール」
「あい」
 健気にも丁寧に返事を返すジルギール。エルダは一度自分の鼻と口元を押さえ、ある種含みのある笑顔を持って要望を口にした。
「にゃ、と言ってみてくれ」
「……『にゃ』?」
 もともと目鼻立ちの整った子供だ。可愛い科白を口にしつつ小首を傾げるさまは、――脂ぎったオヤジどもとは正反対の破壊力があった。
「……!」
 感極まったように震え、獲物を捕らえる寸前の手つきになったエルダを、レオットは渾身の力を持って引き留める。
「溢れんばかりの愛情は判りました! 判りましたから、できれば早く、気持ち悪い方の語尾変換を解除して下さいよ!」
 まぎれもない懇願に何度か瞬き、次いでエルダは、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。

 
 それから数日後、妙にぐったりとした様子の者がエルダの手でリストアップされ、数ヶ月後にはその半数が王宮から去っていったとか行かなかったとか、――少なくとも公式記録には残されていない。


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