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(番外編 4)それぞれの夜

時間軸:本編14と同時間帯



 見下ろす城下町の灯りがぽつりぽつりと、闇の中に消えていく。人の営みと時間を目で確認しながら、国王は僅かに目を眇めた。
「ご気分でも……?」
 泣く子も黙る第一師団団長に、「顔色を窺わせる」ことが出来るのは自分だけだろうと思えば、自然、口の端が上に曲がる。訝しげなグエンに向けて手を横に振れば、彼はそれ以上の言及はしない。
「それで、準備は整っているのか?」
「疎漏なく。我が国の技術を持って必ず成功させて見せましょう」
「技術、か……」
 呟き、国王は嘆息した。
「グエン」
「はい」
「召喚術を禁術として、改めて法を整え、各国に持ちかける」
「それは……」
「『失黒』と成り得る者を召喚した、という見解が広まる前に、だ。こちらはそのようなことを意図して行ったわけではないが、結果を結びつける輩も多かろう。我々には事情があったとは言え、本来は許されることではない」
 これは、召喚された女に指摘されたことでもある。生命の召喚は禁術とはされているが、明確な罰則があるわけではない。それではおそらく、『黒』に対抗する手段を押さえておこうとする勢力が安易に真似をするだろう。
 召喚される相手に、その犠牲に見合うだけのものを返せるのかと。それとも、他の世界の生物はこの世界のそれよりも下等だと思っているのかと。そう言われれば国王に返す言葉はなかった。自覚としてなくとも、己の良いように立場や状況を押しつけて何も思わないのであれば見下しているのと同じだと言い、女は続けて、そんな者に国王となる資格はないと言い切った。
 女の言葉には、無論逆説も存在する。それは国王という立場のひとつであるが、全てではない。だが、彼女に犠牲だけを与え続けていた現実が、国王に反論を封じさせた。
「よろしいので?」
 事情を知らぬ国からはあれこれと勘ぐられることも必至だろう。そうまでする必要があるのかと問うグエンに、国王は目を細めて頷いた。
「よい。新しい時代を切り開くのはいつも、その時点では無謀とされる試みとは言え、そしてそれが無数の失敗の上に成り立つとは言え、行ったことの結果を省みぬ理由にはならぬ」
 言い、国王は、再び街の方へと目を落とした。

 *

「入りますわよ」
 返事を待つこともなく室内に顔を見せたクローナに向けて苦笑を返し、オルトは寝そべっていた長椅子から手を上げた。
「お兄様方は?」
「第一声がそれかよ」
「あら。オルトが居るのは判っていましたもの」
「へぇ?」
 胡乱気に促せば、クローナは僅かに得意げに胸を反らせた。『白』によって外交技術を叩き込まれた彼女は、比較的気心の知れた相手の前でのみ、年相応に――言ってみれば少し子供っぽいとも言える態度を取る。
「殿下が居りませんもの。アスカのところでしょう?」
「……あってるが、なんでそれで俺が居るってのに繋がんだよ」
「今日ばかりは、オルトは不適任だからですわ」
 皆まで言わせるなと言いたげな口調に、オルトは皮肉っぽく口の端を曲げた。判ったような口調はオルトの気に抵触する。だが、否定することは出来なかった。勿論、クローナが敢えて言わずにいた部分が図星だったからである。
 反論の言葉も思いつかず、オルトは拗ねたように彼女に背を向けた。
「不貞寝そのものですわね」
「うるせぇよ。お前こそ、何か用だったんじゃねぇのか?」
「あら、用がなくては来てはいけませんの?」
「そーいうわけじゃねぇが」
「……用がなくても、来たくなるときもありますわ」
 クローナらしからぬ弱い声にオルトは目を見開き、――そして何も言わず、彼女に手を伸ばした。

 *

 ひっそりと静まり返った通路に直接腰を下ろしたラギを見て、知らず、ユアンは口元に笑みを浮かべた。
「冷たくないですか?」
 何の前口上もない声かけに、しかしラギは驚いた様子もなくゆっくりと顔を上げた。既に消えなくなっている眉間の皺が、訝しげに溝を深める。
 どうしてここに、と問いたげな視線に曖昧な笑みを浮かべ、ユアンは手にしていた瓶を掲げて見せた。
「勤務中だ」
「まぁ、そう言わずに」
 もう片方の手に持っていたグラスを強引に押しつけ、ユアンはラギの横に行儀悪く胡座をかいた。
「素面じゃきついでしょう」
「……」
「真面目なのは構いませんが、疲れませんか?」
「余計なお世話だ」
「そうですね。では、理由を付けましょう」
 コルクを引き抜き、手酌で杯を満たしたユアンは、改まったようにラギの顔を覗き込む。
「あなたの意地と根性に」
 にやりと笑い、一気に酒を喉に落とす。そして深く息を吐けば、芳醇な匂いが呼気とともに辺りに拡散していった。
 今度こそはっきりと顔をしかめたラギは、彼らしくもなく苛立たしげに舌を打つ。
「どういうつもりだ?」
 険呑な声に肩を竦め、ユアンは二杯目をグラスに注ぐ。
「ユアン」
「……そのままの意味ですよ」
「ふざけているのか?」
「いいえ。本当に感服してるんですよ。――よくも、あの術に耐えたものだと思いましてね」
 目を細め、ユアンは意味もなくグラスを揺らせた。小さな波を作る琥珀色の液体に、呆れたようなラギの顔が映る。
「やはり、莫迦にしてるだろう」
「まさか。私もオルトも、あっさり術に負けてしまいましたからね。守って下さって、ありがとうございます。あんなとんでもない術に克てるあなたを尊敬します」
「よせ。単なる能力の特性だ。赤は防御に向いていない。緑は治癒特化だ。その点、青は術をバランス良く使える、最も術行使能力の高い色というだけだ。私の功績ではない」
「しかし、術に馴染みが深いということは、影響を受けやすいということでもありますよ? つまり、あの場で最も、あの術をまともに受けていたのはあなたです。それを凌駕したのは、あなた自身の精神力に他なりません」
「……精神力、か」
 低く嗤い、ラギは髪を掻き上げる。
「『黒』をもっとも恐れて、お前たちに迷惑をかけている私にそれを言うか?」
「青は術の影響を受けやすいと言いましたよ。『黒』の力を一番敏感に察知するのもあなたがた青です。これは仕方のないことでしょう」
 そういう意味では、比較的術力を甘受する能力に劣る赤のオルトが、ジルギールの周りで働いていることは極めて妥当だと言える。もっとも、彼や亡くなったラゼル・リオルドを見る限り、もともとの素質というよりも、慣れという年月の力業の割合の方が大きいのかもしれない。
 ユアンの言葉に頷いたラギはしかし、訝しげな様子を拭うこともなく、固い声のまま問いを返した。
「それで、何の用だ」
「いえ、単に、貧乏くじを引いてくれたあなたに激励をと」
「適任の間違いだろう。オルトにこの役は無理だ」
「――ですね」
 目を伏せ、ユアンは短く息を吐く。
 ジルギールとアスカの間で話されている内容、そして出される結論は、オルトには受け入れがたいことだろう。人を想う事に篤い、強いて言えばそこにあまりにも真っ直ぐで単純な彼は、ふたりが共にいることを願う。きっと彼は、駄目だとわかりつつも口を出してしまうに違いない。
 だからこそ、ラギは自らジルギールの伴にと手を上げ、オルトはそれを黙認した。ユアンは頷き、そして勝手に後を追った。
「……今日ばかりは、私の予想と違う内容の話であって欲しいと思いますよ」
 呟けば、ラギは僅かに目を細めたようだった。同意と否定、その両方が含まれた返答に、ユアンは宙を仰ぐ。
 静かな夜だ。静か過ぎて、それを埋めるようにどうしようもない思いが流れ込む。
「せめて、これが最後でなければ、と思ってしまいます」
 沈黙。だが、今度ははっきりと頷き、ラギもまた星の瞬く空へと目を向けた。


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