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(番外編 1) 奇跡

時間軸:本編開始以前〜本編終了後



 藍と灰の空から粉雪が舞う。おりしも吹き抜けた風に流された枯葉が頼りなく地に落ち、幽かな音を立てて石畳をくるくると踊り狂う。
「……本当に行くんですね」
 気遣うような声音もまた、寒さ故に震えている。だが、それだけだ。不安も緊張も、――そこに止める響きも咎める色もなかったのは、彼が彼女のしようとしていることを肯定している証拠だろう。
 馬上の女、エルダは心配性の弟をからかうように、にやりと笑ってみせた。
「なに、朝には戻る。戻ってくるときはふたりだ」
「どこから来るんですかね、その自信は」
「お前の占いを信じてるからさ」
 頼りない灯りの下、片目を瞑ってみせれば、弟はため息を吐いたようだった。嘘くさい、日頃エルダが彼に向かって口にしている言葉をそのまま返されたといった呈である。事実、エルダは占いに頼ることを良しとしない。信じないというよりも、努力し悩むことに重きを置いているからだ。
 だが、今回は事情が違う。判断を委ねたわけではない。探し人の行方を知るという、情報収集の過程をすっとばしただけである。
「まぁ、楽しみにしてろ」
 言うや、エルダは馬の首を叩く。従順に乗り手の意志に従った馬は、短く嘶き、石畳を強く蹴った。
 一国の国王が選び抜いた、その立場に恥じぬ勢いで街路を駆け抜ける。あっという間に小さくなった弟を一度だけ振り返り、すぐにエルダは深い闇の先を見つめた。

 *

 彼女たちが生まれたとき、各地には様々な瑞兆が現れたと言われている。おそろしく装飾過多な美辞麗句を連ねた「伝説」に最も懐疑的だったのは、他でもない、本人たち自身だった。
 何故なら彼女たちは、けして自分たちが良いものではないことを知っている。家族という括りの中に父があり母があり子がありと、その立場を位置づけられているのと同様、単に世界から『白』という一風変わった役割を与えられただけだと認識していた。子供心にもそうした冷めた目線を持たざるを得なかったのは、周囲があまりにも、実のない安寧な世界を彼女たちに求めすぎたためだろう。
 エルダとその双子の弟レオットは、そうした特殊な環境にあって共に成長した。否、従順に周囲の期待に応え続けたことが、最悪の事態を防いだというべきだろう。エルダの女王となるべき資質はもとより、レオットが長じて得た未来視の能力は、人々を驚かせ、尊き神の御技と謳われ、姉弟が共にいてもおかしくはない環境をつくりあげた。
 そんな人々の称賛を浴びながらも、奇跡などこの世にありはしない、とエルダは思っている。そう呼ばれるものがあるとするならば、それは、全ての必然と偶然が混じり合った上での幸運な結果でしかない。更に言えば偶然とは、人が動かねば成らぬもの故に、結局の所人の思う全ての結果は、人の心と行動の産物以外の何ものでもないのだろう。
 そもそも双子の『白』がこの世に生じたのが世界の恩寵であるというのなら、彼女等を産み落とした者達はなんであるのか。
 答えは「単なる人」だ。彼らが生まれ、出会わなければ何も起きなかった。『白』が生ずるまでの行程は全て通常の人の営みであり、そこに「奇跡」の要素はない。生まれる過程にしても、なんら特別な順序で成ったわけではない。母親は普通に妊娠し、運良く順調に経過し、ふたりを産み落とした。それだけだ。
 『白』がふたり生まれたのは単なる偶然。そこに意味などあるわけもない。人が己の都合で意味を見つけようとしているだけだ。
 ――と、そこでエルダは過去を振り返る。
 彼女も弟も、実を言えば両親の顔を知らなかった。生まれてすぐその吉兆故に然るべき場所に預けたと言われているが、本当のところはおそらく、強引に引き離されたといったところだろう。『白』と両親が会ってはならぬという法はない。過去、両親兄弟ともに王宮に住み着いた例の方が多いことを思えば、エルダたちの両親は彼女が特別な地位に昇ることを望んでいなかったことが想像される。
 家族というカテゴリに、理想にも似た憧憬を抱いているわけではない。ただ、彼らは今どうしているのだろう、と考えることがある。別れを余儀なくされた時点で、『白』は彼らを確実に不幸にした。けして『白』が全ての人類を幸福に導く聖人君子などではないという、確たる存在だ。
 世界への反証。それ故にエルダは、両親という見知らぬ者達に愛情を覚えたのかも知れない。

 *

 
「……ダムサじゃないか。どうしてこんな所に?」
「それはこちらの科白です」
 苦い顔で馬を走らせる男は、50を少し過ぎたばかりの官吏である。西方司令部所属の若手だが、何千もの人間が働くグライセラの組織の中で、エルダが名前を覚えている時点で将来は確約されていると言った方が良いだろう。
 諸外国の百戦錬磨の外交官を相手にするには些か経験不足が目立つ、といったところだが、分析力、洞察力は同年代の中では群を抜いて優れている。情報収集能力も侮りがたい。
 どこから漏れたのやら、とエルダはため息をついた。
「それで、止めるのか?」
「止まっていただけるので?」
「いや」
「……そうでしょうな」
「判ってもらえて何よりだ。しかし、どうして私が城を抜け出すと判ったのだ?」
「ここ数日、陛下を厩舎付近でお見かけすることが多々ありましたので、張っておりました」
「よく、今日だと判ったな」
「まさか。三晩になります」
「……」
 執念というべきだろうか。この寒空に待ち続ける根性に負けを認めて、エルダは器用に両手を上げた。だがむろん、馬足は緩めない。
「行き先も知っているのか?」
「存じません」
「……本当に、何のために待ち受けてたんだ、お前」
「陛下の能力は存じておりますが、さすがに護衛は必要かと思いまして。まだ若輩者ではございますが、盾程度にはなりましょう」
「誰かに言われた、……わけではなさそうだな」
 並走しながら、ダムサ・ヒューバックは寒さに強ばった顔を綻ばせる。他を出し抜いた形にはなったが、売名行為ではないだろう。エルダが他に知らせずに行動している時点で、この先何か誉れがあったとしてもそれが公表できるものではないことは、彼でなくとも判るはずだ。主君に恩を売るという見方もあるが、エルダが個人的な寵を国政に反映させるような愚者でないことは、官吏なら誰でも知っている。
(ただ心配して……ではなさそうだが)
 ヒューバックの真意を量りかね、エルダは眉根を寄せた。それを見て、男は可笑しそうに口の端を曲げる。


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