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「私は、アレン・ニードを存じております」
「!」
 出るとは思わなかった父の名に、エルダは手綱を強く握りしめる。嘆息にも似た息を吐き、ヒューバックは険呑な色を浮かべたエルダの目をじっと見つめた。
「……やはり、と申し上げておきましょうか」
「……」
「陛下がここしばらく、西方の動向を気になさっているのは、西方司令部でも噂となっておりました。ただ、北方国境が以前より落ち着いておりますので、その為に比重が西に偏ったとの見方をしておりますが」
「では何故、お前は気付いたのだ?」
「陛下が特に気になさっている地方やその変移を鑑みれば、その共通点は明らかです。ただ、その共通点を西方司令部の者は気付かなかった。いえ、私はたまたま陛下のご両親のことを存じておりましたので、気付けただけでしょう」
 卑下でも謙遜でもなく、ヒューバックは淡々と口にする。
「ところが、ここひと月ほど、陛下は西方に無関心なご様子でした。故に、近いうちに行動なさる、そう思っておりました」
「……そこまで、筒抜けとはな」
「ご無礼を。申し訳ございません」
 さすがに、主君の周辺を嗅ぎ回ったことには気まずさを覚えているのだろう。必要に迫られて、と言うには、事態そのものに切羽詰まった危機感が欠けている。
 エルダは別段、敵対国へ忍び込むなどといった算段をしていたわけではないのだ。自分の身辺だけに限局するなら、何者にも敵わない無敵の能力を持った国王が、自国内の治安の良い地域を散策する、言ってみればそれだけである。皆に隠れて、という部分に非はあれど、危険視するほどの事ではない。
「まぁ、隠し方が下手だった私の手落ちなのだがな」
 苦笑し、エルダは緩く頭振る。
「みっつ、聞くぞ。このことに気付いたのは、お前ひとりだな?」
「はい」
「次。誰にも言っていないな?」
「はい」
 短く、ヒューバックは生真面目に返事を返す。彼がエルダの質問に莫迦正直に答えているのは、無論、純然たる忠誠の賜、――ではない。それ以前の事の全てを、聞かれもしない内から語ったことと、根本を同じくする。
 『白』の結界能力。
 不可視かつ不可避のその力は、効果範囲内を全て支配下に置き、ありとあらゆる事象を可能にする。つまり、ヒューバックにどれだけ隠匿の気持ちが強かったとしても、エルダが結界を彼に向けて作ってしまえば全ての努力は無駄に帰す。「真実を語れ」と、結界の内に向かって命じるだけで、あらゆる嘘や誤魔化しは禁じられる。
 結界能力を使う気をおこさせないほどに上手く言いくるめてしまえば勝ちとも言えるが、今のヒューバックにそういった賭けに出る気はないようだった。
(結界という力があるだけで、危険を回避するか……)
 実際の所、エルダは結界能力を使うことを自制している。超常の力を行使して為した結果は、必ずどこかに歪みが生じる。そういった弊害を避けるために、エルダは敢えて常套手段を取ることが多いのだが、そうと知れ渡ってはいても、そういった力があるという事実に威嚇され、人は警戒を向けるのだ。
 相手の肚を読み、己を律して周囲を制する事を好むヒューバックたちは、強要という屈辱を嫌う。故に彼は、そういう状況に陥らないために真実を語る。
 厄介な思考回路だ。そう思い、エルダは肩を竦めた。
「では最後の質問だ。――お前は何故、私の両親を知っている?」
 奇跡の双子を産んだ、そういった通り一遍の認識ではないと判断し、エルダは緑の目を睨む。
 そこで初めて、ヒューバックは笑みを浮かべた。但し、自嘲の。
「――私は、彼らを辺境に放逐した街の者です」

 *

 両親の事を調べ始めたエルダは、すぐに小さな壁に突き当たった。則ち、「そのような人間は存在しない」という全てが抹消された事実に、である。
 『白』の奇跡をこの世にもたらした男女は、西方の街で華々しく語られ、そして長い歴史を経た伝説のように曖昧に消えていた。街、つまりはエルダたちの生まれた場所。出発点はそこに違いない。だが、普通はそこからどこかへ行くにしろ、某かの痕跡は残るはずなのだが、ある年を境にふつりと途絶えているのだ。
 奇跡を起こしたとして有頂天になり、好き放題下挙げ句街の者に恨まれて、なかったものにされた、というわけではないだろう。そうであれば街に成り上がりの象徴が残されているはずであるが、今はそこそこに繁栄した街は、何十年と変化した様子もなかった。せいぜい、奇跡の街として売れた名で、幾ばくかの修繕が積極的に行われた、といった程度である。
 そして街の者は、『白』を生み出した男女の話となると、急に伝聞調に語りを変えのだ。
(街、いや、地域ぐるみで何かを隠しているとしか思えない……)
 そうエルダが結論付けるまでには、数日とかからなかった。他に考えようもなかった、とも言える。
 それからエルダは、視察と称して街を巡り、国境の慢性的な小競り合いにも口を出し、何かにつけて西方へ赴き、少しずつ、情報を集めていった。公に人を使うわけにもいかないため、事は遅々として進まなかったが、さほど焦りもしなかったのは、それが今更のことだと自覚があったためだろう。
 そう、今更だ。
 両親を見つけたとしても、エルダにはなんら干渉する気はなかった。ただ、そういう存在をはっきりと認識したかった。ひとめ見て、今の彼らを知り、それだけで満足するはずだったのだ。
 だが、エルダの思惑からは外れ、ふたりの行方の調査は不穏な沼へと沈み落ちていく。
 年を経て認識が曖昧になった老婆が、それが罪とも知らずに言い漏らしたのだ。
 ”アレン・ニードとフラウ・ニードは、極めて能力の低い子供を産み、街から追い出されたのだ”と。一言で、エルダはある程度の事情を察した。
 大きすぎる奇跡で栄えた街は、同じ組み合わせにまたも奇跡を期待したのだろう。だがフラウ・ニードは白に近いほど薄い髪を持ち、しかし『白』ではない、将来に期待も抱けない弱い子供を産んだ。
 奇跡を為した者が、凡庸以下の事例の当事者であってはならない。そうして、勝手に盛り上がっていた街の者たちによって、「奇跡」を綻びのない「伝説」に昇華させるために結果ごとなかったものとされ、放逐されたのだろう。
 エルダは、――怒る気にもなれなかった。
 生まれ持った能力が全てではないとは言え、成長後の力の差は、如何なる努力によっても埋められない。それは長じて携わる仕事にも影響を及ぼし、力の差は貧富の差にほぼ比例する。つまりは、色の薄い髪を持つ者を蔑む風潮は、術力に決定的な越えられない壁が在る限り、消えはしないのだろう。
 苦い思いと共に両親が街を離れた時期と状況を把握して後は早かった。だがその早さは、期待と落胆の段差を高くする結果となる。
「……死んだ?」
 正確には、とうに死んでいた、というべきだろう。
 幾多の街、村を転々とし人から隠れ逃れるようにして続けた旅の果てに、ニード夫妻はあっけなく流行病でこの世を去った。共同墓地へ埋葬した者たちも、まさか着の身着のままで流れ着いた夫婦が、かつて栄光と称賛を滴るほどに浴びせられたふたりだったなどとは、思いもよらなかっただろう。


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