「それは、そうでしょう……」
「でも、暗い顔で同情されると、余計に困ります。大変ですよねぇ、うんうん、なんて言われても、じゃぁ立場を代わってもらえるかっていえばそうじゃない。もう、誰にもどうしようもないことなんですし、第一、ジルたちも戻れるように精一杯やってくれたんです。懇願しても戻してもらえなかったとか、脅されて残留を強いられたとかじゃないんですよ。本気で戻そうとしてくれたのに失敗したのなら、もう仕方ないって思いますよ」
腕を組み、飛鳥は口を尖らせた。一番気に病んでいたジルギールには、とうにその話題を禁止している、とのことである。
一拍間を空けて、飛鳥は再び口を開く。
「それに、ここに至るまでに、いくつも分岐点があったんですよね。どの方向に進みたいか、それを誰が選んだかっていうと私なんです」
思い出すように宙を見ながら、飛鳥は深々とため息を吐く。
「待ってればなんとかしてあげる、って言ってもらったのに付いていったのは私。隅っこで隠れていれば良かったのに、突っかかっていって、追い詰められる羽目になったのも私。還れなくなったのだって、私がセルリアの人に協力するのを拒んだためだし、なんて言うんですかね。結局、幾つもあった還る機会ってのをぶっ潰していったのは自分なんですよね」
苦笑。だが皮肉っぽい笑みとは正反対の、翳りない目を飛鳥はジルギールに向けた。全く話を聞いていないことを気付かれたのか、今ジルギールはエルダによって、半強制的に彼には判らないであろう装飾品の数々を品定めさせられている。硬派の彼には、どうにも理解しがたい世界だろう。
困惑という文字を顔面に貼り付けた彼を見て、飛鳥は耐えかねたように噴きだした。
「何て言うか、あれですよねぇ」
「?」
「全部捨てて、男と駆け落ちしちゃった感じです」
返答に詰まったレオットに目を戻し、飛鳥は悪戯っぽく片頬を歪めてみせた。
「女って、したたかなんですよ。手を取り合っていける人がいるなら、どこででも生きていけます。好きだった人たちにはもう会えないけど、今までで一番好きな人も出来たし、それにこれから、好きな人沢山作っていくからいいんです」
違いない。
思い、レオットは心から微笑み、――そして、ありがとうと呟いた。
*
いつの間に合流したのか、後ろに護衛を伴いながら、戻ってきたエルダの顔は、あまりにも蒼白だった。彼女の帰りを今か今かと待ちかまえていたはずのレオットでさえ、かける言葉を無くすほどに。
戸を閉め、暖房の効いた室内に導けば、外套を白く染めていた雪が、雫となってひとつ、ひとつとこぼれ落ちた。
「……レオット」
低い声が、不思議なほどに室内に響く。
「お前は、この結果を知っていたのか?」
何を、と思い、眉根を寄せる。そうして、エルダが”妹”の代わりに連れてきたものを見て瞠目した。
――『黒』。
エルダの抱える小さな生き物を見て、レオットは天を仰ぐ。
「レオット」
「……いえ、私は……」
否定は、本当のことだった。寂れた村にエルダの探している”妹”が生存していること、レオットの力ではそこまでしか判らなかったのだ。逆に言えば、その程度しか判らないのだ。
(……なんという)
家族を連れに行った『白』が『黒』を抱いて戻ってきた。それだけでレオットは、何があったのかをほぼ正確に把握した。
――知らなければ良かったのだろうか。自分の選んだ能力が、最も助けたいと思っていた人を追い詰めた。判らなければ判らないまま、いつか焦燥の気持ちが風化していくのを待った方が、或いはまだしも心は軽かったのかも知れない。
暗澹たる気持ちを抱えたまま、レオットはしかし、言う言葉を無くして目を床に落とす。
「レオット。……私と共に、戦ってくれ」
否も応も無かった。反射的に頷き、レオットは姉に向かい頭を垂れる。それを見つめ、幾分か目の力を緩めたエルダは、揺るぎない、しかし孤独な背中を彼に向けた。こんなときにも確かな足取りが、レオットには哀しかった。
窓を叩く風は強く、扉の隙間から雪がくるくると滑り込む。
珍しく積もりそうだ、とレオットは硝子窓の外を眺めた。
舞い落ちる雪が、冷えた心に深々と降り積もる。頑なに閉ざされた思いの底に、この先、何年も何十年もかけて更に白く。
いつの日か、頑なに底に眠る希望が、芽吹くことを祈りながら。
(了)
*盛り上がりに欠ける展開ですが、要するに、本編では語られなかった部分の補足です。