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(番外編2) 後日談

時間軸:本編終了後




「わぁお、広いねぇ」
 その家に足を踏み入れた飛鳥は、感心したように声を上げた。
「これ、ホントにジルがひとりで造ったの?」
「まぁね。暇だけはあるし。それに、土台はもともとあった建物のを使ったから、そう手間でもなかったよ。小物はさすがに買ってきたやつだけどな」
 特に自慢するでもなく答え、ジルギールは荷物をテーブルの上に置く。実際、彼にとっては難しいことではないのだろう。成人した男が数人がかりで組み上げる柱を持ち上げることも、危険な高所で屋根を組む作業も、『黒』の身体能力からすれば苦にもならない。そして周囲を見回せば深い森林、つまりは、材料にも事欠かないということだ。
「お邪魔しまーす」
 家主にではなく家に挨拶をする飛鳥を、ジルギールは可笑しそうに見遣る。
「……なによ、変?」
「いや、今日から住むってのに、他人行儀だなと思って」
「はじめの挨拶は重要でしょ」
 言い、飛鳥は改めて、我が家となる建物を眺め回した。
 王宮で一通りの世界常識や地理を習い終えた飛鳥のもとに、ジルギールの住処に移り住むようにとの厳命が下ったのは、一週間ほど前の事である。グライセラへ到着してからほぼひと月。能力上、『黒』と行動を共にすることが基本となる飛鳥が、いつまでも王宮にいるのは好ましくないと判断されたのだろう。王宮に詰める官吏としては、頻繁に訪れるようになってしまった『黒』を遠ざけておきたいといったところか。
 個人の荷物などないに等しい飛鳥のために、服から家具に至るまで手配され、ジルギールがそれを運び込んだのが昨日のこと。手伝いはむしろ邪魔とばかりに、ひとりで全てをこなした彼は、さほど疲れ様子もなく現在もあれこれと動き回っている。
「とりあえず、服とか小物とかは箱に入ったまま放置してるから、アスカが適当にバラしておいて」
「判った。部屋はどこ?」
「あっち。隣は俺の部屋。水回りはこの周辺で、倉庫とか貯蔵庫は向こう」
 基本、入ってすぐの台所兼居間を中心として、奥が洗面所等の共同スペース、左が倉庫、右に部屋といった単純な造りである。天井は高いがロフトなどはない。建物の外観から察するに、個室もここひと月の間に付け足されたのだろう。来客などあるわけもない『黒』の家に、敢えての寝室や客室があったとも思えない。居間の隅に空いている妙な空間は、もともとそこにジルギールの寝台などがあったと容易に想像させる。
 手間をかけさせてるなと思いながら、飛鳥は割り当てられた部屋の扉を開けた。
「……へぇ」
 日本人の感覚で言えば、ログハウスを売り物にしたペンションの個室、といったところか。おおよそ10畳ほどの空間に、ベッド、机、椅子などの基本的な必要品が配置されている。掛布やカーテンが若干乙女チックなのは、クローナの趣味に違いない。
 無造作に置かれた箱を開け、入っていた服や靴を仕舞い、仲良くなった女官や『白』の王からもらった――押しつけられたとも言う――小物を適当に配置すれば、あっという間に飛鳥の仕事は終わってしまった。地球でも実用品一辺倒だった彼女に、部屋をあれこれ装飾して楽しむ趣味はない。
 部屋を出て居間へ向かえば、ジルギールが丁度、勝手口から上がってくるところだった。
「なんか問題でもあった?」
「全然。終わったから、何か出来ることないかなと思って」
「じゃあ、庭の畑から、赤くなってる実を3、4個取ってきてくれる?」
「おっけー」
 入れ違いに勝手口から降り、想像より広い畑に、飛鳥は口笛を鳴らした。綺麗に整えられた畝に、鮮やかな緑が眩しい。どの実も大きく、虫食いひとつなく綺麗に熟していた。
 予備知識を総動員して適切な実をもぎ、飛鳥は横を走る川でそれを洗う。虫一匹、魚一尾いないのは、無論、この周辺には『黒』の気配が染みついているからである。不自然極まりないが、現代日本人らしく虫嫌いの飛鳥には、どちらかと言えば嬉しい特典だと言えよう。動物を飼えないという欠点もあるが、そちらはさほど興味はないので問題にはならない。
 余談ではあるが、セルリアから拝借してきた合成獣は、普段はグライセラ軍部の預かりとなっている。
「取ってきたよー」
 再び居間に戻れば、ジルギールは既に座り、茶を淹れて待ち受けていた。
「休憩?」
「いや、終わり。後は急いでやっても仕方ないことだから、生活しながら不便を見つけていった方が早いと思って」
「あー、それもそうだね」
 遠慮なく向かいの席に腰を下ろし、飛鳥はもいできた果実にナイフを入れる。
「そういや、表に鍵がないけど大丈夫なの?」
「……あのね、俺が居るのに誰が近づいてくるっての?」
「あ、そうか」
 あっさりと認めた飛鳥は、さすがにこの世界の仕組みについて自然に考えられるようになっている。自分がそれに完全に馴染もうとは思わないが、そういうものだと理解するようになっていた。
「ねぇ、基本、自給自足みたいだけど、足りないものとかはどうしてたの?」
 飛鳥は特殊能力を有するが、彼女自体から『黒』を感じることはない。つまり、髪さえ隠せば、人前に出ることも全く問題ではなく、現にそうして何回も街へ出かけている。だがジルギールの方は、日用品が足りなくなったからと言って、気軽に買いに行くわけにもいかないのだ。
「前は、オルトがそういう役だったんだよ」
「使いっ走り?」
「というか、俺が関わることに関しての調整役かな。そういった仲介をしたり、陛下との連絡役だったり、旅に出る際の手続きを取ったりとか。だからオルトは、役所の仕組みとかについては結構詳しいんだ」
「へぇ。……あれ? でもその割には、最近そんなに見かけないよね?」
「アスカが居るから、役目を解かれたんだよ」
「え!?」
「今は軍部に入ってる。もともと内政には向いてないって自分で言ってたし、今後どうするか聞かれて決めたみたいだ。ラギやユアン並に強いんだから、そっちの方が合ってるだろ」
「追い出しちゃったみたいだけど……」
「違う、違う。追い出すも何も、俺の側付きってのが一番酷い役目なんだから、解放されたっていうんだよ。それに、軍人になって資格を取れば、国王付きの護衛にもなれるだろ」
 ジルギールの含んだような笑みを見て、飛鳥は首を傾げた。そうして数秒後に思い当たることに破顔する。
「……結構一途だよねぇ」
「だよな」
「クローナも、もうちょっと素直になればいいのに」
 あれでは所謂ツンデレという、死語になりつつある萌え人種だ。たまにデレの方が人目憚らず出ているので、近くで見ている方にしてみれば、普通にいちゃつかれるよりもはるかにこっ恥ずかしい。
 言えば怒るだろうなと思いつつ、飛鳥は微妙に生暖かい表情のまま茶を啜った。


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