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「でもさ、軍部ってことはラギさんとかと一緒のところ?」
「配属は違うみたいだけどな。今は王都。そのうち、辺境巡りに出るだろ」
「辺境巡り?」
「軍の新人は一定の訓練を受けた後、少なくとも3年以上、必ず国境とかの、言ってみれば条件の悪いところに配属されるんだ。名前だけのお飾り兵士を減らすためにね」
「へぇ、大変そうだね」
「大変には違いないけど、王都で訓練ばっかりやってるより、危険区域で名を挙げる方が出世にも繋がるってメリットもある。現にユアンは、義務配属期間に結構規模の大きい戦いが始まってしまって、そこで異名がつけられるくらいに有名になった。――まぁ、そのせいで、王都に帰って来られなくなったってのもあるけど」
「あ、そうか、ユアンさんは今、北の国境に居るんだっけ?」
 頷いたジルギールを見て、飛鳥は短く息を吐いた。
 約2ヶ月の間、ほぼ毎日一緒にいた面子が、今は離ればなれになっている。当然と言えばそうに違いないが、知り合いの少ない飛鳥には、少々寂しいものがあった。
「――悪いな」
 真面目な声音に、飛鳥は顔を上げる。
「俺と居なくちゃならないから、気軽に出かけたりとか、自由に好きな場所に住んだりとかできなくて」
 目敏いなと思いつつ、飛鳥は緩く首を横に振った。あくまで、ジルギールは真摯である。皮肉や当てつけなどの含みは全くない。
 だからこそ、タチが悪いとも言う。
「そういうのは無し。ジルギールが気にすることは一切無いから」
「けどな」
「あのね、私は我慢できないことはちゃんと言う。押しつけられたルールにヘイコラ従うほど、大人しくないの。やりたいことに対しちゃ、ぐじぐじ我慢せずに、出来るようになるようにごねるの得意なんだから。だから、私が何も言わないうちは何にも不満に思ってないってこと! 判った?」
「は、はい」
「あと、私に対して、申し訳ないとか、辛い目に遭わせてしまったとか、はっきり言ってもうどうしようもないことをぐちゃぐちゃ言うのは禁止!」
「わ、判りました」
 妙に畏まるジルギールの態度は、エルダに追い詰められた時のレオットとそっくり同じであるのだが、むろん、飛鳥には知るよしもない。
「その、ごめん。もう言わない」
「判ればよろしい」
 鷹揚に頷いて、飛鳥はひとつ咳払いをした。
「まぁそんな感じで、遠慮やら不満やらを中に抱えてても仕方ないから、言いたいことはちゃんと言って話し合うってのは大事にしたいと思う」
「そうだな。そうする」
「……本当かなぁ? ジルは何だかんだ言って、なんでも自分でしようとするからさ。私に出来ることはちゃんと割り振っていってよ?」
 この世界における日常生活のことは、言うまでもなくジルギールの方が慣れている。頼りになるには違いないが、だからと言って、それに甘えてばかりもいられないというのが飛鳥の本音だ。
 ここひと月で、飛鳥の性格をおおよそ把握していたのだろう。ジルギールは笑いながら頷いた。
「勿論。むしろ、アスカにしか出来ないことの方が増えてくると思うから、存分に頼らせてもらう」
 オルトの代わりの任についたと同様と思えば、確かにその通りなのだろう。
「けど、前にも言ったと思うけど、俺はずっとひとりだったから、誰かの世話を焼くのが楽しい。だから、俺が率先してやることに関しては、大人しく世話焼かれておいてほしい」
「……うんまぁ、できるだけね」
 曖昧な返事になってしまったのは、顔が引き攣っていたからである。
 放っておいたら際限なく甘やかしてくるタイプだ、と飛鳥は要注意事項として頭に刻み込んだ。依存系の人間なら願ってもない相手だと言えるが、あいにくと飛鳥は、自立系に偏っている。ある程度の線引きはしていく必要があるだろう。
 話が微妙な流れになったことに気付き、飛鳥は気分を変えるように別の話題を口にした。
「あ、そうだ。水回りの使い方教えてくれる?」
 いささか強引と言わざるを得ないが、ジルギールの方も引きずる気はなかったらしく、あっさりと了承した。
「じゃあ、こっち来て。基本、火を使うもの以外は、いろいろ作って対応したんだけど……」
 

 こうして一日はあっという間に過ぎていき、巨大な樽風呂でのんびりと疲れを癒した飛鳥は、陽が落ちてすぐに自室に引きこもった。むろん、ジルギールも同様であり、わざわざ共同スペースに灯りを点けてまで、他にやることもなかったからである。
 そうしてそのまま、静かに夜が更けていく、……かと思いきや。

 
 ベッドに寝転がり、地理の本を眺めていた飛鳥は、控えめなノックの音に気付いて顔を上げた。
「何?」
「ちょっといい?」
 扉を開けずに声を掛けてくるということは、出てこいという意味だろう。別段未練もなく本を閉じた飛鳥は、掛け物を羽織って廊下へと顔を出した。
「どうしたの?」
「うん、まぁ、ちょっと……話しておこうかと思って」
「?」
 珍しく歯切れの悪い口調を訝しく思いながら、飛鳥はジルギールに付いて居間へと足を向けた。いつの間に点けたのか、ジルギールの術力が惜しみなく発揮され、現代日本の蛍光灯よりも自然な灯りに満ちている。王都の一般的な家でも、夕食の後には速やかに灯りが消されることを思えば、贅沢な環境と言えるだろう。
 もっとも、節約を口にする必要もないほど、ジルギールにとっては負担でもなんでもないことだ。
(……やっぱ、自分も術が使えるようにして! とか言っときゃ良かったかなー)
 『黒』の力を打ち消す、もしくは無害なものに変えて霧散させる特殊能力以外、飛鳥には何の術力もない。最低限の術力を誰しもが持ち合わせるこの世界では、何かと不便が生じるのだ。同じくそういう意味では無力と言えるレオットが、先に生活必需品――例えば火打ち石に似たものなどを作成していなければ、もっと困ったことになっていただろう。
 この時にはどうでもいいことを考えながら絨毯の上に腰を下ろした飛鳥は、妙に無口なジルギールが、飲み物を持って正面に座るのを待って口を開いた。
「で、何の話?」
「……ええと」
「?」
「……、いや、その」
 ぎこちなく固まったジルギールの周辺にだけ、妙な緊張感が漂っている。黒髪になってしまった飛鳥に、もう元の世界には還せないと、彼らの都合を口にしたときですら、ここまで固まってはいなかったように思う。
 何ごとかと思いつつも、飛鳥は根気強く言葉を待ち続けた。
「だから、……確認しておかなきゃと思って」
「何を?」
「その、俺は、誰かと住むのなんて初めてだし……」
「何か取り決めしておかなきゃいけないことがあるってこと?」
「取り決めっていうか、……、……」
 飛鳥から目を逸らし、ジルギールはもごもごと何か呟いている。
 愚痴の聞き役や第三者としての相談事を受けることには慣れている飛鳥も、自分に告げられることをいつまでも引き延ばしにされることは好まない。もともと短かった忍耐の緒が切れ、俯いたジルギールに、聞こえないとして大胆に身を寄せる。そうして顔を覗き込み、ははぁ、と飛鳥は内心で苦笑した。

 ――あり得ないほどに顔が紅い。

 初心だなぁと思い、奥手だなと改めて認識し、あれこれと考え、結局彼女は、
「だから、……ちょ、うわ、――アスカ!?」
 焦れったくなって、えい、とばかりにジルギールを押し倒した。



 そうして、泣く子も逃げる全生物の敵が悲鳴を上げた奇特な夜は、慎ましく沈黙を守ってしんしんと更けていった。
 だがこの日を思い出し、飛鳥が遠い目をするのは、……そう先の話ではない。


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