[]  [目次]  []



[影に生き] ゲイル
*時系列としては本編11後の話ですが、内容にその後のネタバレを含みます。本編を読み終わった後にお読み下さい。


 自分が影の人間である事は、幼少時からよく分かっていた。
 それを否定する気もなければ、疎んじる気もない。かと言って、教え込まれたからそう思うようになった、というわけではないように思う。


「……あの莫迦が」
 低い、威圧感を存分に含んだ声に煽られ、室内を朧に照らす蝋燭が幻のように揺れる。頼りない灯りに揺れる室内をなんとなしに眺めながら、ゲイル・ザッツヘルグは苦笑ともため息とも取れぬ息を吐き出した。
 地味豊かな土地、温暖な気候、そして大陸公路を東西にふたつ抱えるザッツヘルグ領、その頂点たる領主館の奥まった一室で、彼と、彼の血縁上の父は対峙している。贅を尽くした煌びやかな家具調度も今は闇に沈み、全てを呑み込むような重さだけが室内を支配していた。それはあたかも、キナケス国内にあってのザッツヘルグ家を象徴しているようで、――ゲイルは皮肉っぽい笑みが浮かび上がるのを抑えきれないでいる。
 苛立たしげに机を指で叩く父親、即ちザッツヘルグ公に注意を向けながらも、彼の感情がそれと同じに染まることはなかった。静かに、感情を伴わぬ表情のまま、続きを促すように口を開く。
「では、ザッツヘルグ公、今後の動きは如何なさいますか?」
「好き勝手させるのも、ここまでだな」
 冷たい声が、冷えた大気を震わせる。
「行って、殿下をお助けしろ」
「では、正式に、国王側に付くということを、表沙汰になさると?」
「もともと、奴らに与する気はない」
「――そうでしたね」
 頷き、ゲイルは目を細める。
 ならば何故、義兄であるツェルマークの愚行を見過ごしたのか。まともな返答など得られないことを承知で、ゲイルはその疑問を声に出して問い訊ねた。無論、単なる好奇心であって、それ以上でもそれ以下でもない。
 答えがなければそれはそれで構わない、そういった口調に反対に刺激されたのか、ザッツヘルグ公は僅かに表情を緩めて、口端を曲げた。
「逆に聞こう。お前なら、ツェルマークを好きにさせることはなかったか?」
「さて。――結果を知ってしまっていますから、なんとも」
「では、巻き戻して、マエントで暗殺事件の起こった頃で考えろ」
 難しいことを言う。そう思いながらもゲイルは、ひと月ほど前の状況を頭に浮かべて首を傾けた。
 外交官が殺害された時点で、ザッツヘルグ領としての動向は定まっていた。いくら国王の手足をもぐ目的があったとしても、国にとっての支えを消すことは明らかにやり過ぎだった。その行為を浅く分析するだけで、国に混乱の種をまいている一派が、この後の政治のことなど考えていないことが判る。
 正直、ツェルマークが、ほいほいと甘言に乗せられて、騒動に荷担していること自体がゲイルには耐え難い。だがしかし、自分なら彼を止めただろうかと言われれば、答えは否、であった。
「まぁ……、遊ばせますね」
 情報は、一方向からだけでは判断の材料にはならない。かと言って、ザッツヘルグの持つ影響力や注目度を考えれば、情報を得るためだけに深入りする事は、危険に過ぎる。そこで登場するのが、ツェルマークという、道化師だ。分かり易い彼の行動と言動を介すれば、国王に仇為す者達の動向を推測し、ある程度確かなところまで把握することも可能だろう。
 現にそうやってゲイルは、ツェルマークや一部の王宮魔法使いがフェルハーン殿下を罠に嵌めようと画策している場所と日を割り出して監視した。
「あの時点で止めたとしても、よりややこしい事態を引き起こしそうだということもありますが」
「その通りだ。もっとも、フェルハーン殿下も同じ考えのようだったがな」
「――その殿下から忠告を受けたとなれば、さすがにもう、放置して置いても良いことなどないでしょうね」
 話が初めの戻ったところで、ゲイルは短く息を吐いた。正直に言うならば、コートリアの砦で、フェルハーンとツェルマークがかちあう前に、収拾をつけておきたかった。
 一度失敗したからには、今度は、恩を売る機会を見誤るわけにはいかない。
「もう少し、ましな考えをもたせるべきだったな」
 苦々しい笑みを浮かべ、ザッツヘルグ公は闇の広がる窓の外へと目を向ける。領主館からは全く見ることの出来ない領境の街で起こったことは、誰の目にも明らかな失敗だった。冷静そうにみえるザッツヘルグ公の顔の下は、怒りが煮えたぎっているだろう。
 ある程度の被害は想定内だった。それが思った以上に拡大したのは、敵方の無差別加減を読み間違えていたからに他ならない。ルセンラーク村という無惨な結果を知っていたにも関わらず、実行者はあくまでツェルマークや、軽い考えで参加している王宮魔法使いであると、高をくくっていたのだ。
 これだけの損害を与えた者がツェルマークでなければ、ザッツヘルグ公はとうにその者を始末していただろう。思い、ゲイルは片方の頬を歪めた。
 ザッツヘルグ公に、息子はひとりである。ゲイルは、ザッツヘルグ公の手であり、足であり、腹心の部下ではあったが、けして息子ではない。それは、生まれ落ちた瞬間には決まっていた。
 一度手をつけただけの娘から生まれた妾腹の息子を、一応ザッツヘルグの一族であると認めたのは、義理でも憐れみでも、――勿論愛情でもない。正しく妻として迎えた女性から生まれた嫡男が、予期せぬ事故や病気で命を落としたときのための、領土と一族を護るための代替え品なのだ。そのことは誰よりも、ゲイル自身が把握している。故に彼は表舞台に立つことはなく、自ら目立たぬところで領地の運営を補佐し、時には密偵として各地へ赴き、日陰を行くように人生を歩んできた。
 義兄のように華やかな美貌も、朗々たる美声もない、平凡な容姿に、引け目を感じたことがないと言えば、さすがに嘘になるだろう。だが、今となってはどうでもいいこととなっていた。
 それはおそらく、ザッツヘルグという家の本質を、肌で感じ取ったからだろうと、ゲイルは思う。
「では今後は、殿下の救出に向かいます」
「その前に、離宮の動向も探っておけ」
「ええ、勿論です。――ああ、先に、ティエンシャ公の方を追いますが、よろしいですか?」
「そのあたりはお前に一任する。ただし、時期は見誤るな」
「承知しております」
 恭しく頭を下げ、ゲイルは部屋を後にする。扉を閉める直前、再び机を小突く音が響いてきたのは、ザッツヘルグ公の苛立ちの度合いを測るには充分だった。だが、無論、それを慰める役はゲイルにはなく、また、慰める手段を持ち合わせてもいない。
 父親の影を振り払いつつ、ゲイルは暗い廊下を早足で進む。窓の外に月はなく、高い天井の梁から下ろされたカンテラの中で揺れる、魔法による灯りだけが唯一の頼りだった。比較的夜目の利くゲイルでなければ、満足に歩けもしなかっただろう。
 最新の魔法技術を使えば、夜でも昼のように明るい光の下に過ごすことも可能である。だが敢えて、ザッツヘルグ領の館は、その仕掛けが持ち込まれていなかった。
 闇に紛れ影に潜み、光と共に移りゆく。キナケスという大国を裏から操ってきた一族の住まう館には、これくらいが相応しいのかもしれない。
「光、か……」
 ひとりごち、ゲイルは緩く頭振った。
 ザッツヘルグが影とすれば、当然光はキナケス王家なのだろう。つまり両者は、腹を探り、化かし合い、時には諍いを起こしながらも、けして離れられない存在なのだ。多民族国家であるキナケスの要は確かに王族ではあるが、六領主家の存在を無くしては国としてまとまり切らないだろう。逆に、ザッツヘルグやその他の領地がキナケスという国から離反したところで、他の国に食われて終わる程度の力しか持ち合わせていない。
 絶妙なバランス、そして微妙な関係。――故に、少しでも平穏な国土を護りたいのであれば、これ以上の内乱は起こしてはならないのだ。ましてや、いち領地が王家に取って代わるなど、愚の骨頂。
 その考えがある限りザッツヘルグは、王家の最大対抗勢力であり最大の守護勢力であり続けるだろう。
「……さて、どんな恩を売りつけるとするかな」
 これからの自分の動きにより、ザッツヘルグという家の歴史に、多少の修正を加えることが出来ると思えば、楽しみも生まれてくるというものだ。だが無論、それは表沙汰になることはなく、慎ましやかに、事実の下に横たわることとなる。
 ――きっとその中で、歴史に残らぬ影のまま、一生を終えていくだろう。
 それは予想であり、外れることのない未来である。
 だがそれでいい、とゲイルはただ口元に笑みを浮かべた。

(了)



[]  [目次]  []