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[とある日常] ギルフォード、フェルハーン、アリア、アッシュ
*番外編「謝罪と誤解」を読み終わった後にお読み下さい。


 目の前にいる人物を胡乱気に眺め、ギルフォードは静かに扉に手をかけた。
「こらこらこら、待てってば」
「本日の営業は終了いたしました。後日、正式な手続きを踏んだ上で王宮へ招致下さい」
「待て待て待て! 今日は面倒事じゃないから、単なる友人として、だなぁ」
「善良なる友人は、断りもなく客室に上がり込んだり致しません」
「……つれないねぇ」
「真っ当な観察眼をお持ちのようで、幸いです」
 では、と再び閉めかけた扉を、男、フェルハーン・エルスランツ王弟殿下が必死の形相でこじ開ける。そうして彼は、咄嗟に挟んだ足を痛そうに、涼しい顔で扉の取っ手に手を置くギルフォードを恨みがましげに、訴えるように交互に見比べた。
「軍靴は、これしきの力でひしゃげるほど、柔な素材ではありませんよ」
「ちっ」
「ただ今、アリアさんが来ています。予定外の面会は受け付けておりません」
 ふたりの会話を恐る恐る見守っていたアリアが、驚いたように首を横に振る。喧嘩のネタに使うなと言いたげな様子に、ギルフォードは短く苦笑した。咄嗟に話に出してしまったが、確かに、彼女を巻き込むべきではないと思い至る。
 ギルフォードは仕方なしに、懇願するような目を向ける男を眺めやった。
「……何かのトラブルですか?」
 問いかけた瞬間、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべるフェルハーン。ほぼ反射的に、ギルフォードは舌打ちを返した。渋面に、アリアの忍び笑いが突き刺さる。
「話だけは伺いましょう」
「うん。いやぁ、助かるよ」
「ですから話だけと」
「やぁ、アリア、こんばんは」
 聞き流す気のようである。
 わざとらしく愛想を振りまくフェルハーンの足を、ギルフォードは思いのままに踏みつけた。不敬罪の念は深海の底に沈みつつある。
「どういったご用件でしょう?」
「……あんまりやり過ぎると、アリアちゃんに本性ばれるよ」
「ご心配なく。不審者に手加減は必要ないという見本です」
 嫌味九割の笑顔を向け、ギルフォードは重ねて用件を問う。有無を言わせぬ口調に、ようやく諦めたか、ふて腐れた表情で、フェルハーンは頬を掻いた。そうして、ギルフォードに耳を貸すように指で招く。
 警戒しながら一歩二歩近づき、ギルフォードは、いつでも飛び退ける体勢のまま、彼の口に耳を寄せた。
「なんです?」
「アッシュ、連れてきたんだ」
「それがどうしました?」
「ここのところ、結構厄介な事件が多かったから、ろくに休暇を取らせてない。ここにも来てなかっただろう?」
 眉根を寄せ、ギルフォードは宙を睨む。外部から来る人間の把握も彼の仕事ではあったが、件のアッシュ・フェイツに関しては別段注意を向けることはない。以前から出入りしていることもあるが、それ以上に、彼の目的が極めて明白であるからだ。
 故に、来ても来なくても判らない、そう断定しかけてギルフォードは、ふと思い当たることに気付き、首を傾げた。
 このところ、アリアは魔力消費の大きい実験を控えている様子がある。間接的にではあるがフェルハーンの言葉を認めて、ギルフォードは小さく頷いた。
「確かに、見かけてはいませんが」
「うん。そんな暇なかったからね。勿論、私も休んでないわけだけど」
 後半は聞き流し、ギルフォードはフェルハーンの言葉の裏を考える。
「そうなると、アッシュにも当分、魔法院に来るような余裕はないんだよ。……って言えば、判るかな?」
「つまり、魔力が余って余って仕方がないということですか」
「そうそう」
「そういうことは、はじめに仰って下さい」
「聞く耳持たなかったじゃないか」
「日頃の行いです。私の対応は一切間違っておりません」
 断りを入れるが、フェルハーンの求めていること自体を拒否するつもりはない。アッシュに対しての感慨はないが、やはり弟子とも言えるアリアの存在はかわいいのだ。間接的にでも彼女の為になることであれば、協力を惜しむつもりはない。
 親ばかに近い感情でギルフォードは、フェルハーンの企み――と言えるほどのものではないが――に乗ることを受諾した。
 一度頷き、フェルハーンから離れ、アリアの方へと向き直る。ふたり同時に彼女を見つめたのが、まずかったのだろう。ぎよっとしたように、彼女は顎を引いた。
「……あの、私、出た方がいいです、よね……?」
 言い出す前に、言われてしまった。
 察しが良いのも良し悪しだと、ギルフォードは苦笑する。理想的な展開とも言えるが、邪魔にしているようでさすがにバツが悪い。本当であればやんわりと、それと気付かないように彼女の室に戻したかったのだが――
 だが、面の皮の厚さでは年季の入った王弟殿下の方は、気に留めても居ないようだった。嘘くさい笑顔を貼り付け、僅かに困ったように首を傾げてみせる。
「ちょっと、悪いね。エルマンが、ごちゃごちゃ煩くしてることなんだ。君の話が終わるまで待つし、口外禁止ってわけじゃないから、居てくれても構わないけど……」
 如何にも機密事項を話しに来たと言わんばかりの台詞である。さりげなく、王宮の筆頭魔法使いの名前を出すあたり、タチが悪い。
「い、いえ、私の方は大した用事ではありません。いつでも良いことですので、また日を改めます」
 予想通りと言えばその通りの返事に、ギルフォードはフェルハーンを睨みやった。無論、無言の攻めなど通じないのは承知の上である。
 案の定、見事に気付かぬ素振りで、フェルハーンはアリアに申し訳なさそうな顔を向けた。
「また、埋め合わせはするからね」
「いえ、とんでもないことでございます。どうぞ、お気遣いなく、……その、失礼しますっ」
 こちらは本気で恐縮したように、何度も頭を下げて縮こまっていく。王宮暮らしで仕込まれた上下関係の意識は、無駄なほどに染みついている様子である。
 実にさりげなく、スマートな動作で扉を開け、気付かれないようにアリアを外に追いやったフェルハーンは、任務完了と言いたげに両手を広げてみせた。
「……貴方、詐欺師になったほうが儲かるんじゃないですか?」
「おや。奇遇だね。私もそう思う。金持ちマダムの紐になって贅沢三昧も悪くないかな」
 調子にのったように、あれこれ妄想を口にしつつ、フェルハーンは当たり前のようにソファに腰を下ろす。ギルフォードの師が使っていた、古く、綿も堅くなった一人がけの椅子であるが、彼はどうも、そこを定位置にしているようであった。
 わざとらしく大きくため息を吐き、ギルフォードは仕方なしに香茶を淹れる。
「で、肝腎のアッシュさんは、どこで待機しているのですか?」
「アリアの研究室だよ。君との話は長くなるから、院内にいるのであれば好きなところに、って言ってあるから」
「部屋の主が不在となれば、違うところに行っているかもしれませんよ?」
「大丈夫。あいつには、アリアのいる位置が判ってるから」
 さらりと告げられた言葉を何気なく反芻し、次いでギルフォードは、目を丸くした。よく考えずとも、かなりの問題発言ではないだろうか。
「……どういうことです?」
「さぁねぇ」
 いちいち、人を苛立たせるのが上手い男である。今更とも言う再認識に、ギルフォードは頬を引き攣らせた。
「言いたくありませんが、人の行動をいちいち監視するなど、犯罪者です、それは」
「うーん? そんなこと言ったら、エルスランツの男の三割は犯罪者になってしまうなぁ。それは困る」
「……」
「まぁ、心配は要らないよ。何となく判る程度で、行動を制限したりは出来ないからさ。それにあいつはアリアが一番大事だから、滅多なことはしない。これは保証できる」
「それは、そうでしょうが」
 極めつけに愛想に欠ける男ではあるが、誠実という面では目の前に居るフェルハーンとは比べものにならないほど信用が置ける。個人的に何を付き合ったというわけではないが、地味に、魔法院の規則を守っていることなどから、ひととなりくらいは判るというものだ。
「それはそうと」
 話題を変えるように、フェルハーンは大きく伸びをする。
「魔力の受け渡しって、そこそこ時間かかるみたいだけど、その間、どうしてるんだろう。ギルフォードは、見たことあるかい?」
「アリアさん個人の研究室ができるまでは、魔法鉱石のところで、勉強しながら遣り取りしていたようですが」
「今はふたりきり?」
「そうですが……、貴方、舌の根の乾かぬうちに、不埒な想像して余計なこと言う気ではありませんか?」
「いや、まぁ、一般論としてだね」
「貴方を基準に考えないようにして下さい。誓ってもいいですが、貴方の下劣な期待に添えるようなことは何一つありませんよ」
「残念」
 悪びれた様子もなく肩を竦めるフェルハーンをとりあえず睨み、ギルフォードは香茶を啜る。精神安定効果のある茶葉を選んで正解だったと、慰めるより他はない。
 下手な反論でフェルハーンのツボを刺激しては拙いと、ギルフォードは平静を装って、思いついた話題を口にした。
「そう言えば、アリアさんが、前に困ったことがあると言っていましたよ」
「うん?」
「貴方がどんな激務をアッシュさんに振っているのかは判りませんが、夜勤明けでクタクタのまま、ここを訪れてきたとぼやいてました」
「まぁ、今みたいに事件が立て込んでると、そういうこともあるかな」
「それがどうも、来てすぐに、寝てしまったみたいですよ。魔力を貰い終えても、声をかけても、全く起きる様子がなく、どうしようかと思った、と言ってました」
 ギルフォードにしては何気ない話題、強いて言うなら苦しい話題転換であったが、フェルハーンの反応は予想を超えていた。
 何度も瞬き、胡乱気な、しかし信じがたいといった視線をギルフォードに向ける。
「冗談だろう?」
「本当ですよ。私が用事で訪ねたときは、既に起きた後のようでしたが、アリアさんが盛大に文句を言っていました。何故か、私はアッシュさんに睨まれましたが」
「……それは多分、起きた後じゃなくて、君が訪ねたから起きたんだよ」
「そんなに、騒々しくは行動しませんが」
「そうじゃない。そもそも、アッシュが必要に迫られたわけでもないのに、人前でぐっすり寝るなんてことがおかしいんだよ。あいつ、人前で目を閉じてても、無視してるだけで、寝てるわけじゃないんだ」
「はぁ」
「まったく……、思った以上に、甘えてるんだな」
 今度は、ギルフォードが瞬きを繰り返すこととなった。アッシュという青年と、甘えるという言葉が、あまりにも結びつかない。水と油ほどに反発しあっている気がする。
 おそるおそるギルフォードは、自分の精神安定の為に、考え得る中でもっとも無難な確認を口にした。
「それは……、用事があって行ったのに、ぐっすり寝てしまってもアリアさんは怒らないだろうと、彼が考えているという意味ですか?」
「違う。アリアの側にいると安心できるから、困らせていることを承知でべったりひっついているって意味だよ」
「べったり……」
「そう、べったり。家でひとりで寝てるより、余程熟睡出来るんだろうね。予想外の訪問者が来なければ、だけど」
 どこか感慨深げな声音に気を取り直し、ギルフォードは見えるはずもないアリアの室の方へ目を向けた。
 アッシュの魔力不均衡症候群の症状は、アリアに匹敵するほどに極端なものである。大雑把に見える彼ではあるが、生産過剰型にありがちな、神経質な一面も持ち合わせているのだろう。
 彼の型の最大の問題点は、睡眠時にも魔力の生産が減るわけではないということにある。意識のない間に許容範囲を超えてしまったらと考えれば、確かに、おいそれと熟睡などできないだろう。そしてそんな気の抜けない日々が、アッシュにとっての日常だったのだ。
 思えば、アリアが側にいることは、彼にとって、これ以上はない平穏の環境だと言える。
 ――だからか、とギルフォードはもうひとつ、アリアの言葉を思い出した。
「確かに、アリアさんと居るときは、心持ち、顔が穏やかですしね」
「ん? そう?」
「ご存じないのですか?」
「あいつ、私がアリアの近くに行くと、あからさまに威嚇してくるからなぁ」
 アッシュの認識は正しい、とはさすがに言えず、ギルフォードは曖昧に頷いておく。
「でも、アリアには悪いけど、アッシュが楽しいなら私はそれで嬉しいよ」
「親ばかっぽいですね……」
 自分のことは棚に上げ、ギルフォードは苦笑する。
「まぁ、アリアさんも、彼が笑うと嬉しいと言っていますし、貴方の想像するような不埒な行動に出ない限りは、私も彼のことは歓迎しますよ」
 それは何気ない、本当にこれといって含みのない感想だったのだが――
「……殿下?」
 フェルハーンは、これ以上はないというくらいに目を見開き、前のめりに立ち上がりかけるという不自然な恰好のまま、彫像のように固まっていた。
 対峙しているギルフォードに伝わるほどの動揺が、珍しくも彼の全身から滲み出ている。
「どうかなさいました?」
 問えば、ぱくぱくと口を開閉させる。
「殿下?」
「……もう一回」
「はい?」
「もう一回、言ってみて」
 動揺する直前の言葉を、ということだろうか。
 首を傾げ、ギルフォードは自分の発言を出来るだけ正確に再現した。
「貴方が想像する不埒なことをしない限り、私も――」
「その前」
「アリアさんが、アッシュさんが笑うと嬉しいと言ってましたし、と」
「……それ、本当?」
「貴方とは違います。アリアさんが嘘を言うとでも?」
 正確に言えば、意味のない嘘を、である。
 急にそわそわと、腰を浮かせ始めたフェルハーンを湿った目で見遣り、ギルフォードは短く魔法式を唱えた。ほぼ瞬時に、室内を張り詰めた独特の風が吹き抜ける。
「え」
「まったく。珍しく、気を利かせたと思えば、落ち着きのない」
「君ね!」
「まさかとは思いますが、貴方、十数年一緒に居て、アッシュさんの笑ったところ一度も見たことないとか言いませんよね?」
「ぐ……」
 潰れた声に、ギルフォードは額に手を当てて天を仰いだ。
「君だって、ないだろう!」
「私は付き合いも浅く、別段、日常的に関わっているわけではありません。貴方以外の全員がそうでしょう」
「でもね」
「でもも何も、……はぁ、まったく。貴方、想像以上にひどい付き合い方をしていたのですね」
「ひどいって、そりゃ、そうだけど、はじめだけだったし、でも、あいつ、本当に全然、苦笑すらしなかったのに!」
「それなら、良かったじゃないですか。ようやく彼も、感情を出せる相手を見つけたってことですよ。喜んであげたらどうです」
「……だからって、私だって、だね。だからね」
「それを、ないものねだりと言うのですよ。だいたい、貴方が今向かったところで、お出迎えは果てしなく不機嫌な顔でしかありませんよ。お気づきの通り」
 果てしなく極限に近い渋面で、フェルハーンは口を尖らせた。
「とにかく、今はいけません。貴方の大事な部下が、貴重な休息を取っている最中なんですからね」
「う……」
「彼のことですから、何のために貴方がここに来たのかくらいは、気付いてますよ。用が済んだらやってくるでしょうから、それまでは大人しくしておいてください」
「……わかったよ」
 しぶしぶ、といった呈で頷くフェルハーン。上げかけた腰をソファに逆戻りさせ、彼はまずそうに香茶を口に含む。見届けて、ギルフォードは室内に仕掛けていた魔法を解除した。
(……まぁ、仕方ありませんかね)
 面白いものを見たと思う反面、彼らの関係の複雑さを考えれば、実はあまり笑えた話ではないと気付く。
 だが、客観的に見れば、アリアという存在は、彼らの間に大きな変化をもたらすこととなったとも思う。彼女という安らぎを得たことで、アッシュの感情は確実に、角を落としつつあるのだ。今のところはアリア限定に過ぎないが、限りなく平行線に近かったフェルハーンへの思いも、この先、少しは角度がついてくることだろう。
「……気長に、頑張って下さい」
 かろうじて頷いたフェルハーンに、ギルフォードは苦笑を向けた。

 *

 そして、また、別の場所では。

「ちょ、アッシュ、いきなり寝ないで下さいよ!」
「……眠い」
「だから、何のために緊急時の魔法鉱石くれたんですか! これから貰っておきますから、アッシュは、ゆっくり休んでから来て下さいって、前に言ったじゃないですか」
「休んでる」
「それ、私の仮眠ソファです」
「狭い」
「だから!」
「……」
「ああ、ちょっと! ……もう寝た! 信じられない!」

 別の問題が発生中だったという。 

(了)




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