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 だがテアの焦りと危惧を余所に、カイは無言で荷物から一枚の紙を取り出した。受け取り、男は素早く視線を走らせる。
「組合の身元保証書か。18歳、女、濃い黄土色の髪、長さは背の半ばにかけて、と、……青い目か。なるほど、シドラ人か」
 それはけして興味本位のものではなかったが、職務に必要な行為として凝視されていることには変わりない。見られる、ということに慣れていない、もしくはそれを嫌うテアにしてみれば、身の置き所のない苦行のようなものだった。
 昨日カイにも反発したように、特に目についてはあまり言及されたくはない。「完全なる蒼」とは違うにしろ、青い目はシドラ出身者の判りやすい特徴なのだ。実際、食事処での仕事中も、昼は客筋がまともなこともあり裏方に徹している。出る必要が生じた場合でも、暗い場所では殆ど黒に近くなるため、俯いていればそうばれることはないのだけが幸いか。
 軍人の男はそんなテアの心中をあえて無視したように、規定の項目通りにチェックしているようだった。
「……違いないな」
 合格と言える言葉に、テアはほっと胸をなで下ろす。
「しかし、今行くのは止めた方が良いと思うがね」
「それはあんたの関与することか?」
「いや、悪かった。余計なことだったな。通っていいぞ」
「ああ」
 男から紙を受け取り、カイはテアの腕を引いた。少し急いでいるような様子に、テアは逆らわずに小走りに検問所を通り抜ける。
 無言のまま十数分ほど進み、商店が軒を連ねたあたりでようやくカイは手を離した。
「なにか、偽装したんですね?」
 あたりを付けて問えば、カイは短く苦笑した。
「組合の保証書なんて、いつ作成したんですか?」
「半日もあれば充分作れる。問題はあんたの保護人の同意がとれないことだが、まぁそれは、組合からの緊急要請ってことで、……ようするに、組合があんたの手を借りたいと要請しての連れ出しなので安全ですって証明を作ったわけだ」
「つまり、私が何者なのかを突っ込まれればおしまいという……」
「いいじゃないか。あいつも見過ごしてくれたんだし」
 多少仕事のかぶることはあるが、軍と組合は持ちつ持たれつのまずまず良好な関係を保っている。立場的には軍が上位組織にあたるが、領土の拡大に伴う軍の組織整備が追いつかない中、民間レベルの問題を引き受けてくれる組合の存在はやはり大きいのだ。明確に法に引っかからない限り、多少の不備には目を瞑ることも多く、今回はそこを大いに利用させてもらったというわけである。
 手渡された身元保証書に目を落とし、テアは己のうかつさを恥じた。そして、それを何も言わずにフォローしてくれたカイに改めて礼を述べる。
「本当、迷惑かけます……」
「心配ない。依頼人のフォローをするのは当然だ」
 笑い、カイはテアに歩くように促した。
 検問所の周囲ほどではないが、それなりに人が行き来している。本来何もない場所であったところに、検問待ちの者を標的にした休憩所が建ち、小物売りの露天が並び、数年でちょっとした町のレベルにまで発展したのだと言う。
「しっかりした身分証明の出来る奴らばっかり来るとは限らない。だから審査もできるようにしてあるんだが、審査待ちは意外と長いからな」
「商売人って、凄いですね」
「国が滅んでも商人はまた興る。人がいて物がある限り、彼らは滅びないさ。というわけで、俺たちもそっちに用がある」
「へ?」
 まったく繋がらない話に、テアは何度も瞬いた。どういうことかと問う隙もなく、足早に店舗の戸をくぐったカイの後を慌てて追う。
 看板も見ずに入った店の中は、広々とした空間に幾つかの机と椅子、その奥のカウンターに数人の店員が並ぶ、という変わった造りだった。不思議なことに、商品となる物が何一つ置かれていない。その上、昼前に大丈夫かと思うほど人気が無く、ひとり、机に向かう者が居る他はひどく閑散としていた。
 何の店かと忙しなく見回すテアを置いて、カイは奥のカウンターに迷わず進む。
「らっしゃい。どんな用件だ?」
「組合の者だ。これから南へ向かうが、荷はないか?」
 恰幅の良い男は、やぶにらみの目で上から下へとカイに視線を走らせる。如何にもおまけです、と言わんばかりに後方で所在なげに立つテアなどは眼中に無いようだ。
「手帳は?」
 胡散臭気な男に、カイが組合の登録証明を提示する。
「ほう、その年でランク5か。南方面への出入りの経験あり。……ふん、どこかで盗んできた手帳じゃないだろうな」
「おっさん、表に出るか?」
「……いやいや、遠慮しておく」
 男は慌てて手を横に振った。テアからは見えないが、カイの低い声から察するに、脅すように凄んだ、といったところだろう。一瞬で完全に怯んだ男といい、その左右でこっそりと伺っている店員の表情といい、とりあえず、カイには下手に逆らわない方が良いようだ。
 短い沈黙の後、男はおもむろに咳払いをしてカウンターの内側で資料をパラパラとめくった。
「ふたつ先のアロファまでなら多少溜まってるな。どれくらいいけるんだ?」
「馬二頭分。ただし、あまり急ぐのは無理だ」
「それなら鞄二つ分、……これだと、悪いが報酬は出んぞ」
「問題ない。馬は向こうで乗り捨てでいいな?」
「帰りにも向こうに寄ってもらえると助かるが、まぁ、いいだろう」
 どことなく上から目線を崩さないのは、男のつまらない矜恃か。実際にはカイやテアとは親子以上に年の離れた人物であるため、そうそう若造には遜れないといったところだろう。
 その後2、3男と言葉を交わしたカイは、手のひらに収まる程度の札を持ってテアの方へと振り向いた。
「それじゃ、馬を選びに行くぞ」
「つまり、荷運びを代行する駄賃として馬をただで借りるってことですね?」
「察しが良くて助かる。ついでに言えば、アロファまでの道中、この運送屋の店舗で仮眠を取ることが出来る」
 アロファという名の街は、ルベイア王都からシドラへと向かう街道沿いにある比較的大きな街である。後ろ暗いところのない旅をするなら、必ず通ると言って良い。そこまでの道中の足を借り、更には飼い葉の入手や宿屋の問題までカバーするという、金のない人間には一石二鳥以上の取引である。むろん、組合の信用があっての手段であるため、テア一人では使えない。
 この店を利用するのは初めてとのことだが、迷わず厩へと向かうカイは、そういった旅にも慣れているのだろう。馬選びに四苦八苦するテアに判りやすい助言をしながら自らも選別し、十数分後にはふたりは無事馬上の人となった。配達用の荷物はカイの馬へ、テアの鞄とカイの荷物のうち貴重品以外はテアの馬に括り付けられている。安全面を考慮した、と言うよりは、純粋に馬の大きさの違いに合わせたのだろう。
 店の入り口から店員に出発の旨を伝え、カイは足を使い馬の腹を軽く圧迫して揺すった。
「乗って行けそうか?」
「まぁ、ゆっくり走らせる程度なら大丈夫そうです」


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