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 おそるおそる走らせてみたテアは、案外安定した乗り方ができたことに胸をなで下ろす。だが、まだ整備された道の範囲である。そうか、と笑うカイの方も、すぐに速度を速める気はないようだった。
「日程の関係上、あんまりゆっくりは出来ないけど、辛くなる前にちゃんと言えよ?」
「はい」
「じゃ、出発だ」
 改めて宣言し、馬首を街道の方へと向ける。倣い、カイの後ろへ付いたテアだったが、すぐに左横を並走するように指示を受けた。曰く、後ろでは急な場面に対応しにくく、右では得物が構えづらいとのことである。
 こういった護衛に慣れているのかと問えば、カイは事も無げに頷いた。
「あまり年も変わらないはずなのに、凄いですね」
「そうでもない。あまり目立つ容姿じゃないから、そうと知られずに護衛するのに向いているだけだ」
 確かに、赤みを帯びた茶髪に同じく薄めの茶色の目という組み合わせは、大陸中央部にはありふれたものである。背格好は明らか鍛えられていると判るものだが、物騒な世の中では珍しいものでもない。顔立ちはと言えば、どこの国出身と判るような特徴もなく、強いて言えば意志の強そうな好青年、といった曖昧な形容に止まるだろう。
 だが、能力まで平凡なら二十歳前後でここまで世慣れた雰囲気に至ることはない。根掘り葉掘り聞くのは憚られるが、共に旅する者として、最低限はっきりさせておかねばならぬことをテアは慎重に口にした。
「そんな危険区域の護衛に慣れている人が、どうして私なんかの無茶な依頼を引き受けてくれたんです?」
 建前とも言うべき理由は聞いているが、それを鵜呑みにするほどテアも単純な人生は送っていない。
「ランク5の雇用最低料金と合致するから、丁度仕事が終えたばかりで暇だから、それに私に対して酷いことを言ったから、でしたっけ? 正直、理由になってません」
「暇は本当なんだがな」
「そうだとしても、普段仕事でやってることを暇なときにボランティアでしようと思います? 私ならごめんですけどね。仮に仕事中毒だったとしても、こんな最低条件の依頼なんて受けなくても、掲示板にはもっと割の良い似たようなのが提示されてましたよ? 私が貼る以前からあったそれを無視してたのに、私の依頼は暇だから受けるって、おかしくないですか?」
 たたみ掛けるように言えば、カイは行儀悪く口笛を鳴らし、楽しそうに口角を曲げた。意地悪くも見えるが、面白がっている成分の方が多いのだろう。不快な印象はないが、やはりとばかりにテアはため息を吐く。
「なかなかよく見てるが、俺が不埒なことを考えているとは思わなかったのか?」
「消去法で否定しました」
「へぇ?」
「そんなことを考えてるなら、あんな目立つ方法で接触する必要はないでしょう? ヒューイさんも巻き込んでますし、これで私に何かあれば、確実にカイさんの評価は下がります。そして、仮にカイさんがそれを何とも思っていないとしても、それを捨ててまで事を起こす価値が私にはありません」
 よからぬことを企んだのだとすれば、テアが組合の建物を去った後に、何食わぬ顔で依頼書を剥がせばいいのだ。本来組合を通さない依頼であったということは、上手くやれば誰がその依頼を受けたと一切周囲に知られずに済ますこともできる。言葉巧みに騙すのは小娘ひとり、その方が遙かに楽で確実な方法のはずだ。
 言い切れば、カイは苦笑したようだった。
「そう卑下したもんでもないと思うけどな」
「そうですか? 人質には無価値ですし、別段、人を喜ばせるような特技もないですよ」
「”完全なる蒼”」
「だから、それは違いますって」
「知ってる。俺もあれから文献を見たが、確か、『暗闇でも煌と光る美しい青』だったな。本物は」
 実際には本当に光るわけではなく、どんな明暗の場所、どんな角度で見ようと透き通った深い青が損なわれない、というのが王族の持つ瞳である。数少ない女王国、女児にのみ王位継承権のあったシドラでは特に、シドラ人もともとの色である銀髪と蒼眼を持つ王女がもてはやされた。時代によっては信仰の対象とすらなったと聞く。
 だがテアは単に、民族的な特徴の一部を持っているに過ぎない。
「だけど、あの時、テアの目が一瞬そう見えたんだ」
「そりゃ、青いという意味では同じ色ですし、角度と光の加減で、そう見えるときもあるかも知れませんが」
「それが切っ掛けだな。悪いと思ったのは確かだし、単なる詫びで済ませていいものじゃないとも思った。だから声を掛けたわけだが、俺自身が責任持って引き受けようと思ったのには他にも理由がある」
 核心だな、と思い、テアはじっとカイを見つめた。
「本当は、仰臥の遺跡を見たいってのもある」
「『仰臥の遺跡』?」
「ないのか? 丁度あんたの出身の村の近くにあるって話だったんだが」
「遺跡……? 確かに村の外れにぼろぼろの古い舞台みたいなのはありましたけど」
 正直なところ、あまり覚えてはいない。確かにそこで遊んだという記憶はあるのだが、明確な映像を脳裏に結ぼうとすると、燃えさかる村や破壊される家屋、村人を追い立てる騎馬の群れにすぐに取って代わられてしまうのだ。
 思い出しかけた最悪の一夜を閉め出すように頭振り、テアはカイに続きを促した。
「まぁ、それを見たかったんだ。俺が前に入ってた傭兵団のボスがそういうの好きでさ。あっちこっち連れ回されてるうちに俺も興味を持つようになってな」
「でもそれ、古い円形の台の周りに、円柱が幾つも立ってて、ちょっとだけ壁画となにかの像があった程度ですよ? そりゃ、台自体は暴れ回っても何ともないような立派なものでしたけど、見に行くほどのものがあるかって言われると……」
「それが、古代に天文を見る場所だったって学説なんだ。丁度ど真ん中で仰向けに寝て空を見ると、周りの柱やらの関係から暦が判るらしい。見たことのある奴の話だと、台に東西南北方向をきっちり合わせた人型の模様が彫られているとか」
「私が居たときはそんなの気づきませんでしたけど。ここ数年で調査されたんですかね」
「かもな。とにかく、シドラはもともと閉鎖的な国だったし、他にも多国民が行けなかった遺跡や歴史的建造物がある。だから正直、そこまで仰臥の遺跡に拘ってるわけじゃない。完全に状況が落ち着いて、国の調査団が立ち入り禁止にする前に他の場所も含め、いずれ行ってみたいなとくらいにしか思ってなかったんだが」
「私の目を見て、その気持ちがちょっと水増したってことですか?」
「そう。仕事終わったばかりで時間があるし、どこの遺跡でもいいからとりあえずシドラに行ってみようと思ってたら、丁度テアの希望する場所が仰臥の遺跡の近くだったってわけだ」
 成る程、とテアは短く息を吐いた。要は、自分一人で行こうと思っていた先と合致したため、それならついでに、と思い立ったということだ。遺跡云々の真偽はともかくとして、言っていることにあからさまな矛盾点はない。
 完全な厚意や立場的な優越感からくるエゴではないと聞き、安堵する自分をテアは嗤う。純粋な親切を、そのまま受け取れなくなっているのだと気づいたのだ。見て話して、ある程度は信用する、だが心の中ではいつでも逃げ出せるように準備している。
「がっかりした?」


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