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 そんなテアの様子を落胆と捉えたのだろう。若干探るような目で、カイがテアを覗き込んだ。緩く頭振り、テアは無理矢理に微笑んでみせる。
「安心しました」
「……そう」
 呟くカイの声音が、複雑そうな感情を帯びる。
「だけど、これだけは信じてくれ。依頼内容は必ず守る」
「……はい」
「ただ、あんたの心の中までは干渉できない。現地に行って何を思うのか、何を見ることになるのか、それは保証できない。俺に出来るのは、あんたが考えられるよう、そこに行く手伝いをすることだけだ」
「……」
「だからあんたは、助けて欲しかったらちゃんと口にして言うんだ。それだけは頼む」
 どこか余裕のある表情は消え、真摯な目がテアを射貫く。何が彼にその言葉を言わせているのかはわからない。だが、それだけは間違いなく彼の本心なのだろう。
(もしかしたら私も、カイさんに辛いことを思い出させてるのかもしれない)
 思い、テアは沈みかけた気持ちを無理矢理浮上させた。そうしてカイを見据え、はっきりと宣言する。
「わかりました。必ず、守ります」
「いい返事だ」
 笑い、カイは正面を向く。
「じゃあ、ちょっと馬を走らせるぞ」
「はい」
 返事を待って、カイが再び馬の腹を蹴った。倣い、テアもそれに続く。南に下る街道を通る人影は、その広さに反して疎らだ。殆どが北と西へ逸れていく。
 中天を過ぎた陽の下、真っ直ぐに続く道を前に、テアはその先を思い目を眇めた。

 *

 一日目の旅程は、別段目立った問題もなく終了した。
 陽が完全に沈む直前に門をくぐり、運送業の店へと向かう。王都から南に下る街道の第一中継地点となるタリカは、検問所手前の即席の町とほぼ同規模の小さなものである。周辺にこれといった産業はなく、そのためか宿屋や食事処がやたらと目立つ。ある意味ここも、必要性に応じて出来た町と言えるだろう。
「やぁ、荷物ですか。どうもありがとうございます」
 タリカでの受付は、王都とは段違いの丁寧な対応である。愛想笑いが板に付いてるあたりは、完全なる商人だ。
 カイから荷を受け取り中を見聞して、彼は深々と頭を下げた。
「いや、助かりますよ。このところ特に、南方面には行くのを渋る職員が多くて困ってますからね。ああ、追加の荷物も頼めますか?」
「領境のトルーゼンまでだが」
「トルーゼン! 結構です。シドラ領内まで届けていただけるなら、報酬ははずみますよ」
「何か、あったんですか? そんなに歓迎するって……」
 突然口を挟んだテアを見、何度か瞬いた後、男は不意に真面目な顔を作りあげた。危険区域に戦闘能力もなさそうな女が向かう理由を、どうにも想像しあぐねているに違いない。そのままの表情でどこか咎めるような目をカイに向け、そして言い含めるようにテアに語る。
「もともとシドラ地区は戦後からずっと不安定だけど、去年の凶作が祟ったのか、緊張状態が高まってる。ごく一部だけど暴動も少し発生してるらしいよ。おかげでそこら中の危険度が鰻登りってわけさ」
「暴動って、その、元シドラ国民が……?」
「勿論彼らも参加してるだろうけど、あそこはシドラ人やら戦時中に来た傭兵やら、治安の安定してきた地方から流れてきた盗賊やらが入り乱れてるからな。戦争の終盤に雇い主のシドラを裏切った傭兵の残党が一番厄介かもなぁ。今じゃ、戦で捕虜とならなかった人たちも、自ら国を出るってのが多いらしい」
「……他の国はそこまで酷くないのに」
「そりゃそうさ、他はルベイアに戦で負けたって言っても、国家そのもの残っているところもあれば、特別自治区として独立してるようなところが殆どだ。徐々に完全吸収されるんだろうけど、いきなり国ひとつが完全に滅びるってのはやっぱり不味い。外から来た者じゃどうやったって国民の癖は掴めないし、抜けも多くなる。第一、シドラを滅ぼす気なんてなかったみたいだから、ルベイア側にしても予想外に過ぎたんだ」
 壁に貼られた地図の上で、男は元シドラ国の領域を指し示した。人の住んでいる場所は国土の東に偏っており、広さに反して未開の地が多い。そのような場所を国のいち地方として扱うにはかなりの難があり、ルベイア首脳部としても、シドラはあくまで「従属国」という括りに入れたかったようだ。今でもシドラ「地方」と定めながら、暫定政府のような独立した組織を作って対応に当たるなど、完全に支配する様子にはない。
「シドラは古い王国だったから、結構上から目線の外交だったし、そもそも他国との交流が少なかった。閉鎖的だったシドラの国民性は理解するのが難しいし、なにより王都が廃墟になってるからね。それまでの統計や戸籍やらの大半が無くなってる。これじゃ、数年で元のようにってのは無理な話だよ」
 おかげで商売あがったり、――というのが実のところ男の一番言いたかったことだろう。だが肝心の一言を耳に入れることはなく、テアは肩を落として深くため息を吐いた。
 故郷が、そこまで酷い状態だとは思ってもいなかったのだ。情報を仕入れる手段がなく、テア自身過去に向き合うのを避けているところもあったため、先に戦敗国となった国のその後の状況から、おおよそを想像していたに過ぎない。
 否、そうであって欲しいという願いが現実のものだと、信じて疑っていなかったのだろう。そうして自分を騙していたツケが、一度に大挙してきたというだけだ。
「どうして、こんなことになっちゃったんでしょう……」
 何が悪いのか、テアには判らない。情報不足だけでなく、当時まだ年端もいかない子供だったこともあり、そうと言われるほど悪い事態に理解が付いていかないのだ。
「戦争ってのはそういうもんだ」
 低く、カイが答えのように呟いた。
「武器を持って戦うだけが戦争じゃない。本当のところは主張と主張の攻防にある。戦の勝敗を決めるのは戦闘力だが、その先を決めるのは住民の意識の問題だ」
「意識、ですか?」
「負けたことを柔軟に受け止め、相手の国のやり方を受け入れれば、民族性は失われていくが復興は早い。だが頑なに自分たちというものを守れば守るほど、国という大きな柱を失った状態では小さな集団で孤立していくことになる。どちらがいいとは言えないが、単純にしたたかに、生きることを目的とするなら前者の方が望ましいんだろうな」
 そして、シドラは後者だったということだ。己を貫き、だが己を守る力を持たずに誇り高く滅びていく。或いは、そんな高尚なものではなかったのかもしれない。時流についていくことのできなかった代償、ただそれだけだ、とテアは思う。
 沈黙が落ちる。
「あ、でもまぁ、そんなに悪い話ばかりじゃないと思うよ」
 重苦しい雰囲気を払拭させようとしてか、男が慌てたようにカウンターから身を乗り出した。
「東の方が落ち着いてきたから、来年あたりには本格的に対策が取られるって話だし。そうなれば随分落ち着くんじゃないかな」
「そう、ですか」
「うん。そうなったら解決も早いさ」


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