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 ルベイア国民である男は、掛け値なしの本気で言っているようだった。自国の軍と政治首脳部の処理能力の高さをそれだけ評価しているということだろう。運送業という職業柄、各地から情報を持った人間がここへも流れてくる。そこに勤める男がそう断言するなら信憑性は高いに違いない。
「まぁなんて言うか、今は気を抜かない方が良いと思うけど、いつまでも同じ状態ってことはないからね。気を落とさずに」
「はい、すみません」
 謝るテアに微笑むと、男はカイに向き直って事務手続きへと話題を移していった。
 仕事の邪魔をしたかと思いながら、テアは店舗内の壁際にある椅子に腰を掛ける。正直、体が強ばっているのだ。借り物の馬の鞍には、所有する運送業社員たちの工夫が加えられていたが、乗り慣れないテアの技量をカバーするほどの威力はなかった。つまりは、臀部が痛く、内腿が重い。
 明日は筋肉痛かと思えば、自然乾いた笑みが浮かぶというものだ。
「大丈夫?」
 わかりやすすぎるテアの状態に、カイは当然気づいているだろう。だが、夕方には到着するはずだった行程がずるずると押していった原因でもある以上、情けない弱音は吐けない。
 引きつった笑みを浮かべ、テアは立ち上がりながら出来るだけ力強く返事した。
「これからどうするんです?」
 夕食は休憩も兼ねて町に入る少し前に済んでいる。王都の通常の市民であればここで湯を借りたいとでも言うのだろうが、生憎とテアにはそこまでの清潔観念はない。暖かい季節でもあるため、裏手にある井戸を借りれば事は済む。
「特にやることはない。早めに休んだ方が良い」
「……ですよね」
「時に、部屋はひとつだが構わないか?」
「え?」
 さらりと言われた言葉に、テアは目を丸くする。その反応を見て、カイが若干困ったように頭を傾けた。
「悪いけど、仮眠室はひとつなんだそうだ」
 つまりは同じ部屋で寝るということだ。予想外、というよりも予想することすら忘れていたテアは、さ、と表情を消した。反射的な羞恥と共に強烈な嫌悪感が体の中を駆けめぐる。
(なに、嫌なことを思い出してんだ……。大丈夫、単なる雑魚寝と同じだもの)
 知らず、テアは膝の上で服を握りしめていた。そんな彼女を気遣うように、カイは気まずそうに妥協案を提示する。
「嫌なら、俺はどこかで適当に――」
 はっとして、テアは慌てて首を横に振った。――何もない。否、何かあったとしてもそれでいい、と言い切ったのは自分だ。
「いえ、すみません。その、……大丈夫です」
「無理しなくていい」
「別に嫌だとかじゃないです。吃驚しただけで、すみません、ほんと、大丈夫です」
 こういうとき、テアは周りが訝しがるほどに無表情になる。大丈夫には見えないだろうと思いつつも謝罪を繰り返せば、カイは小さく苦笑したようだった。
「謝らなくていい。警戒するのはいいことだと思う」
「そんなんじゃないんですけど……、本当に、一部屋でもいいんです。もともと、雑魚寝以外で宿屋に泊まれるなんて思ってませんでしたから」
 人の悪い笑みを浮かべてこちらを見やる受付の男を睨みながら、テアはカイを促した。慣れているのか、気にした様子もなくカイは頷いて外への扉を開ける。
 水場を経由して到着した仮眠室は幸い、くつろぐには充分な広さだった。とは言え、寝台は勿論ひとつで狭い。
 先に部屋に入り、床に荷物を置いたカイに、テアは慌てて声を掛けた。
「わ、私が床で寝ますよ。慣れてますから」
 毛布が上質であるぶん、普段の住処よりも上等な寝心地となるだろう。だが、カイは殊の外真面目な表情で首を横に振った。
「床で寝るのは大丈夫でも、それじゃ疲れは取れない。俺は全行程において日常茶飯事のことだ。だがあんたは旅に慣れてない。はっきり言うが、疲れを残される方が迷惑なんだ」
 テアはさっと顔を紅潮させた。若干きつい科白ではあるが、本当のことだけに反論できない。否、気の利いた反論があったとしても口にはしなかっただろう。それだけカイの表情は穏やかで、テアを納得させるためにわざと言葉を選んだのだとわかるものだった。
「あんたにしてみれば『無理を言って連れて行って貰ってる』という気分なんだろうが、俺は仕事として受けた以上は歴とした依頼人だと思ってる。だから、遠慮するな」
「……はい」
 頷き、渋々と寝台へ上がる。所々ほつれ、使い込まれた毛布からは意外にも陽の匂いがした。それを除け、台の上に荷物を乗せ、上着を脱げば後はもう寝るだけとなる。だが、旅そのものが初めてとなるテアには、他に何をしておくべきかも想像がつかなかった。
 戸惑いつつ横になり毛布を被るテアを余所に、カイは慣れた様子で鞄を枕代わりに寝ころんでいる。
 静かだ、とテアは思った。王都の夜は長い。だがこのあたりは街道の途中、つまり目的地ではないためすぐの出発に向けて早くに休む者が多い。故に、耳を澄まさなければ気にならないほど、外の人の声は遠くなっていた。
 疲れてはいる。だがあと一歩のところで落ちてこない眠りに、テアは何度も姿勢を変えた。そうしてふと、戸口付近にいるカイに目を戻す。目は閉じているが、さすがにまだ入眠してはいないだろう。
「あの」
「なんだ?」
「明日はどこまで進むんですか?」
「何のトラブルもなければアロファの街だな。ルベイア南西で最も大きな街だ。シドラが安定すれば変わるだろうが、今はまだ昔の国境が実質残ってる状態だからな」
 テアはうろ覚えの地図を思い出した。ここタリカの町から街道沿いに普通に南下すれば、カイの言うアロファの街には自ずとたどり着く。だが、カイが敢えて前置きをしているところを考えれば、地図上を指でたどるようにはうまくいかないということだろう。
 テアの沈黙の意味を察したように、目を閉じたままカイが呟くように言った。
「悪路とは言わないが、まぁ、今日よりも酷いのは確かだろうな」
「……ですよね」
 タリカに到着してからこちら、カイが新たに情報を仕入れた様子はない。ということは、このあたりでは整備の手が行き届いていないというのが普通なのだろう。対シドラ戦での主要道路であったことを思えば、荒れていて当然と言うべきか。
 自分一人では、たとえ王都からの出入りが許されていたとしても、準備や心構え、情報量の点で旅は頓挫していただろうな、と思い、テアはカイへと目を向けた。
「そう言えばカイさんは、どうして派遣組合に入ったんですか?」
 言ってから、立ち入るべき内容ではなかったかと瞬時に後悔が過ぎる。だが幸いか、カイは迷った様子もなく淡々と返事を口にした。
「終戦の年に所属してた傭兵団が解散して、いくつか私設の組織を転々とした後、丁度組合が人員を募集してたから入ってみた。まぁ、比較的水があったんだろうな。それまではふらふらして定住することはなかったけど、まぁ、ルベイアなら住みやすそうだと思って」
 もと傭兵、という事実に驚きつつ、そこは自重して聞き流す。少々意外な思いもしたが、食いつくことにさほど意味はない。
「そうですか……。でしたら、私にも入れますか?」


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