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「とりあえずは『登録員』だな。正式な組合員になるには特技がいるし、研修も受けなきゃいけない。いきなりそれは無理だろう」
 カイの場合の特技は、戦闘能力というわけだ。
「まぁ、『登録員』も仕事や収入は安定しないが、自分のスキルを磨くには丁度良い。そうやって金を貯めながら、やりたいことを模索するのもいい」
「やりたいこと、ですか」
「ないのか?」
「――わかりません」
 正確には、未来が描けない。その一種戸惑ったような答えにカイが言及することはなく、ただ彼は肩を竦めるように首を動かしただけだった。
「じゃあ、得意なことを磨けばいい」
「そんなのあったら、技能訓練所に強制的に行かされてますよ」
「あるだろ。調理の腕はあるんじゃないか。――料理屋で働いてるんだし」
「そりゃ、慣れてはいますけど、せいぜい家庭料理に毛の生えたレベルですよ」
「いいじゃないか。世の中には絶望的にそっちの才能がない奴もいる」
「そんなわけないですよ。凝ったものじゃない限り、分量さえ守れば大概の料理は失敗しませんよ」
「分量、ねぇ。適量とかひとつまみとか、そんなのは分量じゃないという意見もあるが」
「それって、思いっきりカイさんのことですよね?」
「……そういうのは、思っても突っ込まないように」
 演技が素か、若干拗ねたような声に、テアは思わず笑い声を上げた。そうすると、一時的にしろ疲れが取れたようになるから不思議だ。カイにしてみれば客に対するサービスなのかもしれないが、それでも楽しいとテアは思った。
 そんな彼女に湿った一瞥を向け、カイはわざとらしく咳払いをした。
「とりあえず、もう、寝ろ。しつこく起きてるなら、明日腰が痛いのなんだのと言っても、休憩は取らんぞ」
「え!? や、それじゃ、寝ます!」
 今は冗談だとしても、明日には揚げ足を取られる可能性がある。慌ててテアは毛布を肩口まで引き上げた。
「おやすみ」
「……お、おやすみなさい」
 言い、テアはカイに背を向ける。安物の寝台は抗議するように軋んだが、それに気づく余裕は彼女にはなかった。
(おやすみ、か)
 何年ぶりだろうかと思い、頭振る。むろん、それを聞くのが、ではない。保護を受けている料理屋兼宿屋でも日常的に交わす言葉である。だがそれには「休むので後始末はよろしく」という宣言以上の意味はない。
 否、意味というならむしろ、今のやりとりの方が決まり文句に近いだろう。だが、対等な挨拶だ。
 嬉しい、と素直に思い、テアは毛布を更に引き上げた。そんな自分を可笑しいと嗤い、声には出さず笑う。
(眠れない……)
 だが、翌日に疲れを残して迷惑をかけたくはない。次第にその思いが勝ったのか、テアの息はやがて、穏やかな寝息へと変じていった。

 *

 キィ、と扉が微かに鳴る。
「あれ、なんです? 寝たんじゃなかったんですか?」
「起きていてはまずいのか?」
「いえいえ。……やっぱり、女の子とふたりきりじゃ、寝付けませんか? 結構かわいい子ですしねぇ」
 下卑た詮索に、カイは無表情のまま、つい、と視線を動かした。途端、男はびくりと体を震わせる。ならば軽口など叩かねばいいものを、と内心呆れながらカイはカウンターに備え付けられていたペンを取り上げた。
 運送業者は運ぶものをひとつひとつ詮索したりしない。医者は患者の体を診る時に、いちいち欲情したりしない。それと同じだ。仕事中、その対象は客であってそれ以上のものでも、むろんそれ以下のものでもない。そういったものに下卑た、或いは卑劣な、邪な感情を抱く時点で適正はないと見た方が良いとカイは思う。
 故に、彼は純粋にテアには知られたくない用をもって部屋を抜け出してきた。
「手紙ですか?」
 気を取り直したように覗き込む男に頷き、カイは二つに折った紙を封筒に差し入れる。
「どこまで?」
「王都の派遣組合本部までだ。ヒューイという男に」
「ヒューイさん、ね。それで通じます?」
「その名前は奴しかいない。配送品は受付で引き取るから、まず手元に届くだろう」
「そうですか。――はい、いいですよ。料金は相手払いで?」
 首を横に振り、提示された金額を渡す。
「毎度。でも、昨日王都から出てきたばっかりでしょ。なんで折り返しの手紙など? 何か問題でもあったんですか?」
「単なる好奇心か? それとも情報屋としての詮索か?」
 正確には、男は専門の情報屋ではない。だが、全国に足のある商売は、時に重要な発信塔となる。噂は他地方、他国へ、移動する人に合わせて流れていくのだ。
 冷めた声で警告を発するカイに、男は慌てたように両手を突き出した。
「詮索っていうか、王都に敢えて今すぐ知らせなきゃいけない情報だったら、知ってて損はないでしょ!? その、単なる私信だったら別にどうでもいいんですけど!」
「声が大きい」
「……」
「答えるなら、シドラ方面により強い警戒をするようにとの忠告だ」
「それは、別に皆知ってることでは……」
「いや、あんたが思ってるよりずっときな臭い。そのうち、大規模な暴動が起こるかもな」
 脅し、ではない。道中すれ違った人々の様子や王都を目前にして北や東に逸れていく人の群れからも想像できる。服装や荷物では一概に判別つかないものの、ルベイアの田舎から出てきた、或いは旅をして回っているという人々とは明らかに違う、強いて言えばやや生活水準の落ちる一般市民が逃げている、という印象だった。
 ようするに、どこでもいいと「避難」しはじめていると見るのが正しいのだろう。むろん、軍部では既に気づいて対策をとっている可能性もあるが、組合の方にはそこまでの情報網はない。杞憂に終われば幸いと、一応の保険をかけるつもりである。
 カイの声音に、男は表情を引き締めた。
「それにしては長い文章だったが、他には、何か?」
「いや、後は私信だ。いざというときは契約を破棄する、という内容のな。契約破棄に必要な文は既にしたためてある。必要な時にはそれを使う」
「依頼の進行中に? 契約の破棄? それって厳罰ものじゃ……」
「厳罰も何も。命には代えられないだろう? 勿論、言い訳はしない。完全に、一身上の都合で、というやつだ」
「そりゃ、そうですけどね」
 気遣わしげに、男は仮眠室へ続く扉に目を向ける。それを視界に、カイは僅かに口端を曲げた。
「緊急時には切り捨てる。――そういうやり方で俺はずっとやってきたんだ」
 言い切ったカイに、何よりその表情に、男は知らず、唾を飲み込んだようだった。



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