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「はっ、――はい、それは、出来る範囲で、ですがっ!」
「だ、そうだ」
 器用に片目を瞑るカイに、テアは乾いた笑みを返した。なんだかんだ、したたかな男である。情に訴えそれに応えた人物が自分の懐具合を心配する、それを受けて良心の代価を求める。おそらくはテア自らが気づかなければ、カイから契約範囲外であることを示唆したに違いない。
(けどまぁ、そんな無茶苦茶は言わないだろうし)
 ようは、何事もなく辿り着ければそうそう問題はない。
 その後、カイは馬から下りて周辺の偵察へと向かった。馬車の修繕が済むまでは移動が出来ない。その間に不審な者が近づかないかを確かめる必要がある。
 その間テアは、暇を持て余していた。怪我人を車に乗せるための手伝いをすべくマンセルに申し出たが、遠回しに断られてしまったのである。忙しなく動く人を見ながらただ座っているだけ、というのは楽に見えて存外に居心地が悪い。
「手伝いますけど……?」
 数分と持たずに耐えかねたテアは、荷の移し替えをしている女に声をかける。だが女は、一度冷ややかな視線を寄越して、すぐに荷の方へと顔を背けた。
「結構です。いちいち教えるより、自分がやった方が早いですから」
「運ぶくらいはしますよ?」
「護衛を貸してくださるお情け深いお嬢様を、働かせるつもりはありません」
 突っぱねるような言葉に、テアは何のことかと瞬いた。内容を反芻し、離れていった女の背中に向けてため息を吐く。カイやマンセルとの話を聞かれていたのだろう。
 それにしては随分と皮肉な物言いだな、と思い、しかしテアは何も言わずに道端へと下がった。同じ年ほどの者が、かたや護衛を連れて暢気に旅の途中、かたや朝から晩まで働き、貴重な生活の糧を売りに行く途中で賊に襲われる。事実がどうであれ、この一場面だけを見るならば、後者に卑屈な感情が出ても仕方のないことなのかもしれない。
 むろんのこと、不幸自慢などする気もなく、テアは結局カイが戻ってくるまでをひとりで体を休めることに費やした。
「とりあえず、この辺りには今は誰もいないようだ」
 程なくして戻ってきたカイが、雑木林の方を見ながら結果を口にした。
「そうですか。――進んでも?」
「様子見にはなるが、問題はないと思う」
 マンセル他、一行の表情が弛む。
 その後一通り点検を終え、どうにか馬車が平行に進むことを確認した上で、ようやく総勢10名の集団はその場を離れることとなった。時間のロスは約1時間、少し急ぐ必要があるだろう。
 結局亡くなってしまった一頭の代わりに村人が乗っていた馬が車に繋がれ、カイの指示でテアの馬を村人に一時的に貸与することとなった。理由は無論、進む速度を上げるためである。動ける村人5人のうち、マンセルともうひとりが馭者として座り、どうにか戦闘要員として換算できるニックスという男がテアの馬を借り、残る女ふたりがテアや怪我人と共に馬車に乗り込んだ。
「ハイッ、ハイッ!」
 マンセルの合図と共に馬車が動き出す。あまり整備の行き届いていない道は、粗末な造りの車を激しく揺さぶった。女ふたりを向かいに座っていたテアは、予想以上の揺れに思わず横にある荷に手を掛ける。
「ちょっと……!」
 鋭い声を上げたのは、どうにも印象の悪い若い方の女だ。
「それ、売り物なんだからね、汚さないでちょうだい」
「あ、……そうですね、済みません」
 尤もだと謝り、今度こそ倒れないようにと姿勢を正すテアだったが、女の方は納得した様子もなくふいと横を向いてしまった。さすがに顔をしかめるテアに、年配の女が済まなそうな視線を向ける。
 若干の不快感を残しつつも、テアは妙な雰囲気を払拭するべく彼女へ声を掛けた。
「何が入ってるんです? 重そうな箱でしたけど」
「織物さ。村の特産品でね。こうして時々……」
「リタさん!」
「なんだい、アリッサ。そんな声を出すもんじゃない」
 今は薬を与えられて眠っている怪我人を起こす。そう注意されたアリッサは、さすがにばつの悪そうな顔で項垂れた。
「静かにしてなさい」
「でも……」
 不服そうに言いかけたアリッサを遮るように、ガタリと一段強く車が揺れる。大きな石か何かに乗り上げたようだ。自力でバランスの取れる者は良いとして、自由に身動きが出来ない怪我人たちには辛い道のりだろう。
 思わず舌を噛みかけたテアは、続く振動に辟易しながらリタの方に問いかけた。
「街道なのに、どうしてこんなに道が悪いんですか?」
「さぁ……、整備できる治安じゃないからかねぇ」
 リタは、眉根を寄せて緩く頭振る。あくまで憶測の域を出ない返答に、テアは曖昧に頷いてみせた。
 それは回答のひとつではあるが、おそらくは本当の理由ではないだろう。こういったことにはっきりと、具体的な例を持って易々と答えてくれるカイは、前方と後方を不規則に行き来する形で警戒役を務めている。
 頭を巡らせ、今は馬車の後ろにいる彼に目を遣れば、彼はすぐに気づいて笑んだようだった。手にしている得物は弓で、本来彼は飛び道具の方が扱いに慣れているのだという。テアとふたりのときには荷物の中に仕舞われたものだが、曰く、2人の場合は応戦するより逃げた方が早い、とのことである。
 好戦的かと思えば効率重視であったりと、いまいち掴めない男だと思いつつ首を戻したテアは、アリッサが胡乱気な視線を向けていることに気がついた。
「何です?」
「護衛まで雇ってのんびり旅だなんて、羨ましいわ、と思って」
「……何が言いたいんです?」
「随分裕福な生活をしているのねってこと。さぞかし、暇を持て余してるんでしょうね!」
 リタの制止を振り払い、アリッサが憎々しげにテアを睨む。
「シドラ人のくせに……っ」
 ひとことに、テアはす、と表情をなくした。咄嗟に、手が目元へと走る。
 同時に、そういうことかと腑に落ちるものがあった。
「あんたたちのせいで村が大変だったんだから。そんな女が、なんで私たちの馬車に乗って座ってるのよ!」
「止めなさい」
「なんで!? リタさんも酷い目に遭ったって言ってたじゃない!」
「アリッサ!」
 鋭い声に、アリッサが顎を引く。だがむろんのこと、納得している様子などない。
 テアは不思議と、――驚くほどに冷静だった。アリッサとリタ、そして彼女たちを含む村の置かれた状況を思い、過去に何があったかを推測する。戦時中にありがちなそれはおそらく、的中とまではいかずともおおかた見当違いの考えにはなり得ないだろう。
 かつて彼女たちの村はシドラ兵に襲われ、未だ完全に立ち直れないほどの被害を受けた、そういうことだ。
「賊だって、シドラの奴らに決まってる! この女が仲間じゃないって、そんな保証ないじゃない!」
 金切り声で叫ぶアリッサに冷笑を向け、テアは肩を竦めた。
「支離滅裂だわ」


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