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「あの音って――」
 ざわり、と車の中が不安を含んだ空気に揺れる。
 直後、マンセルとなにやら話し合っていたニックスが馬を走らせて一行から離れ、馭者役の男が鞭をしならせた。一度休憩を取っただけの馬が足を速め、車内がそれまでになく揺れる。
「カイさん」
 膝立ちになり、枠に手を掛けてカイを呼ぶ。
「あれって、門を閉める音ですよね?」
「ああ。間に合わなかったようだな」
 互いに謝罪はしない。テアが決断し、カイも認めたのだ。そも、野宿になる可能性も双方十分に承知している。
「でもせめて、怪我人くらいは入れてもらえないんですかね?」
「どうだろうな。村と町との関係次第、ってところか」
 基本、閉門後の出入りはそれと定められた急使にしか認められていないが、信頼関係があれば多少の融通は利かせてもらえることもある。そうして幸い、マリシェ村とフランの町は長く友好関係にあるようだった。
 ほどなくして戻ってきたニックスの先導のもと、一行は街道に面した門を城壁沿いに迂回し、小さな壕を巡らせた通用門前へとたどり着いた。予め決められていた応答の後に、町の駐屯兵が狭い通用門から三人の怪我人を町へと運ぶ。その態度が素っ気ないを通り越して無駄に素早かったのは、やはり、この周辺でも賊の被害が増えているためだろう。兵士たちの目には、厄介な訪問者に対する不審な色よりも、警戒と不安が強く滲んでいた。
 さすがに通用門の周辺に宿泊することは許可が下りず、正門へと回り、その脇に車を止める。馬を車から解放して飼い葉を与え、売り荷の中から水やそのままで食べられそうなものを取り出せば、その頃にはすっかり陽は落ちていた。季節柄、夜でもさほど気温が落ちないのは幸いといったところか。
 マンセルの熾した焚き火の回りに自然と皆が集まり、それぞれの格好で力を抜く。
「どうだった? 疲れなかったか?」
 村人の輪から少し離れた草むらの近く、ごく自然に横に座ったカイが、いつの間に準備していたのか、携帯食を渡しながらテアに問う。
「最後に急いだときは揺れただろ」
 彼の声に必要以上の気遣いはない。何事もなかったかのような声音にどこかほっとするものを感じつつ、テアは目を細めて彼を労った。
「大丈夫です。カイさんこそ、お疲れ様です」
 何もしていない、と笑うカイに、確かに疲弊した様子はない。同じく警戒に当たっていたニックスはすでに座り込んでいるが、カイの方はまだまだ動けそうな状態である。言えば、彼は事も無げに慣れの問題だと言い切った。基礎体力の違いではなく、力配分が重要ということだ。
「町の近くとは言え、襲撃があった場合、はじめだけは凌がなきゃいけないからな。俺は交代で夜番に就くが、何かあったら遠慮無く声を掛けてくれ」
「私に手伝えることはないですか?」
「そうだな、もしもの時の為に、荷物をまとめておいてくれ」
 言いながら、カイ自身も自分の荷袋の中を漁っている。たいして入っているようには見えないが、そこから携帯食や今テアが足に掛けている布が出てきたところを思えば、そこはパッキング技術の問題なのだろう。村人たちもそれぞれ手荷物を確認しているようだが、主な金目の物は運んできた商品そのものということもあり、どちらかといえば手持ちぶさたにしている。
 娯楽もなく、かといって家にいるようにくつろげるわけもない。マンセルと同じく馭者をしていた男は明日からの動き方を相談しているようだったが、後はぽつりぽつりとオチのない話が単発で交わされる程度だった。
 テアとカイもしばらくの間他愛もない話をしながら寝る準備を進め、最後に荷物を枕代わりに体を横たえる。
「焚き火はどうしますか?」
 先に番をはじめたニックスが、カイへと問うた。
「すいません、その、こういうのは初めてで」
「寝る準備が済んだら、消しておいた方がいい。このあたりは別段、警戒に値する獰猛な獣はいない。それよりも、街の外に人がいると人間が気づく方が危険だ」
「あ、そうか、そうですね」
 頷き、ニックスは若干慌てた様子でマンセルの方へと走っていく。しばし話していたふたりが焚き火用に組まれた薪をばらすと、火勢は見る間に衰えていった。そうなると、辺りは一気に暗くなる。
 光の消えた瞬間に、リタとアリッサは身を捩ったようだった。周りがよく見えなくなったという事実が、彼女たちに不安をもたらしたのだろう。テアはと言えば、特に思うことはない。既に自分に出来るだけのこと、つまりは荷物をまとめていつでも動けるようにはしているのだ。それ以上のことをあれこれと悩んだところで、今更急に技能が付くわけでもない。
 寝返りを打ち、毛布を巻き込むようにして仰向けば、灰色の雲の隙間に黒い川が流れているのが見て取れた。ちらちらと星が瞬いている。
 綺麗だ、とテアは口の中で呟いた。王都の夜は遅い。加えて言うなら、背の高い建物に囲まれた迷路のような街の中では、雄大に広がる空を見上げることができないのだ。開放感を覚え、野宿も悪くはないとテアは現金に思う。
 だが、妙に気を抜いているのはテアだけのようだった。
「あの……、すみません」
 テアからさほど遠くない場所に寝転がっているカイに、おそるおそる問いかける声がある。
「さっき向こうでぼんやりと何かが光ったんですけど……」
「どこだ?」
「あの辺りです。あ、また」
 怯えを含んだ声と共に、ざわりと空気が揺れる。皆の動揺に押されるようにその方に目を向けたテアは、眉根を寄せて首を傾げた。
 あれは、と思ったが、口にする前にカイが遮るように立ち上がる。
「見てくる。あんたたちはそのままここに居てくれ」
「あ、ありがとうございます」
 ほっとしているマンセルには悪いが、テアはどこか腑に落ちない。カイは確かに一団の護衛を請け負ったが、それはあくまでボランティアのようなもので、便利屋扱いされる謂われはないのだ。突っぱねても文句など言われる義理はないというのに、カイはそのあたりは頓着していないようだった。意外に面倒見が良い。
 さほど時間もおかず戻ってきたカイは、素っ気なく気にしないように、とだけ告げた。平然とした様子の彼に、さすがに食い下がる勇気はなかったのだろう。自分の寝場所に引き返すマンセルを目で追いながら、他の者もそれぞれの位置に落ち着き横たわる。
 特に気負った様子もなく腰を下ろしたカイは、ふと、細めた目をテアに向けた。
「あんた、怖くはないのか?」
「え?」


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