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 (4)

 木々の間から差し込む光に眩しさを覚え、テアはゆっくりと目を開けた。いつの間にか眠り、――幸いにも、夜中に逃げる必要のある襲撃はなかったらしい。途中何度か人の声や物音に意識を浮上させることはあったが、それなりに十分な睡眠は取ることが出来たようだ。
「おはよう。よく眠れた?」
 既に支度を終えたカイが、夜番の疲れなど微塵にも感じさせない表情でテアに声をかける。
「もうすぐ門が開く。準備は……」
「顔だけ洗ったら、すぐに行けます」
 年頃の娘の発言としてはどうかと思うが、そも、見かけや道中の快適さに重きを置くような旅でもない。カイは笑って頷いた。
「そう。なら、終わったら門の前に」
「はい」
 村人たちは各々、荷を門の近くに運んでいる。さすがに手伝いを申し出る気にはなれず、テアは近くの湧き水で顔を洗い、口を漱いでから門へと向かった。
 ほどなくして、昨夕聞いた鐘の音が響き、億劫そうに両開きの扉が開く。一様に安堵した表情の村人が先に荷を運び入れ、遅れてテアとカイが続く。
 簡単な検問を終えて、テアは町へと足を踏み入れた。まだ朝早い時間ではあったが、既に開いている店も何軒かあるようだ。人通りは疎らで、旅人の方が多い。村の馬車が町の奥へと進んでいるところを見ると、市場は街道沿いを離れての所にあるようだ。
「……そこの店で食事だよ」
 唐突に声をかけてきたのはリタである。
「朝食を食べられる場所に案内するように頼まれたのさ」
 そのカイ本人はと言えば、今ひとりで運送業者の支店へ荷物を運びに行っている。仮眠室を借りる必要のない今日は、テアをいちいち連れて行くよりも早いと判断したようだ。申し訳ないと思う反面、強情に手伝おうとする方が返って足手まといになるとも判っている。
「お店さえ教えていただければ結構です」
「そうはいかない。あんたの食事代も護衛料金に含まれてるんだよ」
 後ろから口を挟んだのはニックスである。
「さっさとそこに入ってくれ」
「結構です。カイさんには私から言いますから、他の店を教えてください」
「あんた、俺たちに余計な金を払わせたいのか?」
「ニックス、よしな」
「そうは言うがな、リタはあの男の……」
「わかりました」
 村人同士に不穏な空気が流れるのを見て、テアは低い声で話を遮った。
「入ります。同じ場所で食べます。栄養さえあれば安い食事で構いません。これでいいんでしょう?」
 一方的に嫌悪の感情を向けてくる者と食事を共にするのは、むろん苦痛である。だが、このままでは埒があかない。感情のままに頑なに拒否し続けるのは簡単なことだが、さすがにテアはそこまで子供でも直情でもなかった。仲良くする気などは起こらないが、嫌われているからこちらも嫌う、といったような中身を伴わない行動に出ることは由としない。
 揉めるくらいなら、義務的に条件を満たしてやればいいのだ。
「……すまないね」
 根本的な悪感情を隠せないまでも、理性でそれをカバーできるリタが沈んだ声で謝罪する。
「本当は、悪い子たちじゃないんだけど」
「構いません。……中に入って適当に注文しますので、代金はお願いします」
 根がいい人であれば、感情のままに何を言ってもよいというものではない。――そこまで考えて、テアは苦笑した。随分と皮肉っぽくなっている。
 滑稽だ、と思いながらテアは店の戸をくぐった。言葉通り適当に安いものを注文し、村人と離れた席に着く。そんなテアに何か言いたげな顔をしているのはリタで、完全に無視を決め込んでいるのはニックスで、気にしないようにしつつもちらちらと視線を向けてくるのはアリッサだ。彼らの村を襲ったシドラ兵は、この町にも手を出したのだろう。店の給仕も僅かに強ばった表情をしている。
 居心地の悪さを通り越して、もはや開き直りの域に達したテアは、黙々とひとり食事を勧めた。王都でのそれは一概に悪いものではないにしろ、どこか複雑な感情を与えられるという意味では慣れている。
 程なくして戻ってきたカイは、テアに声を掛けるより先にマンセルを顎で招いた。店の外で話す内容は聞こえないが、時々マンセルが眉を顰めている様子が見える。何か厄介な事があったのだろうかとは思うが、わざわざ外へ連れ出したということは、テアに聞かせたくないということか。
「何か、あったんですか?」
 マンセルを残して店に入ったカイに、テアは率直に問うた。
「朝もどこかに行ってたみたいですけど」
「いや、昨日のことだ。襲ってきた連中の特徴とか襲撃場所とかを駐屯兵に聞かれた」
「討伐でもするんでしょうか」
「どうだろうな。以前から時々出没してる連中らしいが、どうも、ねぐらが判らんらしい。出た場所やら逃げた方向やらを知りたかったらしいから、マンセルにそれを伝えたんだ」
「ああ、それで……」
 カイの口調には淀みがない。村の代表であるマンセルだけを呼び出した理由も納得できるものだったが、あっさりと信じるには少し前に去ったニックスの様子がどうにも引っかかる。だがむろんのこと、どう切り出していいのかも判らない。
 そのまま、煮え切らない気持ちのまま朝食を終え、テアはカイと共にマリシェ村の一行に別れを告げた。
「どうもお世話になりました」
 深々と頭を下げたのはマンセルで、それにリタ、アリッサと続く。むろん、カイに向かって、だ。挨拶の後はあっさりと、どこか逃げるように離れていく。
 と、最後に頭を垂れたアリッサが、進みかけた足を引き戻してテアへと目を向けた。
「――あたしは、シドラ人が嫌い」
「そうでしょうね」
「……でも、あんたには謝っておく」
 上から目線と妙な躊躇い。だが、誰に言われたから、というわけではなさそうだった。
 何度か開閉を繰り返したアリッサの口が、一度強く引き結ばれた後に言葉を紡ぐ。
「ごめんなさい。あんたにしたのは、八つ当たりだった。あんたには言うべきことじゃなかった」
「……」
「悪かった、と思ってる」
 言い切り、返事を待たずにアリッサは走り去っていった。残されたテアは、本来返すべき言葉の行き場をなくして立ちすくむ。
「慣れないんだろうな」
 後ろで、カイが笑い含みに呟いた。


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