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「村っていう狭い社会の中でしか生きたことがないから、違う価値観をぶつけられて戸惑ったんだろう。だがちゃんと考えられたのなら、上出来だ」
「……そう、冷静に判断されても困ります」
「そうだな」
「それぞれの立場って、厄介ですね」
 悪い人たちではない。あくまで彼らのテリトリーの規則や習慣に則った範囲であれば、善人なのだろう。壊滅しかけた村を立て直し、真面目に日々働いている人たち。だが、価値観の違いは時として凶器となり、容易く人を傷つける。
 言えば、カイは目を細めたようだった。
「だが、話せば判る。そういう人間が多いうちは、大丈夫だ」
 話しても解り合えないとき、又は解り合う気がないとき、争いは生まれるのだろう。
 頷き、一拍おいてテアは顔を上げた。
「すみませんでした。行きましょうか」
「ああ。――しかし、ひと雨、来そうだな」
 少なくなった荷を馬に括り付けながら、物憂げにカイが呟く。頷き、テアも灰色の紗を纏いだした空を見上げた。
「急ぎますか?」
「その前に、店を見るか」
「何か買うんですか?」
「あんた、雨具持ってないだろ。買っていった方がいい」
 確かに、とテアはうかつな自分を恥じた。通常、傘を持たない時に雨が降れば、生い茂った樹木の下を選びながら、出来るだけ早く家に戻る。そうして火を熾し、着替えて乾かす。それはごく自然な行動だが、着替えもろくに持たない旅の間に適応するものではない。
 だが、傘以外に移動しながら雨を避けるものはあるのか、とテアは想像及ばず首を傾げた。
「勿論、濡れないわけじゃない」
 苦笑しながら、カイは適当な店の軒をくぐる。
「目の細かい布に樹液を塗ったものをこう、頭から被るんだ」
「それで、雨を弾くんですか?」
「そう。だけどまぁ大概、ずぶ濡れにはならなかった、って程度だな」
 撥水効果の高い糸で細かく編まれた布はそれなりに重い。そのなかでも小振りのものを選らんでカイは店主の下へ行く。暇そうにしていた主は、そこで初めて客を認め、誤魔化すような愛想笑いを浮かべた。
「一枚でいいのかい? それに、小さいようだが」
「ああ。俺は持ってる。彼女のだ」
「彼女……? ああ」
 テアを見て、店主はぼりぼりと後頭部を掻く。
「今からシドラに行くのか? やめておいた方がいいと思うが……」
「危険なのは承知してる」
「じゃあ、連れが掠われないように気をつけな。見た目のいいシドラ人の女は、高く売れる」
「……っ」
 反応したのは、むろんテアである。言われた内容に反発を覚えたのではなく、さほど驚かなかった自分に苦いものを覚えたのだ。
 初対面の時、おそらくはあちこちを旅しているはずのカイが、テアの青い目にもの珍しそうな反応を示した。つまりは――悪い言い方をすれば希少性が高いのだ。生粋のシドラ人が一番多く住んでいた王都が壊滅したということは、そのまま人口の半減を意味する。かなりの田舎だったテアの故郷まで襲撃を受けていたことを思えば、戦争終了時には、何分の一と数える程度にまで減っていただろう。若い女は更にその半分以下、奴隷制度は廃止されているとは言え、珍しいものを支配下に置きたがる質の悪い好事家は多い。
 テアは、知らず掌を握りしめた。
「大丈夫だ」
 軽く頭が撫でられる。
「ちゃんと、俺の言う通りにしていれば、問題はない」
「……はい」
「それでいい。――店主、会計」
 言い、カイは組合の手帳を提示した。受け取り、店主がそれを改める。
「本部所属、ランク5。……一応、中を改めるぞ」
「どうぞ」
「技術ランク……、年齢、……容姿は合致するな。名前は……」
 呟きながら、店主はペンを走らせている。項目が活版印刷された用紙は派遣組合への請求書のようだ。
「割引が利くんだ。後で何割か組合から返金してもらえる」
 テアの目線を追って、カイが説明を加える。なるほどと彼を一瞥して再び用紙へ目を戻せば、丁度書き終えたところだった。
「はい。これでよし」
「どうも」
「まぁ、あんたなら大丈夫だとは思うが、気をつけてな」
 社交辞令には違いないが、そこそこ気持ちのこもった言葉である。カイは頷き、テアは素直に頭を下げて店を後にした。狭い地区の中でも、シドラへの感情は多種多様を極めているらしい。戦争が勃発するまでの関係は寄らず離れず、どちらかと言えばルベイア側の力の方が元から強かったことを思えば、要は身辺に実害があったかどうかの差なのだろう。
 改めて荷物を点検し、反対側の門から町の外へ出れば、南の空はいよいよ灰色に重くなっていた。
「少し速めに行くぞ」
 宣言し、カイが先に凸凹の道を駆ける。かつて戦車の通った轍がそのまま残っているような悪路だ。他に、同じ方面に進む者はいない。
 だが、とテアは周囲を眺めながら喉を鳴らした。
 緑の濃い左右に、あからさまな戦闘の痕が残っている。不自然に倒れた木や引き裂かれた衣服の切れ端、廃棄された空の鞄、壊れた武器、更には大量の血が流れた痕跡。しばらくまとまった雨は降っていなかったようだが、乾期ではない。少なくとも数日の間に起こったことなのだ。
 戦場はむろん、この比ではない。だが日常のすぐ横にある危険としては相当なレベルである。
 ほどなくして、ぽつりぽつりと、水滴が皮膚を叩き始めた。
「雨……」
 買ったばかりのマントが、小さな粒を弾いて下に流す。殆ど無言で並足、速歩、たまに駈足、そして休憩を繰り返してはいるが、焦る気持ちに反して目的地はまだ遠い。銀の針を見つめながら、テアはため息を吐いた。
 そうして馬を駆ること数時間。小雨の中大樹の下で手早く昼食を摂り、一度馬の汗を拭った後で再び騎乗する。
 雨は、領境に近づくほどに雨足を強めていった。今は被った雨具で体幹と荷物はどうにか守れているが、それが限界に達するのも時間の問題だろう。
「まずいな」
 空を見上げて、カイが若干固い声で告げた。そうして数度目の駈足に入る。ぬかるみかけた道に不安は募るが、このまま悠長に進んでいても状況は改善しない。そればかりか、更に進行困難な環境へと変わっていくだろう。


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