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「暴動だ」
 答えは短い。テアはさっと顔から血が引いていくのを感じた。
 まだ夜は明けていない。であるにも関わらず外がどことなく明るいのは、町の一部が燃えているためだろう。意味を成さない怒鳴り声が四方八方から響くのは、それだけ大規模なものであることを示す。おそらくは、こうなってしまっては敵味方、関係者と遭遇者の明確な区別などつかないに違いない。
 軍はどうしているのか。そう疑問は浮かんだが、今はそれどころではないと立ち上がる。夢の影響か、若干足下はふらついているものの、幸い虚脱感は感じられなかった。驚愕と急展開に、普段ならどん底まで落ちるはずの厭世観が吹き飛んでしまったのだろう。
 もともと解いてもいなかった荷物を背負い、テアは髪を括りながら先に部屋を出たカイを追った。
「逃げろ!」
 宿の亭主が走りながら他の部屋の戸を叩いている。
「領境の方へ逃げろ、建物の蔭に隠れながら、急げ!」
「あなたはどうするんです!?」
「ワシらは自業自得だ。若いのが良からぬ集まりをしてるって知ってて見過ごしてたんだ! だから、放っておけ、お前たちは逃げろ!」
「莫迦言え、賊がこれを見過ごすか!」
 民の暴動はそれだけに留まらない。背後で舌なめずりしていた賊を引き寄せるだろう。
 カイの示唆に、しかし宿の亭主は首を横に振った。
「ここには昔から住んでる。知り合いも多い。おいそれと逃げるわけにはいかん」
 強い口調に、カイは強く頭振る。説得不可能、そう判じたのだろう。
 宿を出て町を直視すれば、すでに混乱は半端でなく広がっていた。ただでさえ満足に機能しきっていなかった町が、廃墟への一途を辿っている。
「自分たちの町を滅茶苦茶にして……、何がしたいって言うの!?」
「全部追い出して、更地に自分たちのものを作ろうとしてるのさ」
 カイがひときわ辛辣に言い捨てる。それに言い返すことが出来ないほど、事態は既に、ルベイアへ不満を叩きつけるレベルを超えていた。
 大規模な一斉蜂起に、何故国は気づかなかったのか。何故、未然に防げなかったのか。
 ひとつには、上手く統制の取れないルベイア・シドラ混成軍と寸断されがちな情報系統を放置した暫定政府――実際には国自体は崩壊したが、半ば自治区扱いのためこう呼ばれている――の対応遅れが挙げられるだろう。善悪入り乱れる荒れた国内にあり、さすがに怠慢のひとことを与えるのは厳しいとしても、危険を示唆されながら結局は後手に回ってしまった対策は批難を免れない。
 ふたつめに、シドラ地区住民の暴動と便乗する輩の区別が付きにくいことにある。盗賊の被害を訴え対策を求めれば、地元で蜂起しようとする近しい者をも妨げることとなるため、踏ん切りのつかないものが多かったのだ。故に蜂起には消極的な、しかし同輩を訴えることもできない住民たちは、こっそりと、隠れるように他の土地へ散っていった。カイが道中で見たのはそういった人々であり、厳密に言えばどっちつかずで故郷を滅びへと加速させた一員でもある。
 他に細かい原因は多々あれど、結局住民の暴動が本人たちの意図以上の過ぎたる成果を導いてしまったことには違いない。
 暴徒は国の施設と役人を襲い、便乗する犯罪者集団は戦える者の減った町村を襲う。駐屯軍は彼らを食い止めることと現場で対処することに精一杯の状況で、根本的な解決へ導く手段を持たないというのが現状だ。ルベイアの本拠地から援軍が来るのはまだ先の話だろう。
 積極的に住民を傷つける行為の禁じられた駐屯軍は、施設内への籠城を含めた消極策で時間稼ぎをしているが、襲う方は如何にも容赦がない。たまりにたまった鬱憤や不満が現状改善へのエネルギーへとならず、暴力へ傾いてしまったのは歴史にありがちな人の愚かさか。
 臨時政府は遅かった。だが住民たちも動かなかった。動いたのは賊で、彼らはけして生産的な活動はしない。流れの滞った川に汚泥が溜まるのは必然というものだ。
 予想以上の状況に、カイははっきりと舌打ちをした。
「暴徒の装備がえらく整いすぎてる。……なるほどな」
 倒されている者の防具は、むろん正規軍とは違い統一性が全くない。だが、かき集めてきたにしては妙に新しく破損してもいないのは何故か。
「まさか、誰かが援助を?」
「そのまさか、だ。南方の国だろうな。或いはそこと手を結んだ東方か……。賊も暴徒もルベイア軍も、一緒くたに疲弊すれば、確かに奴らは儲けもの、だろうな」
 そんな、とテアは喉を引き攣らせる。
「あり得ない話じゃない。だが、これを乗り切れなきゃ、ルベイアはそこまでだったってことだ」
 カイの感想には容赦がない。数年とは言え定住していた地に愛着がないとは思えないが、彼にとってはその程度のことなのだろう。
 少し遠い場所の破壊音を聞きながら、テアとカイは建物と建物の隙間、狭い暗がりの中を慎重に領境の方面へ進んだ。来たときには僅か数十分の距離であった道のりも、隠れながら止まりながらでは、殆ど距離が埋まらない。
 時間を追う毎に状況は悪化の一途を辿っている。逃げ惑う住民、沈静化を試みる軍人、武器を掲げて解放を叫ぶ者、血を流して倒れる者、およそ混沌として全容が掴めない。
 そして遂に、最悪の事態が訪れた。
「誰か、誰か――っ!」
 盗賊による蹂躙が始まったのだ。駐屯軍の力が及ばなくなったのだろう。無差別の殺戮と一方的な略奪。生まれる阿鼻叫喚。
 さすがに領境の門やそこで守備を固めている軍に向かう者はいない。ルベイアの力の及ぶ門からの数十メートルが唯一の安全圏だ。だが、そこまでが如何にも遠い。
「くそっ」
 悪態を吐き、カイが遂に剣を抜く。飛来した流れ矢を払い落とし、狭い路地の奥へとテアを押し込める。
「カイさん、こっちは、門から離れます!」
「判ってる。だが、その道は今は駄目だ」
 テアよりも夜目の利くカイが断言するのだから、間違いはないのだろう。そうして、一拍遅れて至近距離で炎が吹き上がる。火炎瓶が投擲されたのだ。
 咄嗟にテアを抱え、カイは廃屋の扉を蹴破った。殆ど抵抗もないまま内側に倒れた木の板を踏み越え、埃と泥に汚れた家屋に入り込む。
「……ひっ!」
 奥から聞こえた悲鳴に、テアは思わずその方を向いた。――少女だ。
「ち、……近寄らないでっ!」
 暗がりの中、カイの持った抜き身の剣が光を弾いている。少女の目は明らかにそこに固定されており、哀れなほどにガタガタと震えていた。痩せた体にもつれた肩までの髪。なりふり構わず逃げて隠れている、そうひとめで判る様相である。
「来ないで、来ないでぇ……っ」
「わ、私たちは敵じゃないわ、だから」
「いやぁぁぁぁっ!」
 動いたテアを認めて、少女が目を見開き、叫ぶ。
 青い目。
 随分と久しぶりに見た同じ色の目に、テアの気が一瞬逸れる。その僅かな隙に、少女は反対側の扉から表へと駆け出した。状況も忘れるほどの完全な恐慌状態だったのだろう。ひとり、逃げて廃屋の中。彼女の緊張は、とうに限界値を振り切っていたのだ。


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