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「だっ、駄目! 道に出たら……!」
 引き止めようと一歩踏み出したテアに、カイが制止をかける。
「静かに」
「でもっ!」
 くぐもった批難の声に、表からの悲鳴が被る。複数の足音と哄笑。騒動に便乗して現れた盗賊だ。
「おい、こいつ、シドラ人じゃねぇか!?」
「マジでか。……こりゃ、高く売れるぜ」
 少女の声は聞こえない。捕まり羽交い締めにされているのか、恐怖に声も出なくなったのか。
「た、……助けに行かないと!」
「駄目だ。巻き込まれる。あんたの安全が最優先だ」
「じゃあ、カイさんはいいです!」
 叫び、踏み出したところを再び大きな手が阻む。
「放してください!」
「あんたを無事に往復させることが依頼内容だ。他の者を救うことは契約に入っていないし、それが必要となる事態にあんたを巻き込むわけにはいかない」
「だからって、だからって……!」
「あんたは何のためにここまで来た」
「何の、って……」
「繰り返し夢を見る、辛い記憶から解放されたい、そう言っただろ? なら、それは何故だ?」
「何故って、それ以上、なにもないわよ!」
 突き放し、叫ぶ。
「見知った人が焼かれる夢を見たことある? それまで暮らしていた場所で両親も友人も殺されて、逃げて逃げて殺されかかる記憶! 見るのがどれだけ辛いか、あなたには判らないんでしょうね!」
「ないな」
「だったら――」
「気づいてないか? あんた今、アリッサとか言ったあの女と同じ顔してる」
「!?」
「自分の目の前しか見えてない顔だ。落ち着け。あんたが今出て行ったところで何にもならない」
 テアは瞬時に顔を紅潮させた。カイの言っていることは正しい。彼はいつだって冷静で頼りになる。
 だが今は、その落ち着きが憎い。
 テアは感情のままにカイの手を振り払った。無理矢理拘束する気はなかったのだろう。カイは目を眇め、ため息を吐く。
 この際、彼の思惑はどうでもよかった。容易く逃れたテアは、自分の中に鳴る警鐘が意識を支配しない内にと、勢い、表へと走り出す。
 少女を取り囲んでいた盗賊たちは、突然現れたテアに驚きの目を向けた。
「テア!」
 後ろにカイの声を聞きながら、盗賊の一人に体当たりを加える。血濡れた武器を持った男相手に、そう来るとは思わなかったのだろう。バランスを崩し、一番近くにいた仲間を巻き込みながら倒れ込む。
 その間にテアは、震える少女の腕を引いた。強引に、肩が抜けるほどに強く。
「痛っ」
 呻き、少女は恐怖に揺れる目で上を向いた。そこでテアの目を、同色の目を認め更に驚きに口を開ける。
「立って!」
「……させるか!」
 むろんのこと、そんな悠長なやり取りを見逃してもらえる状況にはない。だがここで逃げては意味がないのだ。少女の腕を掴んだまま転び横に逃れ、その先にあった瓦礫を投げつける。
「このっ……」
 盗賊のひとりが斧を振り上げる。咄嗟に目を閉じるテア。
 その間に、黒い影が割り込んだ。
「この、莫迦が!」
 怒鳴り、盗賊を蹴り倒したカイが、更に別の敵へと剣を向ける。その無駄のない軌跡は宙に残像を残し、正確に、容赦なく急所を切り裂いた。
「こいつっ……」
 一対多。だが、その技に盗賊たちは強い警戒心を抱いたようだった。全ての目が、一瞬カイへと集中する。そしてその隙を、テアは見逃さなかった。
 少女の手を引き、細い路地へと身を躍らせる。
「あっ!」
 気づいた賊が手を伸ばす。だが、細い女の体をしてギリギリの通路は、男の体を拒絶した。直後、肩から切り落とされる男の腕。それを視界の隅に、テアは路地を抜け反対側へと駆け抜ける。
「あそこにいるぞ!」
 何十メートルか離れた先から、怒りを帯びた声が上がる。
「けどっ、こいつ……ぐっ!」
「何やってる! お前らもかかれ! ひとりに何手間取ってやがるんだ!」
 逃げる背に聞こえる話を深く考える暇はない。ただ、カイが今のところ優位に戦っていることだけを認識し、テアは無我夢中に足を動かした。
 時折、そう遠くない場所で垂直に炎が走る。その光に照らされた道は、既にひと戦闘終えたと判るほどに荒れ果てていた。倒れ、動かない人影も少なくない。テアはそれらを故意に視界から外しながら少女の手を握る。
 後方に盗賊たちの足音と罵声、前方に領境の門。追いつかれるか逃げ切るか、微妙なラインだ。激しく抗議の声を上げる心臓と肺に、強ばった手足が更なる負担をかける。
 あと少し。
 額の汗を拭う。そして気力を振り絞り、引き攣る喉に空気を送り込む。――その横を、鋭い礫が通り過ぎていった。
「!」
 矢、と認識した次の瞬間、テアの足に激痛が走る。刺さってはいない。掠めただけだ。だが、その痛みに注意力が根こそぎ奪われる。
 勢い、テアを通り越した少女が振り向き、戸惑った視線を向けた。
「行きなさい!」
 ためらう少女に、強く怒鳴る。
「行け! 振り返るな!」
 おずおずと、しかし声の勢いに押されたように少女は背を向けた。そうして、再び門に向かって走り出す。領境の門、つまり現在最もルベイア軍が余力を残す場所が目前にあるのだ。テアさえ残れば、おそらく盗賊たちは少女を諦めるだろう。
 テアは、膝をついて息を吐いた。後悔と恐怖と、そこに何故か諦観にも似た安堵が同居している。
「――女」
 怒気を孕んだ声に、テアは低く嗤った。獲物を一匹捕まえたのだ。喜ぶべきことのはずが、今は散々振り回されたことへの怒りが上回っているようだ。
「何が可笑しい!?」
 次の声と共に、大気が唸る。くる、と判っていてもテアは避けることが出来なかった。
 頭に強い衝撃を感じる。それでも、硬い拳ではなく平手であったことは、賊にも存外理性が残っていた証拠か。
 力の方向に逆らわぬまま倒れ込んだテアは、強かに肩を打ち付けた。矢疵の残る方だ。砂利と砕けた瓦礫が強く頬が擦り、熱い感触が口の中に広がっていく。だがテアは歯を食いしばり、悲鳴だけは飲み込んだ。むろんそれは、意地以外のなにものでもない。
 それが更に盗賊の疳に障ったのだろう。横たわったテアの首に太い指が掛かる。
「ざけんなよ……」
 視界が霞んでいく。
 むろん、振り払う力は、――なかった。



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