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 (5)

 暴動の知らせに、シドラ地区暫定政府は、速やかに救援を要請した。後世の歴史家がまとめた資料を参考にするならば、暴動の規模は極めて大、それも旧王都以東から南方、つまりは山脈を中心として発生したものということになるが、むろんこの時全貌を把握していた者はいない。同じく彼に依ると「手探り、或いは殆ど手持ちの駒がなかったにも関わらず、効率的に軍を動かした結果、要の街道を占拠することに成功し、結果として暴徒が区域を越えて合流するのを防いだ」ことは歴史を俯瞰した上では評価に値するだろう。
 だが蜂起から半日が経過しただけの各地では、未だ暴力と狂気が大手を振って闊歩していた。
 時折小雨を投げつける灰色の空の下、武装した兵とその数倍にも及ぶ住民がギリギリのラインで膠着状態を保っている。双方血走った眼を相手に向け、得物を構えたまま、僅かな切っ掛けを待っているようだった。
 盗賊たちは、今は姿を消している。主義主張を持たない彼らは、昼に正々堂々と戦う気などないのだ。
 夜の空に吸い込まれた悲鳴の高さからすれば随分と静かになった町中では、時折建物の崩壊する音が響く。そのうちのひとつを近くに、ゆっくりとカイは目を開けた。
 昼か、と思い伸びをして、返り血のこべり付いた手の甲に苦笑する。完全に乾いて黒くなっていたそれは、慣れてしまえば汚いという認識以外には何も思わない。
 人の声のする方、即ち軍と住民がにらみ合いを続けている広場を避け、カイは大きく迂回して領境の門へと近づいた。この辺りにはまともに通り抜ける場所はなく、巨大な壁が行く手を阻むだけであるため、同じ門の近くとは言え通りかかる者はいない。
「そこの男、何者だ、止まれ!」
 唯一の出入り口を守っていた兵が、鋭い誰何の声を上げる。すぐさま奥から重装備の槍兵が複数人出てきたところを見ると、警備に抜かりはないようだ。
 肩を竦め、カイは派遣組合の手帳を提示した。
「組合の……? 何故こんな場所にいる?」
「昨日、着いたばかりだ。シドラ人の女を連れていた組合員、ってのを記録で調べてくれれば判ると思う」
「では何故、ひとりでいる」
「言わなきゃ、判らんか?」
 さすがに状況が状況である。それだけで、兵は察したようだった。
「帰還希望か」
「最終的にはそのつもりだが、ちょっと休ませてくれ」
「悪いが、今は正規の組合員と言えども便宜は図れん。施設の貸し出しは許可しかねる」
「そんな立派なもん、いらねぇよ。ここに逃げ込んだ連中と同じ場所でいい。どうせ、検問所は封鎖されてんだろ」
「――ああ。現在、王都方面で討伐隊が編成中だ。我々の任務はここを死守することで、それ以外の行動は許可されていない。悪いが」
「余計な手出しはするなってことだな」
 兵は、しかつめらしく頷いた。
 門とそれに付属する建物の中へ逃げ込んだ者は少なくはない。だが彼ら全てが無害な住民である保証はなく、当然領境を越えることは禁じられている。一カ所に集められ、ひとまずの安全だけが与えられた状態だ。自由はない。
 カイは一応の身体検査を受けた後、項垂れて座り込む人々の間へと割っていった。そうして、居ないな、と独りごちる。
 捜している、というよりは確認だ。居ないことの、それによって導き出される結論に至るための。出来るだけのことは行ったという対外的なアピールではなく、依頼を請け負った者としての最低限の義務だとカイは思っている。
 故に、そこに集まった人々を、ひとりひとり、つぶさに観察した。頭を抱え座り込む者、痛みに呻く者、泣く者、慰める者、それぞれが、自分のことで手一杯の状況だ。一方、この安全圏の外には武器を構えた同胞がいる。
 これがシドラという土地に根付いた民に共通する傾向なら、近く、完全にその名前は歴史から姿を消すだろう。彼らの暴動は何かを要求し訴えているのではない。ただ不満をぶつけているだけだ。己の嘆きにのみ従っているようでは、先はない。
 ゆっくりと避難場所を巡ったカイは、開始地点に戻り、長いため息を吐く。
 そうしてふと、彼は顔を上げた。悲哀色濃く漂うその場所に、いささか不似合いな怒鳴り声が響いたのだ。何事、と他の人々も首を伸ばしてその方を見やる。
「貴様ら、わしの物を奪う気か!?」
 どこにでも、状況を顧みない輩は存在するらしい。
 もう一度嘆息し、カイは騒ぎの方向へ足を向けた。

 *

 頬に当たる水滴に、テアは目を開けた。ぼんやりと映る視界に何度か瞬きを繰り返し、そうして慌てて身を起こす。
「……っ」
 途端、肩と足、頬に痛みを覚え、テアは声にならぬうめきを上げた。通常、防御反応として体を縮めるか、患部を押さえるかの行動を取るところだが、生憎と両手が後ろに固定されている。再び冷たい床の上に身を戻し、テアは急速に覚醒していく頭で今に至る状況を思い出した。
(ここは、どこだ……)
 窓から差し込む光で、今が昼であることは判る。崩れかけた壁や天井、室内そのものの様子からすると、国境の町トルーゼンからさほど離れてはいないか、そも、出てもいないかどちらかであるのは確かだろう。他の町或いは村であるとするには、室内の様式があまりにも酷似しすぎている。
 だが、それだけだ。具体的には何一つ判らない。
(とりあえず、体は無事、と……。肩も、折れてはいないし、外されてもいない。本当に売る気なんだわ)
 盗賊たちはテアに商品の価値あり、と見たのだろう。でなくば今頃、男たちの玩具になっている。
(だとしたら、当座はよほど酷い目には遭わないはず。でも、逃げ出しもできそうにない、か)
 そこまでを思い、まだ抵抗する気の失せていない自分に向けて苦笑する。無我夢中で後先考えずに無謀な行動に出たくせに、未だ命は惜しいようだ。
 身を捩れば、後悔と満足の中、頭の隅を男の顔が掠めていった。
(カイさんには、悪いことをした)
 悪態を吐きながらも盗賊に挑んでいった彼が、全くの無事であるとは思えない。
「――お」
 カイの身を思い、眉を顰めたテアの耳が、別の男の声を拾う。
「ようやく起きやがったか」
 唯一の窓から、鋭い目つきの男が顔を覗かせている。そこに下卑た響きはなかったが、むろん、友好的にもほど遠い。
 一度顔を下げた彼は、さほど時間も置かぬうちに今度は扉を開けて入り込み、口端を曲げままテアを見下ろした。
「寝てやがったら水でもぶっかけてやろうかと思ったが、残念だ」
「……それはどうも」


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