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 テアの冷えた声に、男は驚いたように目を見張ったようだった。敵愾心に満ちた返事を聞くとは思わなかったのだろう。だが彼にとっては残念なことに、テアは劣悪な環境にも一方的な暴力にもある程度の耐性がある。昨夜のような戦闘のど真ん中であるならともかく、人が緩やかに加える悪意にいちいち怯える可愛げは持ち合わせていなかった。
「それで? どこかに移動するんでしょう?」
「泣けとは言わんが、怯えるくらいしたらどうだ?」
「無駄な体力を使う気はないの。私は売り物になるんだから、余計な手間さえかけさせなきゃ、最低限の保障はある。違う?」
「……まぁ、物わかりのいい方が、助かるが」
 どこか釈然としない様子で、男は頬を掻く。
「今からここを出る。逃げようなんざ、思うなよ」
「言ったでしょ。無駄なことはしないわ」
 逆を言えば、無駄でなければ何かするということだ。それを鋭敏に察したか、男は獰猛な笑みを見せた。だが、声に出しては何も言わず、縛ったままのテアを軽々と肩に担ぐ。頬の削げた顔に反した、堂々たる体躯である。
 家屋の外は、相変わらずの曇天だった。雨になる様子がないのは幸いだろう。
「おい、ロビー。向こうの様子はどうだ?」
「相変わらず、睨み合ってるぜ。道の方にはちらほら」
「撒けるか?」
「厄介なのがいなきゃな」
 言い、別の盗賊がちらりとテアに視線を向ける。テアを担いでいた男は、それに合わせて首を捻ったようだった。
「口でも塞いどきゃいいだろう」
「違ぇよ。そいつの仲間だかなんだか知らんが、そいつを捕まえた時にやたら強い奴とやりあう羽目になった」
「ああ、それで……。仕留めたのか?」
「いや、逃げていった。それで、そいつが追ってこないか確かめて来たんで、遅くなったんだ」
 逃げた、のひとことにテアは深く息を吐いた。少なくとも、その時点でカイは無事だったと判り安堵の思いが満ちる。だが、そんなテアを嗤った男たちの顔を見れば、救援は期待するだけ無駄なのだとも判らざるを得ない。
 つまりは、わざとそう知らせたというわけだ。深読みに、テアは皮肉っぽい笑みを浮かべる。――そもそも、カイの指示を拒絶したのだ。今更助けに来てもらえるとは思っていない。
「遅いといや、マドックはどうした?」
「市民の暴動に参加するって紛れる予定だったと思うぜ? 早々に鎮火されちゃ、うまみはないからな」
「だな。せいぜい長く、揉めてくれた方がいい」
 その方が動きやすい、ということだろう。
「じゃあ、その間にずらかるか」
 男は頷き、テアを二頭の馬が引く荷台の上に乗せた。おそらくは「戦利品」なのだろう、雑多な荷物の中に埋もれるように収まったテアの上に、分厚い布が掛けられる。目隠しと転落予防を兼ねているのか、それが台の四隅に固定されてしまうと、もはやテアは身動きすら取れなくなった。
 そのうちに、馬は走り始めたようだ。アロファまでの道で村人と共に乗った馬車は精神的に居心地が悪かったが、こちらは身体的な苦痛が大きい。クッション性など皆無であるために、車輪の受けた衝撃がダイレクトにテアを襲う。
(キツ……)
 盗賊たちの人数や構成を含めた状況を探ろうとしていたが、どうにもそれは無謀であったらしい。手足を縛られた状態でなんとか踏ん張ることに精一杯で、微かに聞こえる会話や蹄の音に意識を向ける余裕がない。
 更には、大きく跳ねる度受ける苦痛に、そのうちテアは意識を手放したようだった。むろん、それがいつなのかも判らない。
 ふと途切れた記憶の後、気がついて目を開ければ、映る景色は一変していた、――という具合である。
「……図太い女だな」
 呆れたように呟いたのは、テアを覗き込んでいたロビーという男だ。
「おい、ベッツ。こいつ、何もんだ?」
「しらねぇよ。てめぇが連れてきたんだろうが」
 テアを荷台に乗せた男、ベッツが鋭い視線を返す。
「売りもんのあれこれを、詮索したところでしゃーねぇだろ」
「まぁ、そうだがよ」
 呆れた声のロビーが体を捻ったのに合わせて、テアは不自由な姿勢から体を起こす。荷台の上には違いないが、いつの間にか、他の荷物のあらかたは消え去っていた。ふと頭を巡らせば、馬に荷を括り付けている者もいる。要するに、ここで荷台を捨てるということなのだろう。彼らにとっての安全圏が過ぎた、ということだ。
 出発前に比べて暗くなっている、という気はしない。だが初めに目覚めたときでおよそ昼過ぎ、今は夕暮れに向かい影を伸ばしていっている時間帯だろう。完全に陽が落ちれば闇に紛れて移動できるという利点があるが、生憎と星も見えない天気では危険性の方が高くなる。特に、蜂起した住民が何を仕掛けているか判らない道だ。多少の戦闘による被害と不慮の事故による損害を比べれば、前者の方がコントロールの利く分ましといえる。
 盗賊たちの準備が一通り終わった後、テアはようやく手を解放され干涸らびたパンと水を与えられた。保存方法を間違えたと言わざるを得ない硬さだが、この際、体力を付けることが最優先である。文句を言う舌を騙しながらくどいほどに咀嚼し、テアは最後の一滴まで水を飲み干した。
「さて、お前はこっちだ」
 食事を終えた頃合いを見計らい、盗賊の中でも細身の男がテアを荷台から引きずり下ろす。またしても担がれ、ようやく下ろされた先はどっしりとした馬の横だった。細身の男が先に跨り、別の男が追い立てるようにテアをその前に座らせる。鞍の形は一風変わっていて、つまりはもとからふたり乗りを前提にしたものなのだろう。
 通常、大人二人が一頭に乗るには、如何にも馬への負担が大きすぎる。それをカバーするために耐久力重視の馬を選び、且つ乗り手の体重を落としたといったところか。
「暴れるなよ」
 低い声で、殺気すら含ませながら男がきつく戒める。そうして彼はテアを囲うように腕を伸ばし、手綱を握りしめた。後ろ手に縛られたままではバランスが取りにくいが、諦めて男に凭れてしまえば落下を危惧するほどの恐怖はない。
「行くぞ」
 ベッツが先導し、ロビーが最後尾に回る。そうしてゆっくりと一団は進み始めた。
 主には先を探るように歩かせ、人を認めるや荷物を持たない者が馬を走らせる。そうして金属を打ち鳴らす音と悲鳴が聞こえた道を、後続集団が慎重に通り過ぎるという寸法だ。時に目に入る人であった肉塊と朱い水たまり。それは巡回中の兵であったり、逃げている途中の住民であったり、時には同じく賊とひとくくりにされる別団体であった。
 混乱の中にあったとはいえ、堂々と町中に出没するだけの実力はあるということか。多少の怪我を負いながらも、一団はテアを連れたまま順調に行程を消化しているようだった。
 その様子が一変したのは夕刻。次第に暗くなっていく様子がわかり始めた頃だった。
「……まずいな」
 前方で話し込んでいる仲間を見て、痩せた男が呟いた。どういうことかとテアは疲れた頭の隅で精一杯言葉を拾う。
「軍の奴らがここまで?」


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