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 (6)

 刻はしばし前に戻る。
 騒ぎの中心地は、兵の方が圧倒的に多い厩舎の近くだった。
「いくら私物だと言っても、今は持ち出しは禁止されている」
「軍の正式な徴収か?」
「そうじゃないが……、一度ここへ入った以上、出ることはならん。暴徒や賊に通じたとさせてもらうぞ!? さぁ、馬をそこに預けなさい!」
「そう言って、奪う気だろう?」
「所有者の札くらいつけて保管する。それなら満足か!?」
 会話の内容を聞けばすぐに、こういった場合にありがちな騒動であると判る。安全対策としての平等を促す軍隊側に対し、個人の権利を主張する避難者、どこでも見る光景だ。用あって通り過ぎる一般人も、関わりになりたくないとばかりに僅かに逸れて去っていく。
 だが、今この場は少しばかりそれから逸脱しているようだった。怒鳴る町民の近くで、痩せた少女がしゃくりあげている。彼女に目を向け、カイは僅かに目を細めた。
「騒々しいが、どうした?」
 第三者が割り込むことを由としない軍人も、さすがに辟易していたのだろう。カイを認め、派遣組合の人間であると判ると、あからさまに疲れたような顔で首を横に振った。
「君も言ってやってくれ。ここに避難してきた限りは、最低限のルールを守る、それが当然だろう?」
「なんだ、こいつは!?」
「派遣組合の戦闘要員だ」
 むろん、そう告げたのはカイ本人ではない。
「判っただろう。民間で腕の立つ人間もここでおとなしくしているんだ。どれだけ外が危険か、判るだろう?」
「怖じ気づいて逃げてきただけかもしれないだろ?」
「組合に戦闘要員として登録されているからには、少なくとも君よりは強い。彼が逃げてきたというなら、君には逃げることすらできないだろう」
「やってみなきゃ判らんだろう!」
 理論と運とはそういうものだ。
 どちらも正しい、そう思いながらカイはふたりよりも視線を下げ、少女へと目を向けた。
 ――乱れた、肩までの髪。
「お前、強いのか?」
 男の問いかけに、カイは曖昧に頷いた。
「なら、お前が――」
「いい加減にしなさい!」
「狗は黙ってろ!」
「……なっ!」
「お願い、助けを出して下さい!」
 突然、蹲った少女が、涙混じりの声で叫んだ。一瞬驚き、だが兵は気の毒そうに目を向け、煩わしさを持って彼女を振り払う。
「お願い! お姉さん、まだここにいないんです、だから……!」
 少女の懇願を受けて、男は兵たちを批難の目で薙いだ。
 成る程、とカイは深く息を吐く。男は、少女の願いを叶えようと、兵に食い下がっているのだろう。だが、通り過ぎる人々の態度は、兵に同じだ。憐れと思い胸を痛めるが、願いを聞くことなどしない。誰しも余裕などなく、自分のこと、或いは今後のことで手一杯なのだ。
 そんな人々を横目に、カイは少女に近づいた。そうして、一切の期待をさせないような冷えた声で話しかける。
「それは、どんな人だった?」
「え……」
「お前の言っている女のことだ」
 怯え、だがそこに一縷の望みを見いだしたのか、少女は震える唇を開いた。
「髪の長い……、あたしと同じ目の」
「そうか」
 呟き、カイは立ち上がる。それだけで、充分だった。
 ――テアは愚かだった。彼女のとった行動は如何にも愚かだった。だが、それをしっかりと貫いたのだ。
 驚き、声も出ない少女から離れ馬に手を掛けたカイに、ルベイア兵が慌てた声を上げる。
「お、おい、あんた!」
 カイの気にあてられたか、馬が興奮したように嘶いた。
「それは、……! 何をする!?」
「借りるぞ」
「!?」
 男に顔を向ければ、彼は驚いたように目を見開いた。だが、あくまでも静かなカイの態度に感化されたのだろう。ややあって深く息を吐き、真剣な目で首肯した。
 慌てたのはルベイア兵の方である。
「ならん! 持ち出しは、いや、ここから出ることは禁じられている。討伐隊は編成中だ! 勝手な行動を取るな!」
「悪いが、契約でね」
「国に逆らうのか!?」
「組合の規定にある。『国の方針には従うべし。ただし、顧客の安全が契約内容に含まれる場合に限り、生命の危険があると判断された時点を持ってその回避を最優先事項とする』」
「君ひとりでは無理だ!」
「やってみなきゃ判らんさ」
 薄く笑うカイに、兵たちが揃って一歩後退さる。
 その隙を縫い、カイは素早く馬の背へ跨った。急な衝撃に馬はぶるりと躯を震わせる。荒事に対応できるよう訓練された軍馬ではないようだが、この際、人に慣れていれば充分だ。
 馬を進めれば、自然、人垣は割れた。
「おい! 止めるんだ! ――入り口を塞げ!」
 我に返った兵が、思い出したように叫ぶ。だが、遅い。
 開いたままの門、閉めようと動く兵、駆け寄る馬、結果は火を見るよりも明らかだ。
 任務を忘れ引き攣った顔で逃げる兵を横目に、カイと馬は悠々と通り過ぎた。

 *

「怖じ気づいてんじゃねぇ!」
 ロビーが唸る。
「大人数で来たって判る! 相手もせいぜい数人だ。いつも通り迎え撃て!」
 その落ち着いた対応に、動揺を顕わにしていた数人も気を取り戻したようだった。頷き、それぞれの得物を手にその場からひとりふたりと離れていく。相手の位置が判らない状況で、群れていては集中攻撃を受ける可能性が高い。
 ベッツと、痩身の男もまた駆けていった。テアもいつでも逃げられるようにと戒めは解かれたが、斧を手にしたままのロビーが彼女の一挙手一投足を注視している。
「まさか、追ってくる奴がいるとはな……」


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