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 寸でのところで剣の鞘でそれを受けたカイはためらいなく剣を捨てると、反対の手で掻いた土を投げつけた。
「くっ!」
 暗闇の中、ただでさえ悪い視界に目つぶしは如何にも効果的だ。否、反射的に目を瞑った男は結果としてそれをまともに食らうことはなかったのだが、その一瞬の隙が致命的なものとなった。
 肩に強い衝撃。右、次いで左。関節が外された、と思ったときには男は既に地面に倒れていた。何、と思う間もなく膝の骨が砕かれる。
「うああぁぁぁぁぁっ!」
 ひとしきり叫び、数秒後、彼の声は唐突に途絶えた。
 あっけない結末。否、カイが、あっけなく終わらせた。
 剣を拾い、何事もなかったように立ち上がる姿に、ベッツは引き攣ったような呻きを漏らした。それを頭の上に聞きながら、テアも同じく言葉をなくす。
「他には?」
 静かな声が風に乗り届く。伏兵は存在しないのかと言っているのだろう。
「……知るか」
「居ないようだな」
「てめぇのおかげでな」
 吐き捨て、ベッツはテアを前に押し出しながら苦々しげに問う。
「どうしてこの場所が判った」
「答える必要があるとでも?」
「この女を殺されたくなきゃな」
 ロビーと同じく、ベッツもまたテアを疑っているのだろう。別れ際になんらかの対処をしていた、そう踏んでいるに違いない。
 カイは、緩く頭振ったようだった。
「この山の中で場所を特定するのは無理だな。山道も、俺にはさっぱり判らない」
「じゃあ……」
「だが、目印がちゃんとあったんでね」
 にやりと嗤うカイに、男たちが怪訝な顔を向ける。
「軍との交戦の後、突然消えた移動の跡、そのあたりから始まる踏み荒らされた光茸の群生。なぁ、目立つだろ? 明るいと、全く判らなかっただろうがな」
「!」
「笑えるほどにお粗末だ。ねぐらを転々と変えることで軍の探索を出し抜いてたんだろうが、もとからある地の利の上に胡座をかきすぎたな」
 低い声が、容赦なく賊を打つ。
「戦は、刃を交える前から始まっている。念入りに見回り、地形を知り特徴を識り、そこから全てが組み上がる。――そう、たたき込まれたはずだろう、ベッツ・リーデル」
「!? ――何!?」
 驚愕に引き攣る声。だが即座に我に返ったベッツは、食い入るようにカイを見つめた。そうして、呪うように喉を鳴らす。
「てめぇ、カイか! ――畜生!」
「気づいてなかったとは、間抜けな話だ」
「生憎と、偽善者に尻尾振って甘えてたガキをいつまでも覚えているほど暇じゃないんでな」
「偽善者、ね」
 カイの声が一段と低くなる。
「それが、裏切った理由か」
 テアは、はっと息を呑んだ。
 ルベイア対シドラの戦争末期、追い詰められたシドラの状況を加速させたのは一部の傭兵の裏切りだ。それにより被害を受けたのは、主にはシドラ国内の民だったが、むろん、それだけに止まるわけはない。
 ――終戦の年に所属してた傭兵団が解散して……。
 カイの経歴を思い出し、テアは硬く目を閉じた。つまりは彼も、裏切られたひとりだったのだ。自ら解散したのではない。ベッツとカイの言葉を深読みするならば、裏切り者たちが傭兵団の頭を害し、そうして己の心のままに契約を破棄して暴れたということになる。
 そうして、テアは思い出す。
 かつて故郷を、ダーレの村を襲った者達は、喰いあぶれた盗賊でもルベイア兵でもなかったのではないか。不揃いな服装と用意周到な計画、それらの意味するところは。
「……まさか、あなたたちがここを襲ったの?」
「ああ?」
「10年ほども前、この村を襲ったのはあなたたちなの!?」
 震え、しかしどこか鋭い声に、ベッツは鼻白んだようだった。テアの喉に刃を滑らせ、朱い筋を残した後で低く嗤う。
「こんなシケた村、襲うかよ。――まぁ、他の奴らの中で、そういう計画立ててた奴は居たがな」
 一括りにするならば、ベッツも彼らの仲間ということだ。単に、襲撃した場所が違うだけに過ぎない。
 拳を振るわせたテアを認めて、ベッツは殊更に短剣をちらつかせた。そうして、後ろからテアの髪を掴みあげる。
「親の仇ってわけか? くだらねぇこと考えてんじゃねぇよ」
「くっ……」
「カイ、てめぇもだ」
 カイはおそらく、傭兵団の頭を慕っていたのだろう。かの人の趣味につきあわされていた、と語っていたカイの口調を思い出してみても判る。
 だがカイは、それについては冷笑をもって報い、肩を竦めてベッツに問いかけた。
「それで? 丸腰の女を人質にとってお前は何を要求するんだ?」
 じり、と近づくカイに、ベッツは緊張を走らせたようだった。テアに突きつけている剣に力がこもっている。
「要求すんのは俺じゃねぇよ。この女をどうか返してくださいって、頼み込むのはてめぇだろ」
「俺が? 何故?」
「国はシドラ人の保護をやってんだろ? ここまでどうやって来たかは知らんが、てめぇが護衛やるってんで領境を通してもらえたってことだろ」
 この辺りを根城にしているだけあって、さすがに情報には通じているようだ。
「つまりてめぇは、この女と一蓮托生ってわけだ」
「そうとも限らんが」
「国の狗に成り下がった奴に何が出来る。組合とやらは、国の方針に逆らわないんじゃなかったか?」
「そうだな」
「はっ、認めやがったよ。じゃあ尻尾巻いて、とっとと目障りな姿を消しな」
「断る」
 短く、だがはっきりとカイは言い捨てた。
「お前こそ、楽な稼ぎに味を占めて、脳みそ腐らせたようだな」
「……何?」
「抜けたこと言ってんじゃねぇ。国が勝手に押しつけてくる約定なんざ破ればいい話だろ。リスクを引っ被る覚悟さえありゃどうとでもなる。そうやって俺たちは血と臓物の海で生き延びてきたんだろうが」
 なぁ、と同意を求めるカイの目にテアは背筋を凍らせた。カイが道中、彼女に向けていた声音、口調、そして表情とは全く異なる、別人のような冷酷な色を帯びている。それはおそらく、テアが生涯理解することのない、凄惨な修羅場を自分自身の意志で超えてきた者だけが持ちうるものなのだろう。


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