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「別に、敵討ちなんざ考えてなかったからな」
「そう、なんですか?」
「裏切り自体は許せた話じゃないが、奴に斃されたのは、義理の親父――傭兵団の団長や俺の力不足だ。団内で意見が割れた。その結果、戦って俺たちが負けた。弱かったから悪い。だからその点に関してはなんとも思わないんだ」
「じゃあなんで、カイさんは何度もシドラに来てるんですか?」
 前から思っていたことだ。カイは頻回に南へと旅している。単純に、厄介な依頼を受ける者が他にいないからだと考えていたが、彼の因縁を知った後はではとてもそれだけとは思えない。
 指摘に、カイは口の端を曲げたようだった。
「嫌な処を突く」
「あ、……えと、ごめんなさい」
「いや、その通りだ」
 カイがふと深く息を吐けば、前に小さく揺れていた炎が波立った。
「俺たちは人を殺す。そこにあまり罪悪感は感じない。だけどけして気持ちの良いもんじゃない」
「……」
「俺のいた傭兵団は少し変わっていた。親父は義賊たらんとしたんだろうな。戦争みたいな善悪入り乱れるような場合はともかくとして、小さな依頼はいつも立場の弱い方に付くようにしてた。依頼人は裏切らない。たとえ傭兵の間にある不文律に反してでも、他にある国内での決まり事を破ってでも、依頼は遂行していた。まぁようするに、ずっとそこで育ってきた俺にしてみれば、それが当たり前で、誇らしかったんだろうな」
 だからこそ、契約の途中で裏切ったベッツたちを許すことができないのだろう。恨んではいない。仇とも思っていない。だが、その行動自体を彼は嫌悪し続け、そして裏切り者達を追ってしまうのだろう。
「断っておくが、奴らがいつまでもシドラに残ってるとは思ってない。だからシドラに何度も来たのは奴らを探すためじゃなく、――多分、悪いと思ってるんだろうな」
「悪い?」
「俺たちの傭兵団も含めて、傭兵たちの裏切りがなきゃ、末期にここまで酷い状態になることはなかったから」
 ああ、とテアは思う。テアの事も、彼の謝罪のひとつなのだろう。彼にとっては無意識で、だからこそ余計に質が悪い。彼の行動はあまりにも、孤独に沈んだ者に期待を与えすぎるのだ。
(何を――贅沢なことを)
 頭振り、テアはふとカイに目を向ける。
「カイさんは、あれからどうしたんです?」
 むろん、テアの無謀な行動により別れてからの事だ。
「その、来ていただいてありがとうございます」
「……そういう契約だろう」
「でも、カイさんの言葉を無視したのは私ですし、それで実際、危険なことになったわけですし」
 カイは護衛としてはかなり優秀なのだろう。だが、いくらそうであろうとも、護衛対象自体が無謀に過ぎるのでは、彼もフォローしきれまい。
 それに、とテアは思う。ふたりの間に交わされた契約は、安全保障を含めていたとしてもあくまで道案内という括りに入る。そういう意味では、カイは自分の身を犠牲にするようなところまで求められていないのだ。
「一旦は、避難所まで行った。その時点では、あんたが奴らから逃れられたかは判らなかったからな」
「すみません」
「謝る必要はない。場合によっては、軍に任せた方が良いと思ってたくらいだからな」
 微妙な言い方に眉根を寄せるが、カイの方は詳しくは語る気はないようである。火に枯れ枝を足しながら灰を隅に除け、数秒の沈黙の後に彼は再び口を開いた。
「街を襲っているときの奴らの手口や戦い方から、人殺しも略奪も冷静に仕事と見なしてやれる同業者が混じってるのは判ってた。だからある意味、奴らの行動パターンは俺には判りやすかったよ」
「移動するタイミングとか、ですか?」
「あとは拠点にするだろう場所の見当かな。何回か来ているから知っていたが、領境の街から三叉路までは、街道になってる一本道かそれに沿った脇道くらいしかまともに進める所がないんだ。だから、とりあえず三叉路まではそのまま進んだ。そしたら軍が陣を作ってて、そいつらから情報を貰って山に入ったってわけだ」
 その後は馬蹄の跡や、テアが意図して残した道しるべを頼りに後を追ったという。
「ご迷惑、おかけしました」
 さらりと言ってはいるが、大変な労苦だっただろう。――なんと自分は、迷惑な客か。
 自嘲するテアに、カイは何も言わなかった。ただ、困ったような顔を向けている。
(駄目だ、せめて、今からでもしっかりしないと)
 これ以上気を遣わせるわけにはいかないと、テアは己を叱咤した。そうして周りを見回し、改めて問う。
「あの、ここはどこですか?」
「さぁ? 遺跡の近くなのは確かだろうが」
「そ、そうですよね。……ごめんなさい」
 遺跡の端から落ちたのなら、それ以外にはあり得ない。
「あ、でも、こんな建物見たことありませんけど」
「新しいものじゃなさそうだが」
「ですよね、……あはは、私、このあたり出身なのに、全然役に立たないですね」
 無理矢理笑い、テアは腰を浮かした。少なくとも、初めてここへ来たカイよりは土地勘がある。落ち着いて見回せば何か目印になるものが見つかるかも知れないと思ったのだ。
 だが。
「座れ」
「え?」
「座って、体の力を抜け」
 命令口調ながら、声音は不思議と柔らかかった。何故か逆らうことが出来ず、テアはへたりこむように腰を下ろす。
 その肩に、カイの手が触れた。
「先に謝っておく」
「え……」
 何、と上げた頭を、肩ごと引き寄せられる。気がついたときにはカイの腕の中で、羞恥より先に驚きが頭の中を駆けめぐった。――暖かい。
 そこに、静かな声が降る。
「遅くなって悪かった。――辛かっただろう」
「……」
「ごめんな。本当はこんな形で見せるつもりじゃなかったんだ」
 何故謝る。最初に彼の手を振り払ったのは自分の方なのだ。
 そう言いかけて、テアは喉を引き攣らせた。抱くというよりも添えるといった、優しい温もりに沈んでいた感情が湧き上がる。
「ごめんな」
 もう一度、カイが繰り返す。
 彼が謝る必要はない。何もかも、自業自得なのだ。そう言おうとするが、言葉が、声にならない。口を開けばそれは、小さな嗚咽となった。
 不意に、目頭が熱くなる。
 ああ、泣いているんだ、と思ったときにはもう、ほろほろと、大粒の涙が頬を滑り落ちていた。
 甘やかすな、と思う。気を張っていなければ生きていけないのだ。自分のすることには責任を持たなければならない。甘えるよりも先に、やることはいくらでもあるのだ。
 だが、抗うには困難な温もりがある。支えてくれる優しい手がある。
「……っ」
 本当は、怖かった。打ち付けた体は今も痛い。
 場面を遡れば見たくもない光景を思い出す。焼き尽くされ、廃棄された故郷。胸の奥が軋むように痛い。
 痛い。痛い、――だが、それよりも何よりも、ただ、哀しい。
「う、あ、あぁぁぁぁぁっ」
 震える慟哭が、石造りの建物を叩く。カイは何も言わなかった。ただただ、静かにテアの背を撫で続ける。
 それはまるで父のようで母のようで、なくした故郷が、感情を吐き出すことを許してくれているようだった。




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