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 *

 しばらく後、ようやく呼吸が落ち着いてきた頃、テアはゆっくりと身を起こした。
「その……済みません」
 今更のように羞恥がわき起こり、まともにカイの顔を見ることが出来ない。体を離したのは良いが、それ以上何も言えずにテアはもごもごと口の中で謝罪を繰り返した。
「落ち着いたか?」
「……はい」
 カイの方は、笑っているようである。敢えて分類するならばそれは、「微笑ましい」といった表情なのだろう。軽く撫でるように頭に落とされる手が、それを如実に示している。
 朱い顔を両手で隠しながら、テアは口を尖らせた。さすがに、ここへ来て子供扱いはないだろう。
(カイさんからしたら、子供なんだろうけど)
 思い、もやもやする気持ちを振り払うように立ち上がる。
「そ、そういえば、どれくらい経ってるんですか?」
 ひとしきり泣いてすっきりしたのだろうか。聞きたいこと知りたいことが不思議なほど浮かび上がってくる。普通ならばすぐに疑問に思うことに意識が向けられなかったほど、目覚めた直後のテアは混乱を来していたのだろう。
 はけ口を提供し、落ち着かせてくれたカイには感謝してもしたりないが、どこか素直になれない自分が居る。テアは複雑な思いに強く頭振った。
「暗いので判りませんけど、どれくらい寝てたんです?」
「俺も何度か仮眠を取ったからな。正確にはわからない。ただ、そうだな、一度外に出たときはまだ真っ暗だった」
「外? 森の中ですか?」
「ああ。さすがにあんたを背負って上まで行けそうにはなかったから、明るくなるまで待つつもりだった。ここは入り組んだ建物の奥だ」
 さすがにカイに土地勘はない。山道に出たところでどこへ行き着くのかも判らないとなれば、おとなしくテアの目覚めを待つ方が先決だと判断したのだろう。入り口付近で休まなかったのは、盗賊の生き残りに見つかるのを警戒してのことか。
「ただ、正直なところ、明るくなっても移動できるか判らない。急斜面の、とっかかりみたいな処っぽいから」
「そう、ですね。あんまり遺跡の向こうに行くな、と言われてました。でも、ここは? ――遺跡の一部なんでしょうか?」
「そうみたいだ。向こうに行けば、壁画みたいのもある」
「え?」
「やたら狭い通路がある。あんたを放っておけなかったからそう探索はしてないが。もしかしたら、上に繋がってる部分があるかもしれない」
 テアの記憶の中にある遺跡、もとい円形の舞台には、他には何もなさそうだった。だが現実に、ここに彼女の知らぬ遺跡の一部がある。
「探索、してみるか? 体が辛くないなら、だが」
「行きます。大丈夫です」
 このままカイとふたりきりで居たところで、そのうち落ち着かなくなってくると想像に易い。多少の痛みはあるが、どうすれば痛くなるかさえ把握してしまえば、行動に支障を来すほどではないだろう。
 苦笑して立ち上がったカイは、ポケットから出した蝋燭に火を移し、他を全て消した。随分と暗くはなったが、歩く分に差し支えはない。
「足下に気をつけて」
 頷き、成る程と思う。並んでふたりがどうにか通れる程度の通路は一部崩れ、床に尖った石をばらまいているのだ。
 カイの言う壁画は、少し進んだ先に存在した。蝋燭の明かり程度でははっきりとしないが、そう鮮やかなものではないようだ。長い年月を経て、退色が著しい。煤けた様子があるのは、人が何度も出入りしていたことを示すのだろう。
「あんたの村は、これを祀っていたのかもな」
「え? そんなことは――」
「芸術的な価値はなさそうだが、古代の信仰を知る上では重要なものかもしれない。ほら、あそこ。人が何かを崇めてる絵がある」
 指摘に、テアは視線をあげた。確かにそれらしきものはある。
「死生観ではなさそうだな。となると、墓所とかそういう類のものじゃなさそうだ」
「詳しいですね」
「素人知識だ。言ったろ。ボスがこういうの好きだったんだって」
 受け売りという割には、視線に込められた興味が半端ない。亡くなった傭兵団の長は、彼に多大な影響を残したようだ。
「だが、崩れやすそうだな。そこ、気をつけて」
 壁の一部に妙な出っ張りがある。穴の空いた箇所を丁寧に補修してあるようだが、年月には逆らえなかったのだろう。少しずつ、その部分がずれてきているのだ。
 成る程、これでは確かに、子供が力加減も知らずに遊べば、ひとたまりもないに違いない。
「なんだかだんだん、狭くなってますね」
「そこから先はもっと狭くなる。交代だ。俺が先に行く」
「なんでです?」
「そこまでしか探索してない」
 安全が確認できていない、ということだろう。彼に逆らう理由もなく場所を空け、テアは彼の後ろに従った。
 指摘通り、それと判るほどに道は幅を狭めていく。それに伴い壁画は天井へと描かれるようになり、そうなると、頼りない灯りでは何が示されてるのかも判らない。ただ、大切に保管されていただろうことは考えるまでもなかった。蜘蛛の巣が張り、黴が生えている。だがそれは人がいなくなった、せいぜい数年分のものだ。
 大人たちは、ここで何を守っていたのだろう、とテアは思う。そうして自分は何を受け継ぐべきだったのかと。
「カイさん」
 あの時はそこまで考えていなかった、と思いながら疑問を口にする。
「何故、私に、死ぬか生きるかを聞いたんです?」
 ちらりと振り返り、カイは言いあぐねる様子で後頭部を掻いた。それを見て、テアはやはり、と自嘲する。
 生きたい、と言えば彼はあのまま場を去っていたのだろう。全てを捨ててでも生きることに固執するなら、それが正しい方法だったからだ。捨てきれない思いと共に死を選んだからこそ、カイは外すかも知れぬナイフを投擲した。
「ちょっと違うな」
「どこが、です?」
「覚悟のない奴は、反射的に動こうとする。だから、あんたの覚悟を聞くまで投げられなかったんだ」
「投げるところ、全く見えませんでしたけど」
「それでも、な」
 笑ってはいるが、さすがにカイも全く外さないという自信はなかったのだろう。
 そうした話を繰り返している内に結構な距離を進んだのか。ほどなくしてふと、カイが足を止めた。何事、と問う前にテアもまた立ち止まる。


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