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 (7)

 意を決して扉を開ければ、そこは以前と同じような混雑ぶりだった。新たに入ってきた者を一瞬認め、すぐに興味をなくして視線を外す。
 妙な既視感に苦笑しながら頭を巡らせば、目的の人は丁度先客に手を振っているところだった。
「おや、いらっしゃい」
 近づいたテアに目を見開き、すぐに受付の男、ヒューイは人懐っこい笑みを浮かべた。
「今日はどうされました?」
「あの、……カイさんは今こちらには?」
「カイですか? ええと」
 こめかみを掻きながら、ヒューイは分厚い帳面をめくる。
「今は任務中ですね。いつまでとかどこに、とかは教えられませんが」
「そうですか……」
「どうしました? 何かの依頼ってわけじゃなさそうですけど、よければ話、聞きますよ?」
 忙しい、というほどの時間帯ではないようだ。基本的にヒューイは案内役であって、依頼を直接受け付ける役目にはない。彼の代役はやろうと思えば他の役員でも可能であり、そういう意味で彼を少しの時間拘束しても問題ではないのだろう。
 勧められるままに椅子に腰を下ろし、テアは少し逡巡したあとで口を開く。
「あの……、組合って基本的に、国の方針には逆らえないんですよね?」
「え? はい、まぁそうですねぇ。一応国の機関ですから」
「じゃあ、それに逆らってしまった場合って、どうなります?」
「そうですね。簡単な例でいくと、禁足地に入った場合などは、故意であれば登録削除の上で国の裁判にかけられますね。もしかそれで某か重要なものに被害を与えてしまった場合などは、結構な重犯罪になると思います」
 予想通りの答えに、テアは息を呑む。
「このところ、そういった報告はありませんが、カイが何かしたんですか?」
 さすがに真剣な目を向けるヒューイに、テアは事の経過をかいつまんで話した。要は、シドラの暴徒及び盗賊に対しての対策が定まる前に、勝手に馬を飛ばした事が、どの程度違反になるのか、ということである。
 聞き終えて、ヒューイは苦笑いしたようだった。
「なるほど、あの件でしたか」
「何かご存じなんですか?」
「ええ。あなた方が出発してすぐにカイから私信がありまして。どうもきな臭いので、いざとなれば組合との契約を解除する、とかそんなのが書いてありました。
「え!?」
「国の方針に従うっていうのはあくまで組合と国の間の取り決めですので、組合から脱退すれば、あとは個人の問題だからと、まぁ要するに、いざとなれば組合を蹴ってでもあなたを助けに行くつもりだったんでしょうね」
 言われ、テアはさっと蒼褪める。
「ああ、心配しないでください。派遣組合の基本規定に『生命の危険を回避することが最優先』とちゃんとあるんですよ。だから、そういう場合は軍の行動を妨げたりしない限りは、多少のことは許してもらえます。カイには、そういう規定があるって報せたはずなんですが」
 しばし記憶を探り、テアはひとつ頷いた。確か、トルーゼンでカイが組合からの手紙を受け取っていた。あれがそうだったのだろう。
 安堵の息を漏らせば、ヒューイは若干呆れたような顔を向けた。
「それ、カイに直接聞けば良かったんじゃないですか?」
「それが、領境の門に戻った後は、事後処理があるとかでそこで別れることになってしまったんです。帰り道は、シドラ領内に居た人の避難の為に軍が手配した馬車に便乗させてもらいました。そこで、知り合った女の子から、避難所でのことを聞いて初めて知ったので」
「あー……、あの人、目端が利く割に、そういうところのフォローが抜けるんですよね。自分のことには案外無頓着というか」
 否定できずに、テアは曖昧に笑って誤魔化した。
 そうして、もうひとつの用件を思い出す。
「あの、無頓着と言えば、……料金のことなんですが」
「はい?」
「依頼時の八日というのを結果的に二日オーバーしてしまいましたけど、差額はどうなりますか?」
 厳密に言えば、避難所へたどり着いた後、旅を始めて六日目の朝にカイとは別れている。だが、王都まで戻って来たのは十日目の朝だった。避難民の登録や近隣の村への寄り道があったために、往路よりも一日長い行程となったのだ。カイに頼まれていた依頼完了書を提出したのはその時で、記録としては十日間の拘束となっているはずである。
 テアの言葉を受けて先ほどの帳簿を検索したヒューイは、該当項目を見つけたのだろう。若干困ったような様子で顔を上げた。
「あの、差額はちゃんと払います。……分割させてもらえれば助かりますけど」
「あー……」
 顎を手で支え、言いにくそうに、ヒューイは曖昧に笑う。
「気にしない方が、いいと思うんだけどなぁ」
「でも、そういう規定ですよね? 請負人の明らかな過失でない限り、負担は必要最低限依頼者で行うって」
「まぁ、それはそうだけど、あの人が勝手に引き受けたことでもあるし……」
「?」
「その、ねぇ。こう言っちゃなんだけど、規定とかなんとかまともなルートを通すなら、とても、払える金額じゃないと思いますよ」
「? 二日延長ですし、ランク5なら、一年ほど猶予をもらえたら、なんとか払えると思いますが」
「あー……」
 ぼりぼりと、ヒューイは頭を掻く。
「うん、まぁそうなんですけど。だけど、……ああ、もう、はっきり言ってしまうと、あの人、あなたの依頼内容の場合、ランク5扱いじゃないんですよ」
「え?」
「カイがちらちら示してたランク5っていうのは、総合的なものです。技術ランクってのは手帳の中に書いてあって、依頼内容によっては、そちらのランクが参照されるんです」
「それじゃ、総合ランクって何のためにあるんです?」
「うーん、例えば今回の依頼ですと、旅の快適さを含んだ指標ですかね。どれだけ色んな範囲に気がつくか、手慣れているかってわけです。極端な話、総合ランク10、戦闘ランク1だとすると、純粋な護衛としては最高だとしても、宿の手配とか、道案内とか、各種交渉などが全く駄目ってことです。カイの場合は特殊な状況を除いてまぁ無難に何でもこなせますよって感じです」
 なるほど、とテアは頷いた。旅程に於いてテアが何の手配もせずに済んだのは、彼の総合技術あってのことというわけだ。
「でもそれじゃ、今回は本当は戦闘ランクっていうのを基準にしなきゃならなかった、ってわけですか?」
「そうです。シドラは第一級の危険区域。さらに本当に暴動が起こってしまったとなれば、戦闘ランクに準じます。そして、カイの戦闘ランクは2+です」


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