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「……偶然、じゃなかったんですね」
「はは。偶然ぶつかった人物が、殆どただ働きの域で依頼を受けてくれるって偶然か? 本当にあったら凄い話だが」
「ですよねぇ」
「でもまぁ、それなりに運は働いたよ。俺が食事を乞うたのは前段階として、たまたま組合に詰めてる時にあんたがやってきた。それで悩みの内容が俺に解決できるものだったって運がな」
 確かにその通りなのだろう。だがどこか釈然としない。まかないの雑炊一杯が何十クルダに変換されるなど、偶然と恩で付加価値をつけたとしてもおかしすぎる。
 そんな複雑な気分を読み取ったか、カイは椅子に凭れながら付け加えるように言った。
「あんたが悩むことはないよ。金の問題なら解決してる」
「どういうことですか?」
「ベッツを含めた盗賊の討伐料を軍からふんだくっといた」
 唖然、と口を開くテアに、カイはにやりと笑う。
「奴ら、相当悪さしてたみたいだな。結構な額になったよ」
「……なんていうか」
「図太いところは、あんたに感化されたんだろうさ」
 言いながら、カイは席を立つ。釈然としないものを感じながら、テアは慌てて彼の後を追った。
「あの、食事は?」
「雑炊、いや、粥か。まぁそれ、ないんだろ? あれを食べる気できたから、他はいいや」
「今からでよければ作りますよ」
「いや、このあと任務がまたあるからな。帰って寝る」
 あまりにもあっさりと去ろうとするあたり、本当はテアの様子を見に来ただけなのかも知れない。
 扉を開けて出て行くカイに、テアは食い下がるように袖を掴んだ。
「待ってくださいってば!」
「何?」
「カイさんは良くても、ですねぇ! いろいろ予定外に助けて貰って何のお礼も出来ないんじゃ、私の寝覚めが悪いんです!」
「気にしなくて良いのに」
「してるから言ってるんです!」
 初めての依頼でいい人に当たった、運良く安くで済んだ、と幸運だけで済ますには、あまりにもカイの手助けは大きすぎる。盗賊の討伐料金とカイは言ったが、それはそれ、だ。テアが迷惑をかけた結果の副産物でしかない。
 店を出たところで立ち止まったカイは、何度か瞬いてテアを見下ろした。
「私に出来ることなんてたかが知れてますが、シドラ地区の案内とか、そういうので人手がいるようになったら、いつでもただ働きしますので」
「ああ、――うん」
「他に、お礼になるようなことがあったら、何でも言ってください」
「礼、――ねぇ」
「それは、……カイさんに出来なくて私に出来る事なんて、たかが知れてますがっ」
 繰り返し言いながら、情けないと自分を恥じる。思えばこの数年間、辛い境遇から抜け出すためにと自分を磨くこともしていなかった。せめて何かの技能を付けていれば役に立てたものを、と今更ながらに後悔する。
 だが、そんなテアを見て、カイは何かを思いついたようだった。
「じゃあ、今から礼とやらを貰おうか」
「今、ですか?」
 首を傾げたテアの前が陰る。何、と思うまでもなく、瞬時に近づいたカイがテアの顎に手をかけた。
「……!」
 驚く暇もない、否、驚くほどの事ではなかったのかも知れない。
 テアの口角、殆ど頬である部分に軽いリップ音。何かが触れた、と思ったときには既にカイの顔は離れていた。
「ごちそうさま」
 にやり、としか言いようのない表情で、カイが笑う。そうして硬直するテアを余所に、彼は迷いなく踵を返した。
(なっ、なっ……)
 1秒、2秒、状況をゆるゆると把握し、テアは顔に熱を上げていく。紅い、どうしようもなく紅潮しているだろう。
 焦りと動揺と恥ずかしさ、そしてしてやられたという気持ちが心中で暴れ回る。誓っていい。カイはむやみにそういった嫌がらせをする人ではない。だから、ばれている。相手が自分に好意を持っていると知りながらやっているのだとすれば、よけいに質が悪い。
 ぐるぐると混乱する感情の中、テアはその中に強く主張するひとつの思いを見つけ出し、次いで大きく口を開けた。
「そんなんじゃ、お粥一杯ぶんにもならないわよ、莫迦!」
 強いて言えば、悔しかったのかもしれない。顔を真っ赤にし、毛を逆立て、呪われてしまえとばかりに広い背中を睨む。
 大概の大音量。通り過ぎる人が驚いて目を向ける中、カイも立ち止まり、同じように振り返った。
 目を見開き、テアを見、そして彼は破顔する。
「じゃあ、今度はディナーでもいただくよ」
「!」
 まさかの切り返し。立ちつくすテアに手を振り去っていくカイ。

 そしてそれが、ふたつの人生が完全に交わった、最初の瞬間だった。



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