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「だけど、君は今、動いて喋っている。このエネルギーは、どこから来ているんだと思う?」
 問いかけに、クリスは目を泳がせた。答えは単純だ。それしかあり得ないというものが、すぐそこにある。だが判っていても、クリスには答えることが出来なかった。
 短い沈黙の後、諦めたように男が口を開く。
「勿論、クリストファーの魂の持つエネルギーだ」
「っ……!」
「君は今、クリストファーの魂に食い込むようにして体を操作している。それは、偶然では起きない。意図して、操作しようという強い意志を持って乗っ取った結果にしか起こらない」
「そんなこと、……出来るなら、他の人だって、他人の魂とか抑えつけて、体奪うことだってできるんじゃないの?」
「それはさっきも説明したけど、できないよ。体の持つ記憶が他人のエネルギーを拒絶する。君の場合は、むしろ自分のエネルギーがないからこそ、出来たことなんだろう。強引に寄生してエネルギーを奪っている、そんな感じだ」
「し、……知らないわよ、そんなこと! 私が無理矢理兄様の身体を奪ったって!? そんなの覚えてないわよ! 事故に遭って、目の前が真っ暗になって、目覚めたらこの状態だったんだから!」
 必要以上に馴れ合っているわけではなかったが、兄妹仲は良かったと言って良いだろう。進路や家の跡取りのいざこざで若干他人行儀になってしまった感はあるが、クリスにとって兄は、掛け値なしに信頼できる相手だった。それこそ、大切な親友の交際相手として紹介するほどに。
 そんな兄の体を無理矢理乗っ取った、――それが例え仮説であっても、到底認めるわけにはいかない。
「そうよ、私自身が覚えてないのはおかしくない!?」
「そうだね。じゃあ、もうひとつの話を解決しよう」
「もうひとつ……?」
「クリストファーが現在昏睡状態であるという君の仮説さ」
「違うと、言いたげね」
「ああ、違うね。昏睡状態ではあり得ない。何故なら、肉体に障害が全くないから」
 淡々とした言葉に、クリスははっとして口元を手で押さえた。
「身体的になんら問題の無いままの昏睡なんてない。さっきも言ったけど、本人の魂が入った状態で回復しないものが、他人で治るとかいうことは無いんだ。だから、君がなんら問題なく活動している時点で既におかしい。だから今の状態は、君が無理矢理クリストファーの意識を抑えつけていると見る」
「そんな……! そんなこと、してない!」
「忘れてるんだと思う」
「忘れるような、弱い思いでできることじゃないんでしょ!?」
「君の死に方は衝撃的だった。混乱してる可能性が高い」
「混乱してても、兄様や……父様とか、エミーを、傷つけたり悲しませたりなんかしない!」
 本心からの叫びに、男はため息を吐いたようだった。
 自分が感情論を述べているとは自覚している。それが生じている事態に対し根拠のないことだと理解しつつも、クリスにとってその一線だけは譲れなかった。
 クリスの睨むような勁い視線を受け、男は妥協するように小さく肩を竦めた。
「無理矢理乗っ取ったと言っても、悪意があったとは言っていない。例えば君がその、父親やエミーという人に別れの挨拶をしたいとか、何か心残りが強く最後に思い浮かんだだけってこともある。実際、一時的に他人の体に入り込んでしまった例としては恨み辛みよりもそっちの方が多いからね」
 あくまでも落ち着いた男の言葉に、クリスは僅かに肩の力を抜いた。
 確かに、そういった例を出されれば、否定材料はない。男にとってはクリスの死は予定通りのものだが、クリス本人にはあまりに突然の出来事だったのだ。死んでも死にきれないほどの未練があったわけではないが、楽しみにしていた事も多くある。
 努めて声音を抑えながら、クリスは縋るように男を見た。
「……そうだったとしても、そんな状態は不自然なんでしょ? 引き離せないの? あなた、『導き人』って言うくらいなんだし、そういのも仕事なんじゃないの?」
「他人の体に居座っているだけなら不可能とは言わない。でも、君の魂は、クリストファーのそれに深く絡みついている。無理をすれば引きはがすことも出来るけど、君の魂はその過程でズタズタになるだろうね。要は君が完全消滅するか、クリストファーという人――肉体を殺して、ふたりとも魂だけの状態にしてから離すかの二択だ。もっとも後者の場合、僕たちは生者には直接干渉できないから、君に自殺してもらうことになる」
「もともと私は死ぬはずだったんでしょ? なら、私だけ消せばいいじゃない」
「完全消滅と原初の海に還るのとは違う。完全消滅は、死ぬ間際の苦しみを引きずりながら永遠にこの世界を漂う存在になるってことだ。原初の海に還るのは、いわば休みにいくようなものだからね」
「ずっと苦しみ続けるって事……?」
「僕は実際には見たことがない。けど、仲間が言うには、永遠にも通じる地獄って話だ」
 男の硬い表情は、前者がよほどの苦痛であることを如実に語る。唾を飲み込み、クリスは掠れた声で続きを促した。
「それなら、どうやったら、自然に分かれるって言うの?」
 一生このまま。そんな解答を想像し、クリスは掌に強く爪を立てた。嫌だ、という純粋な気持ちと、クリストファーを含む家族たちに対する罪悪感が入り交じった感情に、背中に冷たい汗が伝う。奥歯を噛み締めて堪えなければ、悲鳴を上げてしまいそうだった。
 強く眉根を寄せるクリスに、男なりに思うところがあったのだろう。言いにくそうに、だが、それしかないとばかりにはっきりと、彼は解答を口にした。
「僕の目には、今の肉体と魂の状態がある程度判る。だからどうなってるのかは判る。けれど、何故そうなったかは、君が忘れている限り、判らない。だからこそ、そこに解決の糸口があると思う」
「私自身に、思いだせってこと?」
「君自身が、何故クリストファーの意識、つまり魂を抑え込んでまで生きて活動する必要があるのか、それが解決するまで、君は無意識にここに留まり続けると思う。――思う、ばっかりで悪いけど、多分今の君の状態は前例を聞いたこともないほど稀なケースだから、はっきり言えなくてごめん」
 申し訳なさそうに眉尻を下げる男を見つめ、クリスは瞬きを繰り返す。悄然と肩を落とす男に、何かを企んでいたり、隠していたりといった様子はない。本気でそれしかない語っている、そうと判る態度にクリスは小さく喉を鳴らした。
(――そうか)
 彼も、ある意味被害者なのだ。彼の行動や感情を、はたして人間に合わせてしまって良いのかはともかくとして、――少なくとも、彼が意図してややこしい事態を作り上げたわけではない。彼は彼なりの責任を果たすべく、力添えをするためにクリスの前に姿を見せただけだ。その事実を自覚し、クリスは目元の力を緩めた。
 更に深く状況を考えるならば、今この時、目覚めた直後の最も混乱している時期にやって来たのは、男の誠実さの顕れとみるべきだろう。彼自身が言った通り、人の体を奪うという事態がごく単純な理由を根底に持っていることの方が多いのなら、しばらく様子を見ても彼には何の問題もなかったのだ。或いは、問答無用でクリスの魂を消滅させることも出来たはずである。
 そんな迷いや打算がなかったとは思えない。その上で敢えて彼は現れ、クリスの感情の逃げ場となってくれたのだろう。
 考えるように俯き、クリスは眉間を母指の腹で押さえた。ネガティブな思考を追い出すように、深く刻まれた皺を伸ばす。そうしてこれまでの話の流れを整理すれば、やるべきことは自ずと明らかになった。


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