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「知らん。俺はそう聞いた」
 嘘と承知の上でクリスは強く念を押す。
 ――天然で愛想のいいお前は騙されるタイプだ、いや、騙されろ。
 無表情のうちにも目に強い力を込め、クリスはアントニーをじっと見つめた。
「んー……」
「それに何の問題がある?」
「いや、……まぁ、そうか。どうでもいいか」
 どこか訝しげながら、それでもあっさりと流されてくれたことに胸をなで下ろしつつ、クリスはぼろを出さぬうちにと、大きく頷いて先を促した。
「何だったっけな。ああ、それで、俺はモニカの家の中で騒動を知ったんだ」
「そうだろうな」
「あそこに居たのはモニカの旦那だけだったな。モニカは子供とふたりで二階に居たから。俺たちはたまたま一階にいて、それで騒動の直後に家を出たんだ。薄暗くなってるわ砂埃が酷いわで、あんま状況がよく判らなかったんで門のところに行ったんだよ。そしたら、お前たちが倒れてた」
「他に人は?」
「いっぱい居たぜ? そんでまぁ、そこで見たわけだ」
「何を」
「馬車の破片やら倒れた馬やら、すごい状況で、そん中でクリスティンが死んでた。倒れた馬車から散乱した何かにぶつかったんだろうなぁ。――潰れてた」
 何が、と言わないのはアントニーの優しさだろう。
「お前は見たところ目立った傷もなかったけど、それでもクリスティンを庇ったんだなって判る位置にいてさ。それでお前だけでも助かったのかって思って近づいたら、お前、息してなかった」
「は?」
「だからよ、俺もモニカの旦那も、お前も死んだって思ったんだよ。顔色も滅茶苦茶悪くてさ、息してないし。クリスティンはあんなだし。医者が生きてるって言ったときはぶったまげたぜ? 確かによく見たら、もの凄い長いスパンで息してたけどよ。で、俺はそこ見てるもんだから、未だにお前が無事に生きてるってのが信じがたいくらいなんだ。勿論、生きてて嬉しい、それは疑うなよ」
 所々濁していた言葉のうち、最後だけははっきりと宣言するように言い、アントニーはクリスの腹を手の甲で叩いた。
 その率直な気持ちを受けて、クリスは複雑な笑みを浮かべる。その仮死状態は自分のせいだと知っており、更には現在もこの人の好い男を騙しているのだ。嘘を重ねる事自体に罪悪感はないが、直接的ではないにしろ、真剣に謝っている彼にかける言葉が思い浮かばない。
(ああ、――早く「クリストファー」を皆に返さないと)
 自分の衝撃的な死に関しては、今更何の感慨も湧いてこない。ゲッシュから、もともと時間切れだったということを聞かされているためだろう。
「変な話して悪かったな」
「いや、聞いたのはこちらだ」
「だけどまぁ、本当に無理してくれんなよ。友達をふたり続けて亡くすなんてしたかないからな」
「判ってる」
 それならいい、とクリスの肩を叩き、アントニーは無理矢理に大きく笑ってみせる。つられて微笑み、クリスはお人好しの幼なじみの肩を叩き返した。
「しっかしなー、あの後も大変だったんだぜ?」
「大変……、まぁ、そうだろうな」
「医者はなかなか来ないわ、法務省の連中は俺たちまで遠くへ追いやるわ、そのうち法務長官まで来て凄い騒ぎだったんだからな」
「え」
「馬車が法務省の持ち物だったとかでさ。あれこれ調べてったな。さすがに長官は現場見に来ただけみたいですぐにどっか行ったけど」
「そんな大騒ぎだったのか」
「ああ、……っと、いけね」
「?」
「向こう、ガードナー隊長が見てる」
 アントニーに示されるままにクリスは後ろを振り返った。目立つ赤い髪の男が、真っ直ぐにこちらを見ている。
 ――あれが、ディーン・ガードナーか。
 クリスの所属する歩兵師団の中隊長である。たしか年齢は34才。イエーツ王国は徴兵制度のない国であるため、軍に入隊している者は全員職業軍人ということになる。つまりは新入隊員からして総じて基礎レベルは高く、30そこそこで百人規模の隊長、更に付け加えるならば更に上の大隊長に昇進間近というのは随分と珍しい。むろん、それだけの実力があるということだ。
 かくいうクリストファーも27才にして小隊長三年目、飛び抜けているわけではないが充分に出世コースに乗っている。
 さすがに緊張を覚えつつ、クリスはアントニーに促されて隊長の前へと歩み寄った。
「長らくの休み、ありがとうございました。ご迷惑をおかけしました」
 実に、初対面である。自然、兄のようにと演技する必要もないほど硬い声となった。
 ほぼ直角に体を折り曲げた視線の先、微動だにしない相手の靴が目に入る。
「……相変わらず、堅苦しいな」
 頭の上からの苦笑を了承と取り、クリスは背筋を伸ばした。
「もう、体調は戻ったのか?」
「はい」
「クリス!」
 口を挟んだのは、無論アントニーである。
「お前さっき、ふらついてただろうが」
「あれは、なんともない」
「阿呆か。やせ我慢のしどころが違うだろうが」
「いや、本当に……」
 即座に否定したクリスの語尾に被せるように、耳通りの良い声が割って入る。
「何かあったみたいだね」
「なんでもありません。お気になさらずに」
「クリス!」
「黙れ、アント……」
 制止を口にしかけ、クリスは直感に言葉を止めた。背筋を駆け上る悪寒。そうして殆ど反射的に帯びていた剣を鞘から抜く。
「……!」
 飛び散る火花。鋭い金属音。それに伴う余韻、続く掌の痺れにクリスは一歩後退る。
 一瞬の静寂、その成分は、驚愕と恐怖だったに違いない。
「なんだ、大丈夫じゃないか」
「……大丈夫に見えますか?」
「反応が鈍ってないなら大丈夫だよ」
 笑い、何ごともなかったかのように剣を納めるガードナー。対して、冷や汗を背中に伝わせつつ、クリスは深く息を吸い込んで呼吸を整えた。
「物騒なご挨拶で」
「これしき、対応できない部下を持った覚えはないな」
 まさに電光石火の剣技、間合いを取ったと悟られることもなく抜き放たれた一撃でさえ、彼にとっては小手調べのレベルなのだろう。
 引き攣った笑みを浮かべつつ遅れて剣を戻したクリスは、殆ど瞬時に彼を要注意人物の枠へと蹴り入れた。功績も人望もある、おそらくは得難い上司なのだろうが、けして甘くはない人物のようである。


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