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「まぁ、冗談は抜きで」
 突っ込む気力もなく、クリスは上司の甘めのマスクを半眼で見遣る。
「いろいろ、事務的な手続きもあるから、とりあえず僕の執務室に来なさい」
「はい」
「それから、アントニー・コリンズ」
「は、はい!」
「君の隊は昼前から第二小隊と合同訓練だっただろう。人の心配をしている場合じゃないはずだ」
「はっ、申し訳ありません!」
 言外に余所へ行けと含まれているのは明白だ。若干天然の入っている――ひいき目に見るとすれば、周りを気にすることなく友情に篤い――アントニーも気付かざるを得ないレベルである。強ばった表情で敬礼しつつ、彼は逃げ出すようにその場を去っていった。
 友人の気持ちにだけ感謝しつつ、クリスは背を向けた上司の後を追う。
「さて、現在の君の扱いだが」
 練兵場を奥に抜け、建物の中に入った途端、ガードナーが口を開いた。
「とりあえず、復帰未定の休職中ということになっている」
「病気による療養ではなく、ですか?」
「正直、受傷後は復帰の目途が立たなかったからね」
 ここでも、クリストファー死亡説が聞かされる。よほど酷い状況、状態だったのだろう。
 肩を竦め、クリスはガードナーの言葉に含まれた別の解答を口にした。
「つまり、予備役として待機中、ということですね」
 軍への登録だけは残された状態であり、具体的に言えば、所属を外され小隊長の職を解かれたということである。軍部としては、復帰できるとも知れぬ者の為に、20人ほどもの人材を隊長不在のまま据え置く義理はない。ある種当然の措置と言えよう。
 クリスの反応に頷き、ガードナーは口の端を曲げたようだった。
「不満は?」
「ありません」
「残念」
「ご不満のようですね」
「そりゃあ、そうさ」
 今度こそにやりと笑い、ガードナーは弓なりの目で振り返る。
「君はかわいげがないからなぁ。大事な部下と引き離されてしょげてる姿を見たかったんだが」
 むろん本気ではなく、からかっていると明白な科白である。クリスはただ頭を下げてやり過ごすことに決めた。
「ご期待に応えられず、申し訳ありません」
「うん。じゃあ、次は期待に応えてもらおう」
「は?」
「事故の後遺症を考え、先日の人事では軍を一旦退く形になった。本人が希望すれば試験なしで復帰可能、だけどまた一兵卒からやりなおしてもらおうっていう決定が出た」
 退役、そして降格。先の言葉でおおかたを把握しておきながら、改めて詳細を聞くに二重の意味で衝撃を受け、クリスは身を引いた。可笑しそうに、いっそ不謹慎な色を滲ませた目でガードナーが彼を見つめやる。
「だけど、安心していいよ。僕が反対をしておいた」
「……つまり、決定は保留になった、けれど条件がある、ということですね」
「いい読みだ。その通りだよ。半年後に式典があるだろう。それに併せて大規模な模擬戦と御前試合がある。そこで満足のいく結果を出してくれ」
「満足、ですか」
「勿論、基準は教えない。ただ、君はそろそろ中隊長昇格の話も出てた人材だからね、僕としてはその才能を眠らせておく必要はないと考える。結果が良ければ小隊長復帰、場合によっては中隊長にも推薦する。悪い条件じゃないだろう?」
 ガードナーの全く笑っていない目を見つめ返しながら、クリスは激しく喉を上下させた。
 中隊長昇格。言葉は如何にも甘いが、現実はむしろ苦い。或いは、このような状態ではなくまさしくクリストファーであれば、事故後のブランクをものともせず、むしろそれをバネに見事に出世を勝ち取るだろう。悪くても小隊長復帰は堅い。
 だが、身体能力は同じとは言え、現状、経験値はクリスティンのもの。つまりはゼロに等しい。基本となる剣技や弓術はそれなりの腕があるとは言え、実戦での戦術や戦略となると全くのお手上げ状態だ。ましてや歩兵の実戦でのはじめの基本武器は槍、つまりクリスティンにはとうてい使いこなせるものではない。
(ブランクで済む変わりようじゃないって、ばれるだろうな)
 さすがに他人が化けているとは思われないだろうが、これまでの功績を疑問視する者が出てもおかしくはない。そう思えばこの一時的な休職状態は、不本意ながらありがたい状況とも言える。
 クリスは僅かに顔を歪めた。こうなった以上、できるだけ早く「クリスティンの未練」を昇華し、早々に元の状態に戻す以外に方法はない。アントニーと話したときに決心した感情的なものではなく、具体的な時間制限が定められたと思った方がよいだろう。
 考え込み、押し黙ったクリスを、ガードナーは訝しげに見遣る。
「レイ」
 呼びかけに、クリスははっと顔を上げた。
「言っておいてなんだが、機会は別に次だけじゃない。そんなに深刻に考えるものでもないよ。半年後に結果は出せなくても、体調に問題がないと判れば一兵卒からだが復帰自体はできる」
「は、はい……」
「まぁ、これまでの功績がリセットされるとなると階級を上げていくのにも響くし、君も、子供が出来るとなれば焦る気持ちは判るけどね」
 苦笑混じりの声。吊られて頬の力を緩め掛け、――そうしてクリスははたと動きを止めた。

 子供?

 目を丸くしたクリスをまじまじと見つめ、ガードナーは眉根を寄せたようだった。
「……まさか、知らないとか言わないだろうね?」
 直球とも言うべき裏も何もないそのままの問いに、反対にクリスは狼狽する。
「呆れた」
「その、実家で療養していたもので」
「病み上がりであるにしても、妻が一向に顔を見せないことくらい、気付くと思うけどね」
 胡乱気な視線を向けるガードナーに、クリスは乾いた笑みを向けた。クリスの快復については、書面ではあるが先に軍部へ報告されているのだ。上司であるガードナーも当然それに目を通している。自分のことで手一杯でした、という言い訳は通じないだろう。それがどれだけ真実であろうとも。
(……っつーか、既婚男性の考えなんて判るか!)
 クリストファーの妻であるエマとクリスティンは親友でもあるが、あくまでもそこにある感情は「他人」の域を出ない代物だ。夫婦間に存在する類の愛情、それによって引き起こされる行動など判るわけもない。
 可憐な元親友、現義姉の姿を思い浮かべ、クリスは深々とため息を吐き出した。
「とりあえず、今日にでも家に帰ります」
「そうした方が良い。では、手早く事務手続きを済ませてしまおう」
「はい」
 背を向け、手を上げて促すガードナーの後を追いながら、クリスはなんとも名状しがたい感情を持て余していた。


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