[]  [目次]  [



 そんな、動揺も顕わなクリスを見て、ハウエルは低く喉を鳴らす。
「噂とは当てにならんものだな」
「そ、それはどういう……?」
「何を考えているのか判らぬ鉄面皮と」
 ぎょっとしてクリスは身を引いた。
「いや、結構。その年で達観などされるよりは良い」
 要は、「今のクリストファー」は表情や態度が非常に判りやすい、と言いたいのだろう。クリスはしまった、と思いつつ額に汗を滲ませる。
 どうしたものかと考え、――だが、逡巡は短かった。自棄に近い感情で、もはやなるようにしかならないと肚をくくったのである。知識、経験共に足りていない状況で兄のようにと取り繕う余裕はなく、それ以上に、今更態度を変えたところでこれまでのやり取りによる印象が払拭されるとは思えない。
(大丈夫だ。この人は兄様の知己じゃない)
 少なくとも、以前のクリストファーと比較しての違和感を抱かれることはないだろう。
(完全に同じってのは無理なんだし、できるだけ、私が兄様に感じてた雰囲気になるように気をつけるしかない)
 半ば自分に言い聞かせるようにして深く息を吸う。ゆっくりと迷いの塊と共に吐き出し、クリスは表情を改めてハウエルに目を向けた。
「失礼しました」
「……落ち着くのも早い。尚よろしい」
 またしても評価。値踏みされていることに間違いはないだろう。ハウエルの根底に意地の悪さや悪感情は見あたらないが、むろんけして心地のいい状況ではない。
 僅かに逡巡し、クリスは気の利いた返答を思いつかぬままに口を開いた。
「ハウエル様。恐れながら私には、あなた様自らおいでになる理由がわかりません。このような夜更けに突然のこと、よほどのことと察しますが、どういったご用件でしょうか」
「ふむ」
 頷き、ハウエルは奥を見透かすようにクリスを見つめる。
「用件というか、確認に来たのだが――」
「と、仰いますと?」
「いや、儂の思い違いだったようだ」
 クリスは、失礼ではない程度に眉根を寄せた。ハウエルがひとりで納得していることがさっぱり見えてこない。
(何かを確認にきて、それが思ったようなものではなかったってことみたいだけど)
 原因不明の昏睡から復活した男の顔を、面白半分に見に来たというわけではないだろう。そういった酔狂な人物がいないとも、ハウエルがそうでないとも言い切れないが、そうだったとしても、少なくともこのような時間帯を選ぶ必要はない。身分を考えれば、事故のことでもなんでも、理由を付けて呼び出せばそれで済むからだ。
「何を確認なさるおつもりでしたか?」
「いや、他愛ないことだ」
 話す気はないらしい。ではこのまま暇を告げてくれるかとの期待に反し、ハウエルはどっかりと椅子に座ったまま鋭い視線をクリスに向けた。
「ついでだ。幾つか聞いてみようか」
 警戒し、クリスは顎を引く。
「君は、この国の制度をどう考えるかね?」
「制度、ですか?」
「そうだ。難しいことを問うつもりはない。感じるままにありのままに答えてみなさい」
 突然訪ねてきての、不自然なほど突拍子もない質問だが、ハウエルの目に冗談の色はない。加えて、あまりにも茫洋とした括り故に、答える者の資質が問われる題である。意図が掴めない上に厄介ともなれば、答えを考える前に体よく追い払う方法はないかと先に謀りたくもなるものだ。
 だが相手は国の重鎮。さまざまな意味で厄介払いなどできるわけがない。クリストファーの評価にも繋がる以上、適当な真似もできない。必然的に、脳みそを絞ってでも出来る最大限の答えをしなくてはならない状況だ。
 幼稚な答えは論外、自分の視点から整然と述べることが出来れば及第点、問いの意味を看破しつつそこに意見を加えることが出来れば合格。ただし、相手におもねるのはこの場合心証を悪くするだけと見た方が良い。
 難しい、と思いつつクリスは顎に手を当てた。
 イエーツ国は、大陸にいくつも存在する国の中でも特殊な制度を敷いている。大きく分類されるなら立憲君主制という一言で済むのだが、その王を支える体制が一風変わっているのだ。
 実力主義による階級制度とそれを監視する体制、それを根本で支える司法制度と最終決定権を持つ王の存在。それらが絶妙なバランスを持って均衡を保っている奇跡の国と周辺諸国には評されている。それは賞賛であり、裏を返せば崩壊もまた紙一重という揶揄でもあるのだろう。
 階級制度とは言うが、実際には国民の大半は無階級の者であり、一部階級を得ている者にも特権といえるような優遇措置がとられているわけではない。階級は功績、または信用と信頼、敬意を示すか否かの基準であり、強いて言うならそこに付加される待遇が特権であるというべきか。
 国の定める一位から五位までの階級は基本的に個人が有するものであり、そうしたところが世襲制の階級制度を取り入れている多くの国と異なるところでもある。何らかの形で著しい功績をたてた者は審査を経て、それに応じた「貴人」の位を与えられるが、それは子供に引き継がれることはない。
 そうした個人の働きに対して与えられる他には、国家で定められる役職に付随したものがあり、それは無論、任期の間だけの一時的な取得となる。つまり法務長官であるハウエルは一位貴人であるわけだが、その仕事を引退すれば無位の者となるといった具合だ。
 特殊なところでは商家など、一族郎党で国に貢献している例では個人ではなく家に階級が与えられる。諸外国と名称は被るがほぼ世襲制ということもあり「貴族」称されるが、この場合は個人的に階級を名乗れるのは、あくまで主となる者のせいぜい二親等までだ。家を出るなどしてその仕事を後継しない者に関しては、むろん階級を名乗ることが許されない。また、世襲制といえど称号を引き継げるのは現在主となる者の近しい血縁、または幼少時より養子縁組を行い一族の方針を理解した者だけで、仕事の権利を他人に譲渡した場合は称号を一旦取り下げられ、再審査されることとなる。
 レイ家もこの括りに入り、クリストファーが父親の後を継いで商人の道に入っていれば、そのまま三位貴族の称号が得られていただろう。だが現実には軍人となり、結果としてクリストファーは無位となっている。
 この制度は、それを支える監視体制が如何に磐石の基礎を築いているかにかかっていると言っても過言ではなく、そういう意味ではイエーツ国は諸外国が評するとおり、稀な成功を収めた国であると言えるだろう。土着の勢力がなく、主に交通の要衝として商売に使われた場所がそのまま発展してやがて都市となり国となった、そういった若干特異な建国の経緯も一因しているに違いない。
(だけどこれ、審査が確か、滅茶苦茶厳しいんだったっけ)
 定期的な審査、または抜き打ちの監査を行うのは定められた機関ではなく、突発的に招集されたその場限りの集団であり、内部監査と外部監査は平行して行われる。監査人に横のつながりはなく、任務を負っている間は他人にそれを知られてはならない等の制限が設けられているとのことだ。
 それらの人々がどうやって選定されるのかは秘されており、むろんクリスの知るところにはないが、特定の個人に便宜を図ったことなどが発覚した場合は最悪、四親等までの階級剥奪及び減俸というから半端ではない。


[]  [目次]  [