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 審査される側よりもする側の規制の方が厳しい現実は、後者が制度を維持する為の要であることを示すのだろう。
 そうして時には不公平に傾きながらも、歴史的には公正と評される体制は、世襲という名の特権意識の育ち難い土壌であるが故に無位の者への差別も少なく、諸外国から注目と警戒を同時に受けるものとなっている。
(さて、どう言ったものか――)
 国の制度を一通り頭の中でまとめたクリスは、誰もが知る事実と自分自身の考えを絡めあぐねて小さくうなり声を上げた。
 額から落ちた汗が頬を伝う。閉め切られた室内の温度は、個人的な意識の昂りも相まって、随分と高く感じられた。夜空にとけ込むようだった虫の音も今は遠い。
 沈黙。一方には恐ろしく早く過ぎた時間は、実際には五分ほどは経過していただろう。持ちうる知識を総動員し、拙いながらも熟考を重ね、クリスは迷いながら重い口をこじ開けた。
「……そう遠くない先に変革が求められるように思います」
「ほう?」
「体制そのものが、ではありません。この国の方針が、と言えば近いでしょうか」
 実力主義、つまりは全ての者に繁栄と没落の機会がある。よく言えば個人の持つ実力を発揮しやすい環境だ。制定からほぼ百年、様々な問題は生じていたが、破綻に至っていないことを思えば客観的に見ても良くできた体制と言えよう。
 だが、その根本にはけして相容れないものがある。国王、広く言えば「王家」という存在だ。
「現在、直接国を動かしているのは長官以下、言ってみれば出世した平民です。ですが最終決定権や至高の権力は王家にあるというのが問題だと思います」
「つまり、国王が権力を揮いたがるようになれば上手く行かないと?」
「いえ、既にこの国はその域は超えているように思います。既に国を動かす力は王家の元を離れて久しく、特殊な身分制度に綻びが生じない限りは覆すことは難しいでしょう。しかし、だからこそ、この両者の間隙に危険なものが潜む可能性があると考えます」
「それは?」
「理想のない権力者、――いえ、多くのものが、としか私には」
 具体的な存在をうまくまとめることが出来ず、クリスは言葉を濁すこととなった。真っ直ぐに向けていた目が揺れるのを感じつつ、いっかな読み取れない相手の感情に、冷や汗が皮膚に滲み出る。
 心証を悪くしたかと危ぶむこと数十秒。表情を変えぬままに、ハウエルがゆっくりと口を開いた。
「では、王家という存在はないほうがいいと言うのかね?」
「最終的には、そう思います」
 言い切ることは危険だと思う一方で、そう言い切れる自信のなさがクリスの声から勢いを削ぐ。
「しかし、今王家を無くすとなればまた国は混乱するでしょう」
 あくまで自分の考えですが、と加え、クリスは乾いた唇を舐めた。
 歴史ある国がその重さ故に変革に手間取ることはしばし問題視されるが、イエーツの場合、その時々の権力者の手で大小様々な変革が容易く行われることにより、国の軌道がぶれて混乱することの方が多い。得てしてそれは、諸外国の状勢等を見極めて時代に合わせたものとも言えるが、一般国民の生活はそれほど早くは変化していかないものだ。
「そうした急激な改革に待ったをかける存在が王家ではないでしょうか。これまでも、王家の承認が降りずに流れた政策は幾つもありました。それが遅滞ももたらしたのか、無理な変革を止めたのかは判りませんが、少なくとも王家という存在が害だと言い切れるほどの問題は起きていません」
 むろん、発言権を著しく増している政府と、古くからの権力を維持したい王家の間には、国民からは見えにくい確執が幾つも転がっているだろう。だが真っ二つに割れているというほどではない。
 いずれその確執が大きな罅となり国の基盤を揺るがすことになることは目に見えているが、今はそれでもまだ、王家を必要とすることも多いのだ。
「少し話は逸れますが、周辺諸国は王家の力が強い。それと対等に交渉の場を持つ機会があるとします。相手が国王本人を代表に出してきた場合、こちらが『国の代表です』とたたき上げの権力者を出して、それで満足してもらえるでしょうか?」
 砕けて言えば、「国王」という身分に対する一般認識――判りやすい絶対的な権威の名称はどこの国でも通用しやすい。反対にイエーツ国だけで通じる「高い地位」の名称が他国に通じるか、といった問題である。軽んじられることはもとより、場合によっては相手国の気分を害する可能性も否定できない。
「これまで国王の下であった地位を、急に国王と同じ域にまで上げて法を定めたとしても、通じるのは国内だけです。更に悪いことに、急激な変革は国民でさえも置き去りにする可能性があります」
 この時、権力を持っているのは「特別な身分を持たない」者だ。だが同じく「特別な身分を持たない」者である国民がこれに異を唱えられるかと言えばそれはまた別の話だ。
「一般からのし上がってきた者が政治を行ったとしても、それは極一部の知識人による寡頭制です。のし上がれなかった国民に決定権はありません。だからこそ、今はまだ――例え、意欲のない国王だとしても、政府の対抗権力者を残す必要があると思います」
 大胆にも国王を指して「意欲の無い」と言い切ったクリスを咎めるでもなく、ハウエルは続きを促すように軽く顎を引く。
「緩やかに静かに国王の持つ権力を国民全員へ分散し、国王――いえ、王家という存在を形式だけのものに変えていくのが理想だと思いますが」
 そうそう上手くは行かないだろうとは思っている。だが問うてきたのはハウエルの方であり、言うだけは自由だ、と半ば自棄を含めてクリスは最後の言葉を続けた。
「ですがまだ国民は痛みを伴う改革までは望んではいないように思います。私としては、王家が力を失っている現状を見つつ、情勢を定めていく時期でではないかと愚考します」
 問題のない完璧な制度というものは存在しない。どの方針をとっても利点欠点は必ずあり、故に人は次代に見合った試行錯誤と変革を加えていく。ようはそれらの欠点が利点を上回らなければ良いのだ。
 問題点をあげつらった上で最後に現状維持を推奨する、その逆をしなかったのは、クリス自身にハウエルと議論する気はないという意志の表れである。堅く考えを述べるに留めたクリスに見透かしたような目を向け、しかしハウエルは皺深い口元に笑みを刷いた。
「なかなかよく喋る」
 よくぞ突然の問いにここまで言い切った、という意味だろう。及第点はもらえたようである。
 だが、とハウエルは言葉を続けた。
「確かに現状は少しばかりねじれている。国を実質動かしているのは成り上がった『平民』の権力者だが、最終決定権が国王にある以上、そこにどうしても溝は出来る。君の言ったとおり、それが良いように働くときもあれば、当然、為すべき事が出来ないままに終わることもあるだろう。今はギリギリの均衡が取れている状態だとしても、いずれ人の心と同じく、国も変わっていく」
「――はい」
「国も変わる、人も変わる、権力者も変わる。だが国に寄生するものは、変わらないまま長く生き延びやすいのだよ」
「……と、言いますと?」
「さて。それは次に会うときまでの宿題としようか」
「え?」
「君の言う『王家と権力者の間隙』に潜む存在のことだ。考えておきたまえ」


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