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「参考までに、内容を聞いても良いか?」
「妻帯者にも関わらず外で女を食い散らかして、それでいて胃に収めようともしない喰わせものだと」
 一瞬目を丸くし、次いでレスターは大振りな笑みを浮かべた。
「話に聞く限りでは、俺にはどうも好印象を持つことが出来ない」
「それはそうだろうな。その豪快な意見を持つ妹さんに会ってみたいものだ」
「悪いが、それは出来かねる」
「おかしな真似はしないよ。面白い人だと思ってね」
「妹は死んだ」
 他人事のように言い切り、クリスはレスターを正面から見つめた。聞き間違えようもないひとこと。その簡潔な答えに動揺を見せたレスターは、しかし、すぐに改めるように頭振った。
「……すまない」
「構わない。――そういうことだからな」
「何が?」
「俺はそちらのことを噂でしか知らない。そういう意味ではあまりいい感情を持てない。だがそれはそちらの全てではない。あなたが俺の妹のことをよく知らずに聞いて理解した範囲だけの情報から軽口を叩いたようにな」
「……」
「その人の深いところにある事情を知らない以上どうしようもないことだが、知れば理解出来ることもある。それはその都度改めていけばいい話で、――まぁつまりは、先入観からある程度感情が引きずられるのは勘弁してほしいということだ」
「なるほど」
 呟き、レスターは立ち上がった。そうして教本に見本として載りそうなほどに完璧な軍礼を取る。
「座ったままでは失礼だったな。改めて。私は騎兵師団所属、中隊長補佐、レスター・エルウッド。どうやら厄介な任務を押しつけられそうだが、仲間としてよろしく頼む」
「歩兵師団所属、元小隊長のクリストファー・レイだ。今はただの一兵卒ですらない予備役だが、仲間として対等にしてもらえるなら嬉しい」
「勿論。ああ、私のことはレスターでいい。エルウッドという姓は意外に多くてね」
 クリスのいささかしゃちほこばった礼に、レスターは軽い調子で微笑んだ。噂に聞くほどに澄ましたところはなく、むしろ気さくな人物であるらしい。クリスの指摘を素直に受け入れる懐の深さもあるようだ。
 レスターという男に対する評価を好印象の方へと修正し、クリスは彼の勧めるままに隣の席に腰を下ろした。
「こういうところに呼ばれた経験があるのか?」
「いや、初めてだ。まぁ何を言われるか、おおよその予測は付くがね」
 そう言って吐くため息は、クリスのそれよりも具体的な微粒子を含んでいる。既にある程度の事を知らされているか、そもそもの保有する情報量が桁違いなのか、――おそらくはその両方だろう。予備知識としてレスターの意見を聞いておくべきか悩み、クリスは腕を組む。
 悩んだ時間は僅か、しかし彼が口を開きかけたのと扉が軽快な音を立てたのとは同時だった。
「あれ。もう人がいるのかい?」
「ダグラス?」
「ん? レスターか。君が呼ばれるなんて、これは予想以上の難物かな」
「それはこちらの台詞だ」
 違いない、と笑い、現れた人物は考えるそぶりも見せずにクリスの横のイスを引いた。丁度レスターとふたりに挟まれる形になったクリスは、どうしたものかと腰を浮かす。
「酷いな、僕の事が嫌いかい?」
「嫌いも何も、初対面だ。知り合いの隣の方がいいだろう?」
「まさか。レスターの横なんて嫌だよ。女癖の悪さが伝染りそうだしね」
 言い、同意を求めるダグラスも、整った顔立ちの大概の優男だ。軍服を着ているが、体の線は明らかにレスターやクリスよりも細い。さすがに女装したところで女には見えないが、中性的な雰囲気は大衆劇で人気の男装の麗人に通じるものがある。銀髪と言うには黒の強い灰色の髪と同色の目は涼しげで、夢見がちな乙女にはさぞかしもてるに違いない。
(死ぬ前にこの状態だったら、両手に花、だったんだけどな)
 妙な居心地の悪さを覚えつつ、しかしクリスは諦めにも似た思いで深く座り直した。
「クリストファー・レイだ。はじめまして」
「僕はダグラス・ラザフォート。お近づきになれて嬉しいよ。――僕のことはダグラスと呼んでくれたらいい。堅苦しいのは苦手なんだ」
「ではそちらも。だが、俺を知っているようだが、どこかで会ったことでも?」
「初対面だよ。でも、歩兵部隊にあだ名が『アニキ』の男前が居るって聞いてたからね」
 一瞬目を丸くしたクリスの後ろから、呆れたような声が上がる。
「そいつは諜報部だ。あることないこと話す癖があるから話五割で聞いておいた方がいい」
「諜報部って言うとなんか怪しいなぁ。情報解析部って言ってよ。それに、五割は酷いな。もうちょっと信用入れてくれてもいいんじゃない?」
「負けに負けての五割だ」
「それは残念。僕は相手に合わせて話す内容も変えているつもりなんだけどな」
 むっと口をつぐんだレスターに、してやったりといった表情で笑うダグラス。要するに、顔を合わせれば軽口の応酬をする似たもの同士、というわけなのだろう。仲の良し悪しはともかくとして、互いに認め合っている部分があるに違いない。
(……なんか、深刻に考えてるのが莫迦らしくなってくるような)
 含まれる毒よりも軽妙さが勝って見ている分に面白い。混ざりたいという気持ちがあることに苦笑し、次いでクリスは表情を引き締めた。饒舌はクリストファーのキャラではない。言葉遊びが好きなのはクリスティンの方だ。気を抜けば会話に加わりそうになる自分を引き締め、クリスは無関心を装って耳だけを傾ける。
 幸い、好奇心と興味が自制力を上回る事はなかった。この場に集った本来の目的が、新たな来訪者とともにやってきたからである。
 静かに扉が開き、なんとなしに視線を向け、三人は揃って絶句することとなった。
「待たせたようだな」
 既に着席している面々を見回して苦笑したのは、法務省の制服を隙なく着こなした40そこそこの男である。問題は彼に一歩遅れて入ってきた人物――
「長官……」
 穏やかに微笑みながら、しかし勁い意志の宿る紺色の目を座る面子に向けたのは、財務長官ルーク・オルブライトその人であった。車いすを動かす慣れない様子と袖口から覗く包帯に痛々しさを禁じ得ないが、しっかりと背筋を伸ばした姿には病人と侮れない威圧感がある。
 迷いのない堂々たる態度は、この場所の意味するところを熟知している証拠だろう。歳は40半ばとのことだが、綺麗に撫でつけられた艶のある黒髪が動きに合わせてわずかに揺れる。
 まさか、と思いクリスは知らず唾を飲み込んだ。何故ここに、と思いながら慌てて席を立つ。ほぼ同時に、彼よりも落ち着いた所作で起立したレスターが、三人の思いを代表するように口を開いた。
「長官自らお越しとは、……失礼を承知でお伺いしますが、お体の方は障りないのでしょうか」
「私が現場で動くわけではないのでね。大丈夫ですよ」


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