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 少なくとも過剰な虚勢を張っている様子はない。噂に聞くよりも元気な様子に胸をなで下ろしつつ、クリスは表情を改めて背筋を伸ばした。軽口を叩き合っていたふたりも、口を一文字に引き結び神妙な様子で沙汰を待っている。
 さほど広くもない部屋の奥、主賓席にオルブライトとその護衛らしき男が収まると、法務省の男は共に入室した二名とクリスたちを見回してから座るように促した。
「忙しい中、時間通りに始められてなによりだ。私はバジル・キーツ。詳しい所属は省くが、法務省の事務官だ。……こちらの方は、今更紹介申し上げるまでもないだろう」
 それぞれの面持ちで頷いたのを認め、キーツもまた最後に顎を引いた。
「既に集まって貰った内容を察している者もいるだろうが、その前に、まず名乗り合って貰おうか。右から、簡潔に」
「はい」
 いっそ冷ややかとも言うべき声で応じたのは、最後に入室した女性だった。切れ長の目の理知的な美貌には、如何にもエリート然とした隙のなさが伺える。さらりと左右に流された薄茶色の硬質な髪の下、緑の目が冷静に皆の顔の上を滑っていった。
「法務省所属、ヴェラ・ヒルトンです。お見知りおきを」
 それがこういう場での挨拶というものか、はたまたヴェラの流儀であるのか、愛想のかけらもなく短く告げ、彼女はすぐに椅子を引いて沈黙した。服装から所属を容易に察することを思えば、要するに名前以外は何も判らなかったと言った方が早いだろう。
 彼女の様子に、とりあえず一番手でなかった幸運に感謝しながら、クリスは次の人物に目を移した。オルブライトに護衛よろしく付き従っていた人物である。
「アラン・ユーイングだ。財務省所属。――僕もこれでいいかな?」
 皮肉っぽい笑みを浮かべながら名乗ったのは、金髪に碧い目をした痩身の男である。おそらくはこの場で一番若い人間だろう。20歳そこそこといったところか。少し長めの髪を後ろでひとつに束ねたなかなかの美男子であるが、目を細めると若干酷薄な雰囲気を帯びる。
 同意とも否定とも取れぬ沈黙の中、アランが面白くもなさそうに座れば、次のダグラスもまた肩を竦めて短く名乗り終えた。もはやあれこれ悩む必要もなく、クリスも同様に淡々と名乗り、確認を取ることも無く次へ回す。
「本当に名前だけだったな」
 最後のレスターが笑みを消した顔で口を閉じた際、さすがにキーツが呆れたように呟いた。結局全員が名前以外を明らかにしなかったためだろう。初対面で馴れ合うような年でも状況でもないとは言え、友好的にはあまりにもほど遠い。
 緩く頭振り、キーツは目元の資料に目を落とす。逃げの一種だろうが、幸いにしてその行動に皆が揃って目線を上げた。
「まぁいい。単刀直入に言うが、君たちはこの度『特殊事件対策合同捜査隊』の一員として任命された。むろん、拒否権はない」
 さらりと吐かれた言葉は随分な代物だったが、一同の反応はわずかに顔を強ばらせるに止まった。ただしクリスがさして驚きを示さなかったのは、他の四人とは原因を別にする必要があるだろう。
 簡単に言えば、驚くには内容があまりにも予想外に過ぎ、厳密に言えばその任務に対し驚愕を示すほどの情報量が決定的に足らなかったということである。
 特殊事件対策合同捜査隊、通称特捜隊という、如何にも隠匿された臭いのする集団組織は常設のものではない。複数の組織の垣根を越えて、或いは役職と役割の制限を超えて成し遂げなければならない事件が生じたときに設けられる臨時組織である。これも捜査官の名称と同じく、実際には多岐に渡る事態に対応する必要性を求められるが、主に具体的な物や人の行方を追い確保することが多いため、そういう名前となった。
 発足人は一位貴人および国王に限り、構成員の選定は秘密裏に行われるが、活動内容如何によっては他部署の協力が必要となることもあることから、位階昇進の監査役ほどの秘匿義務は課せられていない。
 クリスが知っているのはその程度のことで、つまりは具体的なイメージがつかないまま規模の大きさに驚けと言われて困惑した、というのが正直なところである。
 短い沈黙の後に、ひとり彼の戸惑いを置き去りにしたまま話は進んでいった。
「今回は、明確な目的に対しての発足ではない。そのため、基本的には通常の仕事に従事してもらう。必要に応じて我々の方から招集をかけ、臨時の任務に就いて貰うこととなる」
 これにはさすがに他の者達も面食らったようだった。任務内容もはっきりと決まっていないのにどうやって人を選んだのかという疑問も生じる。
「と、いうことは、通常の捜査官や軍の権限では介入の難しい場所や人への、直接的な任務ではないということ? 何かが起こるかも知れないから予め集めておこうって感じ?」
 それぞれが眉根を寄せる中、およそ緊張感の欠片もない声で呟いたのはダグラスである。
「集められたのはいいけど、何をするのかが早くも判らなくなってきたなぁ」
「簡単に言えば、事件への調査とその補助ということになる」
「そういうのは、法務省の十八番? や、むしろ普通の法務省の管轄じゃないのかな? 僕たちは畑違いだと思うんだけど、もしかして護衛役かな?」
「今から説明する」
 言葉遣いや態度に関して言及するつもりはないらしい。砕けた調子ながらもどこか洗練された隙のなさが、妙に優雅な印象を与えているのも一因しているだろう。説明を待ってキーツを見るクリスの視界の端に、わずかに口角を持ち上げるレスターの顔が映っていた。
「まず、事件の概要を説明する。より詳しい内容が必要であれば今後はヒルトンを通して法務省から入手するように」
 名指しされたヴェラが頷くのを認め、キーツはおもむろに咳払いをした。
「五年前の、サムエル地方の領主を主犯とした事件については、それぞれの知識にあると思う」
「国際的人身売買組織、――”フェーリークス”の我が国における拠点が明るみに出た件ですね」
 大きく頷いたのはアランである。自己紹介の時とは打って変わった明るい目を財務長官へ向け、彼は素直な賞賛の声を口にした。
「当時のことはよく覚えています。あのように胸のすく解決をした事件は、滅多にないでしょう」
「……そうだな。そしてその事件での捜査や探査は既に二年前に終了しているわけだが、今年に入ってから一部、まだあるとされて見付かっていない物の行方を再捜査されることとなった」
「巨大証拠物保存期限ですか」
 自己紹介の時とは打って変わった丁寧な口調であるのは、彼の視線がキーツではなく財務長官に向けられているためか。自分に向けられての相づち、或いは返答ではないと察せざるを得ないキーツは、その頬に微苦笑を浮かべている。
「そうだ。明らかな証拠品を除き、事件に関連した物は五年の期限をもって廃棄される。主には建物のことを指すわけだが」
「それで、領主の館や別邸に最終捜査の手が入り、そこで問題が起きたというわけですね」
 先を読むように言うアランの横で、ヴェラが煩わしそうに眉を顰めた。
「つまり、新たな証拠品が――」
「少しは黙っていただけます? 誰でも判る程度の先を自慢気に述べられても、少々反応に困りますから」
「なに……」
「話が進まない、と言われなければ判りませんか?」
 罵るとすれば「小賢しい」といったところだろう。状況と概要を把握することに全神経を傾けていたクリスにしてみれば、己に向けて苦笑するしかない指摘である。


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