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 クリスも頷きつつキーツを見やる。五人全員のそうした問うような視線を受け、キーツは短く息を吐いたようだった。
「そう考えたのは我々も同様だ。現場に残っていた物はひとつひとつ確認している。それに、そうしたことで壊れる可能性が高いものであれば、敵の方がそうと先に気付くはずだ」
 それに、とキーツは続ける。
「事故現場は当時視界は悪くはっきりしない状況であったが、『馬車が倒れた後、その場で誰かが殴り合いをしていた』ことが複数証言から明らかになっている」
「殴り合い?」
「信じがたい事だが証言者たちが示し合わせた様子もないし、その数も多すぎる。更には現場で亡くなっていた捜査官の顔に明らかにおかしな打撃痕が残っていた。殴られたのが捜査官だとすると、もうひとり、殴った方が必要となるが、現場に残っていた面々にそんな該当者はいなかった」
「つまり、逃げた何者かが居る、と? で、その逃げた人が”物証”を持ち去った可能性が高いと?」
 どこか納得のいかない表情で、今度はレスターが口を挟む。
「だが、そのような者がどこに潜んでいたと言う気ですか?」
「可能性としては、予め事故を起こした馬車に潜んでいた者となるな」
「法務省の職員だと?」
「実は敵の息のかかっていた職員、或いは敵はふたりいて、ひとりは外から、ひとりは隠れて奪う機会を狙っていた者で、何らかの理由で敵方を裏切った――などといったことが考えられるな」
「若干、無理があるとも言えませんか?」
 レスターの言葉に、キーツははっきりと顔をしかめた。彼自身、そう思うところがあるのだろう。
「敵、つまりは人身売買組織の息がかかっている者が、どこに未だに潜んでいるかははっきりしていない。馭者をしていた者がわざと仲間の待つ場所で事故を起こした可能性も、ないとは言えないだろう。そういった可能性は、可能性だけならいくらでもある。ただはっきりしているのは、実際に『殴り合い』が行われていたことだ」
「まぁ、推測ではなく、複数の目撃証言ですから、それは認めざるを得ませんね」
「そうだ。馭者は馬に潰されて死んでいた。元々現場に居て事故に巻き込まれたのは、全く関係のない付近の住民であり、ひとりは即死、助かった者も救助が入ったときには昏睡状態だったからな。殴り合いをするのが不可能な者しか残っていない以上、もうひとり、気付かれない内に現場から逃げた者がいたと考えるしかない。”物証”を持ち逃げ出来たのもその人物だけだろう」
 はっきり覚えていないとは言え、自分が死んだ時の状況を他の者の口からいろいろと語られるの、実に複雑な感情になるというものだ。
(兄様が死んだとか言うのなら哀しくもなるけど、死んだのは私って事だしなぁ)
 当時の状況の内で忘れている、或いは曖昧な部分を明確に思い出すことが出来ればまだしも、クリスの状態は実に中途半端と言える。
(私が、未練と一緒に忘れている部分を思い出せば、逃げた人物が判るかもしれないけど?)
 問題はその方法が判らないことだが、こればかりは致し方ない。その時どういう状況で何を思い願ったか。思い出せればクリスティンも無事昇天できるのだが、そううまい話はないということだろう。
 少しばかり逸れたことを考えているクリスを置いて、キーツの話は続いていく。
「もうひとつ、あり得る可能性として、現場のすぐそこではないが、近くにいた何者かが、”物証”をそうと気付かずに持っていったということだ」
 これに首を傾げる一同に対し、キーツは一度咳払いをして現場の状況の追加説明をした。
「証言にある『殴り合い』があった直後、二次的な崩壊が起こったということだ。はじめに衝突した時には不安定なバランスで馬車も外壁も完全には崩れてなかったのが、衝撃か何かで崩れきってしまったらしい。それで更に視界が悪くなり、更に何か起こるんじゃないかと危ぶんで周りに居た者もなかなか近づけなかったようだ」
「つまり、その間に結構な時間が過ぎて、通りすがりの者が所謂火事場泥棒みたいにめぼしいものを漁っていったってこと?」
「その場に居合わせた、亡くなった者がパーティからの帰宅途中で、如何にもプレゼントといった物を持っていたんだ。それで現場には、綺麗に包装された箱なども散乱していた。何か良い物だとして”物証”の入っていた”箱”も一緒に持って行かれた可能性がある」
 その場合、盗んだ人物が物を売る際に”物証”を発見することになるだろう。最悪の状況は、発見したは良いがその価値が判らず、無造作に棄てられてしまうことだ。そうなれば”物証”は永久に失われる。
「当然、現場にいた人たちを全員調べてるよね?」
「もちろんだ。名前もはっきり判っている者が殆どだが、現場から二名がいつの間にか消えたことが判っている。黒っぽい服を着た小太りの男と浮浪者のような中肉中背の男ふたりだが、事故現場に近寄ろうとしたにも関わらず、いつの間にか居なくなっていたとのことだ」
 場所が公園近くだったことを思えば、単なる通りすがり、そして用事があって去ったということも充分考えられるだろう。だが、観光地でも商店街でも宿泊施設の並ぶ通りでもない住宅街には、そうそうに知らぬ人物は通らぬものだ。人の話と状況などを追っていけば、そこに居ておかしくもない人物であるならいずれ判明するだろう。
「へぇ、事件から結構経ってるのに、まだ判らないんだ?」
「消えた人物の足取りが掴めないと言うことは、あからさまに怪しい人物であるとも言えます。法務省内でもチームを作成して聞き込み調査を続けています。いずれ何か判ればその機会に」
 アランの皮肉に表情も変えずにヴェラが応じ、一瞬、ひやりとした空気が室内に拡散した。もともと某かの知り合いであるのか、初対面からそうと判るほどそりが合わないのかは判らないが、完全に場違い状態のクリスにしてみれば、同じ特捜隊として多少の妥協はして欲しいところである。
 ちらりと視線を左右に向ければ、レスターは我関せずといった様子、ダグラスは面白がるように口角を上げており、クリスのように感じているわけではなさそうだった。寄せ集めである特捜部という集団がいつもこういう具合なのか、とびきり個性的な面子が集まっているのか、判別に苦しむところである。
 そんな中、オルブライトが穏やかな声音でキーツへと問うた。
「”物証”の行方については引き続き探していただくとして、話は変わりますが、馬車が暴走した原因は判っているのですか?」
「詳しい証拠は残っていませんが、暴走を始めた住宅街へ入る少し手前の地点で、馬に何らかの興奮作用のある薬が使用されたと思われます。おそらくは矢かそれに近い道具が用いられたのだろうという見解です」
 現場はそれなりに裕福な者の住宅が並ぶ通りとは言え、建物自体は密集している箇所も多い。入り組んだ道や使用されていない家屋もあることを思えば、射かけた人物を捜す方が無駄というものだろう。馬に使われた薬にしても即効性のある毒であるならともかく、興奮作用があるという程度では特定も難しい。
「なるほど、なかなかに敵も尻尾を掴ませてくれそうにはないわけだ」
 言い、ダグラスが億劫そうに机を指で叩いた。
「ところでさっきから皆が想定したり言ったりしてる『敵』っていうのは、『国際的犯罪組織の末端』なのか、『壊滅したはずの国内組織の残存勢力』なのか、どちらかな?」
「!」
 クリスは反射的に片方の眉を上げた。


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