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 ――”別の観点で国に寄生するものは長く生き延びやすいのだよ”
 残存勢力という単語に導かれてひとつの場面を思い出す。則ち、ハウエルの突然の訪問を受けた夜のことである。
(あの時の謎かけは、このことだったか……?)
 長く生き延びる寄生虫とは、良からぬ企みをする裏社会の犯罪組織ということなのだろうか。五年前に壊滅状態に追い込んだはずの組織がまた、再び息を吹き返していることを暗示していたのだろうか。
 イエーツ国の制度では、その時々の犯罪組織を粛正したところで、その方針を敷いた権力者の息もまた長くはない。長く待つこともなく根の残った組織は頭をすげ替えて復活する。そのスパンは他国よりも短いはずだ。諸外国に本当のトップを持つ組織に至っては、その手足は切りやすく伸ばしやすく、格好の餌場となるというわけである。
(でも逆に言えば、犯罪組織の一員が長く権力者層にいることも難しいってことになるけど)
 ハウエルの言葉、表情を思い返していたクリスは、再び机を小突く音に気がついて顔を上げた。
「それともそれはまだ判らないかな?」
 ダグラスは大胆にも、視線をオルブライトへ向けて言う。気付いたクリスが冷や汗を流すほど挑戦的な態度だが、見られた方は重みを持った静かさでそれを流しているようだった。
「それを決めつけるのは時期尚早とみますが、法務省の方は如何ですか?」
「はい、今のところ……」
 落ち着いた声を受けて、ヴェラが心得たように首肯した。若干の間は躊躇いというよりは言葉を選んだため、といったところだろう。
「両方、という事が考えられます。つまり、五年前に取り逃がした者たちが国外の組織の庇護下で潜入したという可能性が一番高い、と法務省では睨んでいます。それ以上のことは調査中です」
「まぁ、そうだろうね。でもそれなら取り逃がした連中の一覧くらいはまとめてあるんだろうね?」
「勿論です。キーツ担当官が後ほどお配りする資料の中に入っているはずですが」
「ちゃんと全員分用意している」
 ヴェラの視線を受けて頷いたキーツは、締めくくるように声を高くした。
「話を聞いていてだいたいのところは判ったと思うが、各自資料を読んでおいて欲しい。当座君たちにはそういった土台を理解して貰った上で、法務省が捜査官の派遣は危険だと判断した範囲の捜索や捜査官の護衛兼補助といった役割を遂行してもらうことになる。最終的には緊急事態の際に追跡や調査、捜査といった、軍部と捜査官の役割を兼ねた遊撃部隊として立ち回って貰うことになるだろう」
 異論や質問の有無を訪ねるようにひとりひとりの顔を見回した後、キーツは資料の束を取り出して皆に回した。そう厚いものではない。過去と現在の事件の詳細というよりも、それを理解した上でしか判らない文字の羅列、といったところだ。思わぬ紛失による外部への情報の漏洩を警戒してのことだろう。
 紙面に目を落としながらこれまでの話を思い返していたクリスは、ふと、もの言いたげな視線を感じて顔を上げた。
「なにか?」
 目が合ったことを確認し、首を傾げてヴェラへ問う。
「用があるなら聞くが」
「失礼。さきほどから黙っているようですが、何か意見はないのかと思いまして」
「意見、ね……」
 気遣いというよりも、初対面の相手を探っている、そんな印象にクリスは緊張を走らせた。
「初めて聞いた話が多かったので、聞きながら整理していただけだ」
 言えば、ヴェラは一瞬眉を顰めた。そうしてまじまじとクリスを見つめ、短い息とともに落胆を吐きこぼす。
「暢気な方ですね」
「は?」
「任務を言い渡されてから半日、それがどういう代物なのか、誰が関わるのかを調べもせず漫然と過ごしていたのですか?」
「……」
「いくら秘密裏に集められた集団、そして隠された用件といっても、最低限の情報は漏れているものですし、当然そこから推測されることは多岐にわたります。その程度のことを察しもせず、時間を無駄に消費する者と仕事をする必要があるとは、貧乏くじを引いたと言わざるを得ませんね」
 きつい、だが反論のしようもない痛烈な言葉である。真正面から無能と指摘されたも同義でであり、当然クリスは羞恥に顔を赤くした。手の放せない仕事があったのならともかく、実質暇を持て余しているクリスに反論の余地はない。
 捜査などは本来専門外である、というのは言い訳だろう。軍部でも位が上がれば当然、己の判断を問われる状況も増えてくる。その時、必ずしも情報が過不足なく与えられているとは限らないのだ。
 口をつぐんだクリスに背を向け、ヴェラは周囲を見回した。
「他には? そんな馬鹿なことを言い出す人はいないでしょうね」
 強い口調と鋭い視線に、一角から失笑が漏れる。自己嫌悪に項垂れたまま目だけをその方に向ければ、、明かりを受けて金髪が細かく揺れていた。
「失敬。ずいぶんと視野の狭い話だと思って」
「どういうことでしょう、アラン・ユーイング?」
「言葉のままさ。万事疑うことはあんたの仕事だが、彼はそうじゃないだろう。全く同じスキルを持った人間が集まっても仕方がない。得意分野で力を発揮できればそれでいいとは思わないか?」
「そのひとりのぼんやりが、失敗を招くと言うこともあります」
「つまりあんたは、その程度のこともカバーできない無能だってことさ」
「なっ……!」
「そこまで」
 割り込んだのは意外にもレスターだった。キーツはと言えば、苦虫をかみつぶしたような顔はしているものの、成り行きを見守るように一歩引いた位置で皆を眺めている。同じふたりによる二度目の諍いに、上司命令のような形で制止をかけてもなにひとつ解決しないだろうと判断したようだ。
 きっかけとなったクリスが戸惑いのうちに押し黙る中、レスターは呆れたように眉間を指の腹で押さえた。
「どちらも言い過ぎだ。特にヒルトン、君のクリストファーに対する言葉は八つ当たりのようにしか聞こえない」
「八つ当たり? 私が何故、初対面を相手にそんなことをする必要があると?」
「理由がないから八つ当たりと言ったまでだ」
 皮肉っぽく笑い、レスターはアランの方へ顎をしゃくる。
「そちらの彼と喧嘩したければ余所でやってくれ。自分のことをよく知りもしない相手に、一方的な尺度で好き勝手言われる身になってみたほうがいい」
「ごく一般的な尺度だと思いますが」
「君は夏の虫で、私やクリストファーは冬の氷ということだ」
「……あなたの方が、余程言葉を選ぶべきです」
「そうか。君がそこまで言うならそうなんだろう。普段はこんなんじゃないんだがな。伝染ったんだろう」
 いっそ澄ました口調にクリスの左、ダグラスが小さく吹き出したようだった。なんのことはない、彼がレスターをやりこめたのと同じ方法である。わざとならば、否、十中八九そうとしか思えないが、要するにレスターはクリスの気を紛らせようとしているのだろう。


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