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 全体を思えば実に些細なことに落ち込んでいたことに気づき、クリスは深々と息を吸い込んだ。
「レスター、もういい」
「ん?」
「彼女の発言に一理あるのも確かだ」
 認め、クリスは真っ直ぐにヴェラを見つめ直した。
「そちらの指摘通り、俺は大した能力を持ってるわけじゃない。こと、警戒や情報を集めることに関しては指摘された通りだ」
「……それで?」
「だが、何もできない訳じゃない」
「たとえば?」
 緑の目に問われ、クリスはわずかに首を傾けた。
 少なくとも、膂力はヴェラより上だろう。基礎体力を含めた肉体労働で優位に動ける自信はある。だが、探るような彼女にその長所を言ったところで響くとは思えない。職業の違いを思えばむしろ、そうでなくてはおかしいことなのだ。
 考え、クリスはゆっくりと口を開いた。
「信じることはできる」
「……?」
「少なくとも俺は、能力だのしがらみだのに縛られず、チームとして皆で任務を全うしたいと思っている。だからその大前提として、皆の何かを疑ったり悪く取ったりせず、信じて行動しようという意志がある。今のところできるのはそれだけだが、優秀な人材を集めているらしきこのチームに欠けているのも、そこではないか?」
 聞き方次第によっては皮肉とも取れる言葉だが、むろん、クリスの真意はそこにはない。どうにもぎくしゃくしたメンバーの中で現在中立であること、これからもそうであり続けることを宣言したつもりだ。そしてその思いをヴェラは正確に読み取るだろう。
 けして人に言うことの出来ない秘密を抱えたクリスにとって目立つことや出し抜くことは本意ではない。おそらくは各部署から選りすぐられたであろう彼らに対立する気もなく、そういった判りやすい消極性を表に出してクリスはヴェラを見つめ続けた。
 いつの間にか灯されていた燭台の炎が揺れ、壁に落ちた影が迷いを示すように傾いで戻る。十数秒の沈黙。
 奇妙な探り合いに終止符を打ったのはキーツだった。
「言いたいことは言い終えたか?」
 更なる沈黙を肯定とみなし、彼はにやりと笑う。
「先にも言ったが、仕事さえこなしてくれればこちらは問題ない。だが、互いの足を引っ張らないためにも、レイの意見は尊重すべきだというのがこちらの希望だ」
「私もそう願います」
 同意を示したのはオルブライトで、その効果は絶大だった。アランが弾かれたように顔を上げ、次いでクリスに眇めた目を向けた。むろん、言葉を受け止めたような好意的なものではない。結果的に「いいところを持って行った」形となったクリスを睨む寸前の勢いである。
(扱いにくい……)
 目を閉じ素知らぬふりでやり過ごしながら、クリスはこの苦行の時間が終わることを心から祈る。
 その願いが通じたわけでもあるまいが、おそらくは潮時だったのだろう。キーツがまとめるように口を開く。
「とりあえず、今回は顔合わせに集まってもらったまでだ。具体的な行動指示は追って通達する」
「それまでに各自、自分の考えをまとめておけってわけだね?」
「そういうことだ。他に質問はないな?」
 この期に及んで食い下がる者はさすがに居なかった。それぞれの態度で、不完全燃焼のまま閉会に同意する。
 そうしてオルブライトが頷いたのを最後に、陰鬱な集会は解散となった。

 *

「クリストファー・レイ」
 静かな声が後ろからクリスの耳朶を打った。三々五々、協調性の欠片もない様子で皆が会議室を去った後のことである。通路を抜けたのは最後であったはずだが、それを待ち受けていた者がいたらしい。
 暗がりを振り返れば、相変わらずの無表情でヴェラが立ち止まっていた。
「ヴェラ・ヒルトン?」
「ヴェラで結構です。――これからしばらく、チームとして向き合うことになるのですから」
 どうにも固い言い方だが、とりあえずは仲間として認識してはもらえたらしい。
「貴方を信用出来る者として忠告しておきます」
 前振りもない言葉に眉根を寄せ、クリスは続きを促すように首を横に傾けた。
「レスター・エルウッドとアラン・ユーイングは信用しない方がいい」
「何故?」
「彼らは正式な手続きを踏んで任命された者ではありません。想定外の誰かの息がかかっています。……どういうことか、判りますね?」
 小さく、だが鋭く囁く声に、クリスは思わず息を呑んだ。滑らかな額で分けられたヴェラの長い髪が、わずかな光を受けて艶を帯びる。その下、切れ長の美しい目が冷ややかな色を含んでクリスを真っ直ぐに射貫いていた。
「様々な思惑の絡まり合った糸をほどいたところで糸の上に居る者は真実に手が届かない。そこに辿り着けるのは、全ての糸に絡まらない者だけ」
「俺は既に絡まっている」
「渦中にいるだけ。あなたは誰からも操られていない」
 断定し、ヴェラはわずかに目を細めた。
「先ほどは失礼しました。あのように切り返されるとは思ってもいませんでしたが、おかげで頭が冷えました。今後のあなたに期待します」
「それは、買いかぶりだ」
「結構です。あなたからはあなた自身の声が聞ける。それで充分です」
 そうしてヴェラはあるかなしかの笑みを浮かべた。そこに虚を突かれ喉を詰まらせたクリスを余所に、彼女は会釈をして踵を返す。
 終始、落ち着いた口調だった。言葉に熱はなく、ごく事務的な忠告と謝罪、そんな印象である。反論をしたふたりに対する意趣返しではないだろう。
 立ち去っていく女の背を目で追いながら、なるほど、とクリスは皮肉っぽい笑みを浮かべた。先ほどの皆の態度、ヴェラとアラン・ユーイングの皮肉の応酬、積極的に仲を取り持とうとしないキーツ。それらから、特捜部という特定の事件のために各部署が協力するために設けられるチームの、裏の顔を悟らざるを得なかった。
 財務省、法務省、軍部といった国があり、それぞれの領土を荒れ地にしないために緩衝地帯を設け、それぞれが選出した者に事件という土俵の上で代理戦争を行わせる――それが特捜隊という臨時組織だ。組織の結末に求められるのは真実ではなく、勝者に都合のいい結論といったところか。先兵を任されている構成員は、必要となれば「仲間」を裏切ることも辞さないに違いない。
 任された仕事内容が難しいのではなく、結果をどこに導くのか、落とし所をどこに定めるのかという駆け引きが困難を極めるのだ。そういう意味で構成員が根底から互いに協力しあうことはないだろう。
 そこまで思い、クリスはふと首を傾げた。
(じゃあ何で、私はここに呼ばれたんだ?)


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