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 人の悪い笑みを浮かべるのはダグラスだ。その明らかに聞こえる皮肉を、しかしクリス以外は皆表情も変えず聞き流す。誰も手を取りあって情報共有、仲良く一丸となってなどとは考えていないのだ。この数日の間にも、せっせと独自の方法で情報を入手して自部署の為に働いていたに違いない。
 どうしていいのか判らないのは自分だけだな、とクリスはひとり胸の中で嗤う。
「では、具体的な行動はまだ定まっていないということか」
 頷くヴェラ。行き当たりばったりという酷評もできるが、行動を起こさずに待っているだけの人間よりは遙かにましと言えるだろう。クリスにしてみればやることを提示してもらえるだけでありがたい。
「法務省の方はその後どうなっている?」
「法務省の捜査官に対する襲撃はわずかながら起こっております。今のところ捕らえた人物は金を渡されて犯行に及んだ無関係の者ばかりで、有益な情報は得られていません。五年前に押さえられた物件は多く、まだ捜査の済んでいないところもかなり残っていますので、しばらく法務省の方針は変わらないと思っていただいて結構です」
「その護衛の話は回ってはこないんだ? そういうのも僕らの仕事のうちなんだろう?」
「危険性の高い物件は後回しになっています。護衛の依頼があるとすればその時でしょう。或いは本格的な捕り物、いわば囮捜査の時に依頼があると思います」
「それもそうか」
 ダグラスが納得したように頷けば、アランが端から手を挙げた。
「それじゃ、僕たちが出来るのは当分、捜査の終わった物件の粗探しってとこかい?」
「そうなりますが、その前に資料を」
 犬猿の仲としか言いようのない冷ややかさが含まれているが、この間とは違い、互いにそれを口に出すことは自制しているようである。多少の安堵を覚えながら目を落とした資料には、前回話されることのなかったいくつかの情報が加えられていた。
「まずは”物証”が発見された屋敷の情報です」
 資料に寄れば、屋敷の持ち主はかつての事件の首魁だったサムエル地方領主、ゼナス・スコットとなっている。だがこれはあくまで別邸のひとつで本拠地ではない。屋敷が建てられた当初の管理人は退役軍人のヴィクター・リドリーという男だが、彼は十年以上も前に当時の財政局局長と共に汚職で失脚している。その後行方知れずになっていたが、結局失踪後しばらくして、いくつもかの目撃情報が寄せられた後に溺死体となって発見された。人身売買組織の一員であることを思えば、むしろ粛正の原因は汚職にはないのだろう。組織内のなんらかの不始末で処分されたこと想像に難くない。
(内部でも容赦ないということか……)
 次に管理を任されたのはニール・ベイツという男で、彼はスコットの自殺という幕引き直後に失踪している。かなりの長期間屋敷を任されていたということは、組織内でも幹部に近い人物であったか、それに準ずる有望株だったと見るべきだろう。こちらははっきりと逃亡したという情報が多数寄せられており、現在も指名手配中である。
「つまり、今のところ屋敷内部に詳しかった、もしくはゼナス・スコットから重要な何かを任されていただろう、このニール・ベイツが怪しいということか?」
「それはおかしいんじゃない? 発見された”物証”の存在を知ってたなら、今まで放置しておく必要はないだろ? 僕なら、組織にとって拙い情報が書かれているものなんか、すぐに棄ててしまうけどね」
 アランの皮肉混じりの指摘に、小さく苦笑したのはレスターだった。
「それについては資料にあるようだ。”物証”の隠してあったと見られる場所は損傷が激しく、今でこそひとりふたりの力で動かすことが出来るようになっているが、組織が瓦解した当時はおそらく、複数の手を入れないと操作できない造りであったと見られる、――そう書いてある」
「はい。仕組みの再現は不可能と言うことですが、法務省で調査した結果、そういう結論となりました。建築の専門家も参加してのものであるため、まず間違いないと思われます」
「つまり、ニール・ベイツがその存在を知っていたとしてもひとりではどうしようもなかった、ということか?」
 クリスの言葉に頷き、ヴェラは無表情のままで資料を叩いた。
「屋敷は半ば放置された状態で、忍び込む事自体はそう難しい場所ではありません。何故放置されていたのかということに関しては判らないとしか言いようがありませんが、ただ、それほどまでに重要なものの存在を知らせてもいいと思える者が、逃亡中のニール・ベイツに果たしてどれほどいるのかと考えた場合、おそらくは手を出すことを断念せざるを得なかったのではないかと考えられています」
 五年前、首魁ゼナス・スコットをはじめとして、主だったものは殆どが捕縛か死亡かの末路を辿っている。使える手下も激減しているだろう。逃げ切れる程度の関わりしかなかった者は多く存在するとしても、その程度の者たちを、重要と言わしめる物の探索に携わらせるわけがない。表社会であればともかく、裏社会では下っ端の方が質の悪い日和見であることも多いのだ。
「逃亡者の中に、ニール・ベイツと同じ立場の、幹部と思われる者は他には?」
「バートラム・パロット、ガストン・アーチャーという名の二名が重要指名手配中です。しかしふたり共に王都や外国を中心とする売買の場に関わっていたとされており、おそらく接点はなかったと思われます」
 国境を越えて存在する人身売買組織は、自らの団体名を「フェーリークス」と定めている。裏社会で勢力を一気に伸ばした外国人の首魁がフェリックスという名前だったことから来ていると言うが、あまりにも皮肉なその名前故にか、一般的に人々の間でそう呼ばれることは滅多にない。主に関わり合いになりたくないという思いから、「組織」、或いは会話する上でややこしい場合には「人身売買組織」と、固有名詞を使用されることなく語られる。
 そんな「組織」の主な活動内容を思えば、その二名はニール・ベイツよりも格上の存在と見るべきだろう。そのような相手に敢えて、自分の関わった悪事の証の存在を知らせるとも思えない。
「自分ひとりの力では取り出すことの出来ない物が残っているなら、誰にも知られぬままに朽ちてくれ、ってとこかな」
「屋敷ごと燃やすという手もあるが、どうだ?」
「どうだろうなぁ。商売の取引先との契約書とかでさ、見付かったらやばいけど、出来るなら取り戻したいものだったら躊躇うかも」
「仮にそういうものだったとすれば、やはり逃亡中の屋敷管理人が、犯人として一番怪しいと睨むべきだろうな。或いは、関わっている可能性が高い」
 ダグラス、レスターが法務省の見解を肯定し、アランもやや不満そうに首を縦に振る。
 全員がニール・ベイツという人物の存在を認めたところでヴェラが再び資料を指で弾いた。
「では、ニール・ベイツの容姿ですが。五年前は薄い金髪を長く伸ばし、背が高かったと言うことです。他は別段特徴のない姿をしていたそうですが、現在はさすがに変化しているとみるべきでしょう。これについては当時の彼を実際に目撃して顔を覚えているという者が捜索に充てられています」
「顔絵の複製はないの?」
「それが、当時目撃したという者たちの証言が微妙に食い違っていまして。何ぶん特徴がなかったという意見が一致していて、はっきりとした顔絵が作れないのです」
「うーん? まぁよくある話かな」
 人身売買組織の一員で且つそこそこの地位にある者が、誰しもに顔を覚えられるような形でうろうろとしているとは思えない。意図的に化粧や細工で特徴を変えたり消したりすることは、ダグラスの言うとおり珍しくもない話なのだろう。


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