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 気まずい雰囲気が室内を環流する。腕を組み、クリスはため息を吐いた。
 どちらの言い分にも頷けるところがあり、しかし諸手を挙げて賛同できない部分がある。いっそレスターの意見を専門家に任せてしまえばとも思うが、おそらく法務省の方でもその程度のことは意見として挙げられているだろう。そこに回す人手が足りないだけだ。
 どうしたものか、と首を傾げるクリスの横で、ダグラスが何事か短く呟いた。
「何?」
「仕方ないな、って言ったんだよ」
 肩を竦め、心底諦めたようにダグラスはぼやく。
「そんなあやふやな記録だか記録だかを探らなくても、ひとり、確実に内部事情を知っている人がいるじゃないか」
「誰?」
「ずっと屋敷に居た人さ」
 簡潔な答えに、四人はそれぞれの表情で疑問符を浮かべた。
「何言ってんだ、こいつは、とか思った? でもよく考えて。屋敷を維持するにはそれなりに人がいる。組織とは無関係に働かされていた人もいるはずだよ」
「それはそうですが、無関係の者なら資料に残ることもなく解放されています。それこそ現在どこにいるのかなど判らないのでは?」
「ひとり、心当たりがあるんだ。もしかしたら、ダーラ・リーヴィスの行方も知っているかも知れない」
 ある種の爆弾発言に一番反応したのは、当然法務省の人間である。勢い席を立ち、他の三人の気持ちを代弁するようにヴェラは上擦った声をあげた。
「なんですって!? 何故、そんな重要なことを――」
「君が言ったはずだよ。当時は重要な人物じゃなかったから指名手配されなかったってね。僕たちが見逃した人もそういう人だから」
「っ、」
「まぁ、詳しくは聞かないでほしいな。僕だって詳しくは知らないんだし。上司に教えてもらえるかかけあってくるから少し待ってて」
「私も行きます!」
 反論を許さぬ勢いで椅子を倒したヴェラは、まだ座ったままのダグラスをきつく睨みつけた。だから言いたくなかった、とばかりに再度肩を竦めるダグラス。苦笑しながらクリスは彼に向けて手を振った。
 財務省から軍部への移動は関係者であればそう面倒なものではない。上司の居場所さえ予想通りなら、小一時間ほどで戻ってくるだろう。多少の誤差をもって計算し、ふたりを見送った面々はそれぞれの姿勢で緊張を解いた。
「外に出ている」
 肩を回し伸びをすれば、いかに自分がかしこまっていたか知れるというものである。座っていては埒があかないと感じたクリスは、閉まったばかりの扉へと手をかけた。
 その背に、レスターの声が当たる。
「待て。私も出る」
「何故?」
「昼食がまだなんだ」
 確かに、家を訪ねたときの状況ではそれもあり得るだろう。
 アランに断り会議室を出たクリスは、レスターの勧めで表通りへ出ることとなった。よく晴れた空からの日差しは、軍服には少し暑い。
「このあたりは旨い出店が多い。クリスは食べないか?」
 さすがに食堂でゆっくりと胃を満たす時間はないと、レスターは目に付いた店で適当なものを購入する。さほど空腹というわけではなかったが、クリスは彼に倣うことにした。小振りのサンドイッチを選びかけ、思い直して肉と野菜を詰め込んだ物を指す。クリスティンの感覚で食事を摂ると、後々クリストファーの体が抗議の音を鳴らすことになるのだ。
 適当なベンチに腰を下ろし、クリスは改めてレスターに目を向けた。
「それで? 何か話があるんだろう?」
「判ってたのか?」
「連れ立って仲良く食事、という間柄でもないだろう」
 本日顔合わせ二度目の知り合い、もしくは仕事仲間というのがせいぜい好意的な解釈である。世の中には知り合ったがすぐ友達と定義する者も存在するが、少なくともレスターはその類ではない。更に言うなら、わざわざ親睦を深めようと積極的に動く性格でもないだろう。
 指摘に、レスターは可笑しそうな笑みを浮かべた。
「そうだな、クリスの友人の、――アントニー・コリンズなら連れ立って食事もありうるだろうな」
「アントニーを知ってるのか?」
「それを含めて、ふたつ話すことがある」
 前置き、レスターはかしこまった声に変えた。
「まず、君のことを調べさせてもらった。主に事故の事を」
「それは……」
「少し疑っていた部分があってのことだったが、本当に無関係の被害者だったと判った。勝手に身辺を探って済まない」
「黙っていれば判らないだろう? 何故わざわざそれを言う?」
「私たちが追っている、いや、追うことになる一連のことにクリスの事故も深く絡んでいる。その話になったときに、ボロが出るかもしれない。だからはじめから調べたと断っておくほうがフェアだと思ったまでだ」
「……そうか」
 気のなさそうにクリスは呟いた。正直なところ、他の者たちもそれぞれの視点で調べているに違いないとふんでいる。たとえクリスを焦点に調べていなかったとしても、レスターの言うように、事故と事件に関連がある以上どうやっても知れてしまうことだ。
 律儀だなと思いながら、クリスは続きを促した。
「ふたつめは伝言だ。事故のことを調べているときに頼まれたんだが、モニカ・ストーンという女性を知っているか?」
「ああ。……妹の友人、だった」
 言ってからクリスは、何も無理に過去形にする必要はなかったと気づき顔を歪めた。それだけ、瞬時に動揺してしまったということだろう。
 モニカ・ストーンは、クリスティンが死んだ日に会いに行っていた女性である。子供の出産祝いのパーティを開催した帰りに参加者が亡くなったというのは、彼女にとってもダメージの強い話だったに違いない。気にするな、と言いに行きたいのは山々だが、ほとんど接点のなかったクリストファーがわざわざ訪れるというのもおかしく、結局は放置している。
「彼女が何か?」
「『クリスティンの葬儀にも行けずに申し訳なかった。今はまだ落ち着かないが、そのうち墓参りをさせてもらう』とのことだ。事故の話を聞きに軽く声をかけたんだが、その時に頼まれた」
「そうか。判った」
「……? それだけか?」
「それだけ、とは?」
 他に何を言えというのか。眉を顰めてレスターを見返せば、彼はちらりと人の悪い笑みを向けた。
「伝言ではなかったので省略したが、『クリストファーが生きていてくれて嬉しい』と心底安堵したように言われたのだが」
「!?」
「なんだ、一方通行か?」


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