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 苦笑しつつ、モイラは遠くを見るように目を細めた。無意識にか嵌めた指輪をいじってるのは、某かそれに思い出すことがあるためだろう。
「でも、そうだねぇ。ニール・ベイツを取っ捕まえたら、他にも気づかれてない被害者が判るかもしれないね。アタシのことはいいから、その子たち助けてやりなよ。アタシは一応、ここで保護されて気楽に暮らしてるからさ」
「……」
「まぁ、期待してないけどさ。せいぜい頑張んなよ」
 追い出すような声に含まれた穏やかさに、クリスは思わずモイラをまじまじと見つめた。
「何?」
「いや」
 何でもない、と言いかけてクリスは緩く頭振る。
「――あなたは強いな、と思っただけだ」
「なにそれ?」
「あなたの人生は、けして楽なものでも優しいものでもない。なのに自分が不幸だと溺れもせず、残酷な過去を理由に人を傷つけようともしない。自棄になっているわけでもない。だから強い人なのだと思った」
 十分に選んだ言葉を口にしながら、自分であればどうだろうか、とクリスは頭の端で考える。想像でしかない話だが、自殺に走るか、自棄になって悪い道へと突き進むに違いない。後者となっても止める者や矯正する者のいない世界だ。一度堕ちればはい上がることは不可能に近いだろう。
 思い、モイラを見つめれば、彼女は困惑したように視線を避けた。
「買いかぶりだよ、それは」
「それなら、そうなんだろう。だが、俺は真実そう思った」
「……」
「邪魔をした」
 微笑み、クリスはそのままモイラに背を向けた。少し進んだ通路の先で待っていたダグラスが、目線でもういいのかと問いかける。首を縦に振ることでそれに答えれば、彼は少し笑ったようだった。
 そうして急な階段を下りること数歩。階上で響いた床の軋む音に、クリスは目線を上に上げた。
「待ちな」
 鋭い声と共に、二階の手すりから身を乗り出すモイラの姿がある。
「今から、あの屋敷に向かうんだろ?」
「そうだが」
「だったら、古い木の根元には気をつけな。あの屋敷は木が多くて危ないんだよ。あんた、そそっかしそうだから」
 告げるモイラの目に、危惧や心配の色はない。代わりに何かを訴えるような強さを含んでいた。
 忠告、否、これは彼女の最大限の答えだ。精一杯の譲歩と言うべき、貴重な情報である。一度は驚きに目を見張り、次いでクリスは破顔した。
「ありがとう、気をつける」
「……また、何か思い出したら連絡するから」
 呟くように早口で言い捨て、クリスの返事を待たずにモイラは奥へと去っていった。突然のことに若干面食らいながらも、クリスは彼女の言葉をありがたく反芻する。今のところそれがどういう意味を持つのかは判らないが、屋敷へ行けば手がかりがあるに違いない。
 完全に彼女が見えなくなるまで立ち止まり、扉の閉まる音と共にきびすを返す。ふと視線を下ろせば、ダグラスが呆れた顔を向けていた。
「何だ?」
「ねぇ、それ、天然?」
「だから、何が、だ?」
 眉根を寄せれば、ダグラスは深々とため息を吐いた。
「怖い姐さんをたぶらかしておいて、何がはないでしょ」
「怖い? 格好いい女性の間違いだろう?」
「……君の感性がよく判らないよ」
 肩を竦め、ダグラスは乾いた笑みを浮かべた。クリスの言葉を飲み込んだ様子はない。
 おそらくそれは、男女の感覚の違いというものだろう。同性から見て格好いいと感じる女性が、必ずしも男性に受けるとは限らない。それ以前のダグラスとの反応の違いから、なんとなしにそれを察していたクリスは、ただ短く苦笑するに止めて彼に進むように促した。ごまかした感もあるが、こればかりは説明のしようがない。
「くだらんことを言ってないで、出るぞ」
「仕方ないね。追及は止めておくよ」
「何を拘るのかは知らんが、夜には出発するんだろう。急ぐぞ」
「はいはい」
 投げやりに返事を返し、しかしダグラスは口の端を曲げてクリスを覗き込んだ。
「でも、君がダーラの名前を知ってた理由は聞かせて貰うよ」
 道中、ふたりきりなんだからね、とダグラスは笑う。――目は、全く笑っていない。
 瞬間的に凍り付き、クリスは背中に大量の冷や汗を流すこととなった。


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