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 こみ上げる同情を押さえつつ、クリスは所在なげに鼻の頭を掻いた。
「詳しくは判らない。それらしきものはなかったか?」
「さて。そういう目線で見ていないから、見落としている可能性もある」
「っていうかさ、古い木だらけだったろ」
「そうか?」
「そうさ。まぁ王都育ちじゃ判らないか。ここいらの木は、全体的に大きくならないのさ。どれだけ年数を重ねてもな。横に広がる種もあるけど、そこそこ草木が密集してるあのあたりじゃ、そういうのは育ちにくいからな」
「よく知ってるな」
「……別に、あんたみたいな都会育ちじゃないだけさ」
 感心したように言えば、アランは若干言葉を濁して目を細めた。そこからどんな変遷を経て財務省へ入ることになったのかは、この場で食い下がるところではないだろう。気のなさそうに頷き、クリスは腕を組む。
 同じくまだ見ぬ場所を想像もできなかっただろうダグラスが、机を小突きながら短く息を吐いた。
「どっちにしても、明日の話だね」
「そうだな」
「とりあえず、今日はこの後各自適当にする、でいいかな。僕とクリスはお腹も空いてるし、そっちはそっちで今日の探索の結果必要になったものもあるだろ?」
「そうですね。想像以上の荒れ放題でしたので、商店に行って何か良いものがないか見てきます」
「じゃ、そういうことで」
 解散、というわけである。
 ヴェラは宣言通りすぐさま席を立ち、彼女の姿が宿から消えて後にアランも食堂を後にした。馴れ合うつもりはないという意思表示か、人見知りかは定かではない。
(結局この三人でつるむんだよなぁ……)
 同じ軍部という立ち位置からか、ダグラスとレスター、どちらかと一緒に居ることの多いクリスである。半分はダグラスのせいとも言うが、若干の強引ささえなければありがたいには違いない。
「レスターは、買い物にはいかないのか?」
「到着したときに買ったからな」
「へぇ?」
「着いてすぐ、休憩を取った。そのときに雑貨屋に寄って、最近来た法務省の捜査官が買っていった物を聞いて買っておいた」
 随分と手際がよい。思い、口にすればレスターは、わずかに顔を歪めながら苦笑したようだった。
「軍の遠征とコツは変わらない。その土地の戦いに何が必要かは、地元の者が一番よく知っている。それに倣っただけだ」
「まぁ、君はそうだろうけど」
 呆れたようにダグラスは口を尖らせる。その横でクリスはレスターの表情に首を傾げた。得意になっているわけではなく、むしろ痛みを伴うような――と、不意に何かが頭の中に落ちるのを感じて記憶を探る。
(戦場の記憶?)
 クリスティンには覚えがない。となれば、時々ふと浮かぶクリストファーの知識だろう。毎度の事ながら唐突だ。出来の悪い劇を見るように、意味の判らない映像が脳裏に浮かんでは消える。今回は遠征かそれに近い軍の演習の一場面であるようだ。
(でもこれって、遠征っていうよりは、ほとんどタダの雑用場面よね……)
 少なくとも、レスターが言うように自分で考えて行動する場面は全くない。歩いて移動、到着すれば天幕を張り、見張りから食事まで、全て自分たちの手で行われる。下っ端故の仕事と言ってしまえばそれまでだが、こんな状況では上から言われるがままに動くしかないというほどの忙しさだ。
 若手の出世頭とは言え、レスターの身分も似たようなもののはずだが、と首をひねりクリスは眉根を寄せた。
(あれ、そう言えばレスターが四位貴人の称号を取ったのって……)
 北部戦線の、と思い出しかけたところで突然、肩に衝撃を受けた。
「なっ……?」
 慌てて身を引きその方を向けば、日に焼けた大きな手。反対側には問題のレスターの端正な顔があった。
 上がりかける悲鳴を必死で飲み込み、何事かと身構える。冷静平静無表情、と心の中で繰り返すクリスの努力を霧散させるように、レスターが艶のある低音でわざとらしく囁いた。
「それで? ダーラ・リーヴィスは佳い女だったのか?」
「!?」
 バレている。
 驚愕と焦燥と緊張をないまぜにしたような複雑な表情で口を閉ざしたクリスを見て、レスターは堪えきれないように腹を抱えて笑い出した。ダグラスが横で、額に手を当てて天を仰いでいる。
「カマだよ、カマ」
「あ」
 呆れたような指摘に、クリスはさっと顔を赤らめる。彼を嵌めたレスターはというと、笑いの端で全く悪びれた様子もなく、済まない、と謝罪を口にした。
「何でバレたかなぁ」
「ダグラスの上司ならそれくらいはやりそうだから、だ」
「ああ、なるほどね。それに気付けなかった僕は、まだまだってことかな」
「おや? ではどうやってそうと判明したんだ?」
「クリスが彼女にカマをかけたんだよ」
 どうにも滑稽な騙し合いの結果である。最終勝者は敗者の肩に置いたままだった手に額を乗せると、小刻みに背中を震わせた。形ばかりの慰めを口にしようとして、笑いの発作に邪魔されたようである。
 肩に響く振動に若干心拍を上げながら、クリスはおもむろに咳払いをした。
「俺の存在が残念なのはともかくとして、だ」
「存在というか、気合い入っているときとそうでないときのギャップだね」
「煩い。――それは置いておいて。レスター、判ってはいると思うが」
「他のふたりには秘密に、だろう? 言われるまでもない」
 心得たように頷くレスターに、とりあえずは胸をなで下ろす。彼の推理経路からすると、ヴェラやアランが自然にその結論に達することはないだろう。
(まぁ、私の失敗でバレたってより、先に気づいてたってわけだし)
 仕方ない、と思い、

 ――レスター・エルウッドとアラン・ユーイングは信用しない方がいい。
 ――想定外の誰かの息がかかっています。……どういうことか、判りますね?

 ふと、ヴェラの言葉を思い出し、クリスは胸の奥で不愉快なものが頭をもたげるのを感じた。
「……」
 少し見れば判る。ヴェラは真っ直ぐで頑なだ。相手の思惑を探り解析し暴くことは得意としても、自ら要らぬ不穏を蒔くタイプではない。五人の関係に不協和音を響かせるために告げたのではなく、真実そうと忠告したのだと判る。
 判るだけに、――判別が難しい。
(本当に大丈夫、か……?)


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