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 思い、しかしクリスは頭振った。咄嗟の思いつきが切っ掛けだったにしろ、自分は中立であろうと決めたのだ。レスターやアランが、何もおかしな行動をしていない現時点で怪しむべきではない。
 そう決定し気合いを入れるように拳を作れば、不審気な声が近くからかけられた。
「どうした、クリス?」
「ぅえ!?」
 安堵とその後の危惧に忘れかけていたが、未だレスターはクリスの近くにいたのだ。思い返せば、逃げた記憶も払いのけた覚えもない。
「なんだ、その妙な反応は」
「ち、近い。もっと離れろ」
「周囲に聞こえていい話ではないだろう」
「それは、そうだが……」
「……あのさぁ」
 もとは横、今は後ろから乾いた声が横やりを入れる。
「どうでもいいけどね、ふたりとも。こそこそ話す以前に、もっと周りを気にした方がいいと思うよ」
 明らかに面白がっている様子でダグラスは、にやにやとしか表現しようのない笑みを向ける。
「ふたりとも、目立つからね」
 ぎよっとしてレスターの手を肩から引きはがす。――むろん、時既に遅し。好奇心に目を輝かせた町のお嬢様たちが、頬を染めながら残念そうにため息をついている。
(判る。あの子たちの思考が手に取るように判る。……だけに、い、いたたまれない……!)
 身分違いの恋愛、見目良い同性同士の許さざる関係、それらを甘く切なく綴った芝居に若干傾倒していた兄嫁、否、妻のことを思い出し、クリスは背中に嫌な汗を覚えた。彼女たちの妄想は現実を越えて、誰も止めることのない頭の中でどこまでも飛んでいくことをよく知っている。
 同じく引きつった顔で周囲を見回したレスターとほぼ同時に頷き、クリスたちは逃げるように食堂を後にした。

 *

 町から南に下る街道を逸れてしばし、雑多な草の生い茂る平らな地にその屋敷はそびえ立っていた。――ただし、完全なる廃墟として。
 塀として積まれた石垣は崩れ、かつては美しく舗装されていたであろう道は五年という歳月の中に埋もれ、今は見る影もない。狭いところでは、馬一頭をかろうじて走らせることの出来る空間が空いているという程度だ。昼からして陰鬱な様相を呈しているこの一帯に、好きこのんで入り込む輩は皆無と言っていいだろう。
 基礎と柱だけを残す厩に馬をつなぎ、五人が集合したのは他よりも少し開けた場所だった。かつては美しく造形された庭園であったに違いないそこには、主に背の低い木が好き放題に枝を伸ばしている。若葉は既に緑濃く、薄い陽光の下でも地面に闇を作り上げていた。
「古い木の根、か」
「いったいどれを指すのやら」
 ダグラスの言葉を受けてアランが口の端から皮肉をこぼし、露出した根を確かめるように軽く蹴る。
「ここらだけで何本あるか、その女に見せたいくらいだ」
「そうでもないよ。木の根もとに気をつけろっていうのをそのまま受け止めるなら、某か地面にあるってことじゃないかな」
「でしたら、何か目印になるようなものがあるのかもしれません。ひとつずつ、確認するしかありませんが」
 獲物を狩るような目で地面を見つめるヴェラだが、やたらと広い敷地内ではあまりにも非効率な方法としか言いようがない。人数に余裕があればともかく、各方面から優秀とされる人物が集まっているとは言えたかが五人、ひとりでは見落とすことを考えて重複確認を行うつもりなら、数日とかかる作業である。
 しばし沈思し、探す前から想像だけで根を上げたのはダグラスだった。
「ごめん。とりあえず、屋敷の中も見に行っていいかな」
 建設的というよりは逃げに近い発言だが、方針定まらぬままに立ちつくしよりはましと言える。同じく初訪問であるクリスは、ありがたくダグラスの尻馬に乗ることにした。
「一度、発見現場を見に行ってくる」
「……ま、それもありか」
 ヴェラとレスターが黙って頷き、了承を示す。即席のチーム内で連携に拘っても仕方がないといったところだろう。
 緊急時の合図を決め、それぞれが思う方面に散る。適当に散策するらしいダグラスと別れたクリスは、迷わず”物証”の発見現場へと足を向けた。
(それにしても、荒れ放題だな)
 人の住まなくなった家は荒れると言うが、それにしては人為的な匂いのする荒廃ぶりである。ほとんどは自然災害や年月の影響と断定できるが、そこに人の手が拍車をかけたと見られる箇所もあった。
 軋む床を慎重に歩き、崩れそうな階段を上がる。乾いた泥に覆われた絨毯に眉根を寄せるが、刻まれた靴痕が多数に渡ることから、今更現場証拠に拘っても仕方がないと諦め、クリスは大股で部屋を縦断した。倒れたクローゼットの脇を更に進めば、目的の場所がある。
 最後にまとまった雨が降ったのはいつだろうか。ここ数日乾いた気候だったにも関わらず、どこか湿った印象のある奥深い部屋は、明らかに人の手で荒らされた痕跡が他よりも多く残っていた。
「ここの床、か……」
「酷い有様だね」
「わっ!」
 文字通り飛び上がって退いたクリスは、早鐘を打つ心臓に手を当てて左右を見回した。
「ゲッシュ、……どこに居る?」
「姿が見えたらまずいでしょ?」
 もっともな答えにクリスは深々と息を吐く。
 だったら急に声をかけるな、と怒鳴りたいのを我慢して彼は頭を掻き毟った。
「何か急用か? それとも、俺には見えない何かが見えるとか?」
「残念ながら、僕に特別見えるのは魂だけさ。この間名前を教えることが出来たのは、君がクリスティンだと証明したのと同じ仕組みだからね」
「魂に刻まれる、今生の名前、ね」
「そう。だから別に僕たちは、残留思念だとか過去の映像だとかが見える、生きてる人が妄想に近い畏れを持って語る超常能力の存在じゃないんだよ。そこのところ間違わないで」
「判ってる」
 ダーラ・リーヴィスの件はありがたく思っておくとして、人間たちが解決すべき現実の問題に関して、別段ゲッシュに積極的に手伝って貰おうとは思わない。彼の援助を頼むとすれば、あくまでクリスティンとクリストファーの間に起こった問題の糸口を掴む時だけだ。
 無惨にはがされた床に目を落とし、クリスは口を横に引き結ぶ。
「人の栄枯盛衰はどう映る?」
「……僕は、導き人として日が浅いから」


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