[]  [目次]  [



「サムエルの領主や客がイイコトするのは普通の客間の方だったんだろうけど」
「最低な行為、だ」
「……君、フェミニスト?」
「違う。だが、言葉には気をつけろ」
 陰鬱な空気を払うために、ダグラスがわざと軽い言い方をしているというのはクリスにも判っている。だが、あくまで男視点の軽口に、女としての感情がどうにも看過することを許してはくれなかった。
 低く言い切られたダグラスは、ただ肩を竦めたようである。やがて気を取り直したように、彼は通路の奥を指さした。
「あそこがダーラ・リーヴィスの部屋だったらしいよ。行ってみる?」
 否もなく頷き、クリスは窮屈な姿勢のまま突き当たりの部屋へと向かった。
「一応特別扱いみたいだけど、行動はやっぱり制限されてたようだね」
「組織の一員という括りに入らないなら、そういう扱いになるだろう」
「とことん、人道に悖る組織だね。なんでそんなのの親玉が、領主になんてなれたんだか」
「悪人であればあるほど善人を騙るのは簡単なのだろう。真逆のことをすればいい。そして、悪人にもカリスマはあるものだ」
 確かに、と息を吐くダグラスを後ろにクリスは扉に手をかけた。ギィ、と蝶番が錆びた体で抗議の声を上げる。
 部屋は単純な引き戸で分けられているが、入り口側は直接外に面してはいないようだった。その為か他のどの部屋よりも保存状態が良い。逆に寝室とおぼしき奥の方は、案の定、人為的に割られた窓を中心に自然の浸食を受けていた。
 壁に固定されている棚はかつて名のある品だったのだろう。今は両開きの扉の片方がなくなり、残る一方の硝子も割れ、中に置かれているカップやソーサ、螺鈿細工の小箱などが埃と泥を被っている。中綿のはみ出た椅子も脚の折れたテーブルも、元の姿はかくや、といった状態だ。
 構造の複雑な物がいちいち分解された状態になっているのは、そうした五年前の捜査の名残だろう。引き出しは全て出され、何かを隠すスペースがないかと探られた跡が残っている。
 ひと通り奥を見て回った後、何もなしとして入り口に戻ったクリスは、改めて室内を見回し、深くため息をはき出した。
 調度品から装飾の類が剥がされているのは階下と同じ理由として、意外にも多くの品がそのままに残されている。おそらく、三階へ至る構造の問題から、一定の大きさ以上のものは運び出せなかったためだろう。
(部屋は広い、家具もそれなりに豪華、か)
 土地条件の悪い農村の暮らしを鑑みれば、贅沢と言っても良い生活だっただろう。だが、ただひとつ、絶対的に自由がない。それだけでこんな暮らしはごめんだ、と思うに充分である。
 緩く頭降り、クリスはモイラこと、ダーラ・リーヴィスに対する同情にも近い思いを振り落とした。他人の過去に思いを馳せている場合ではない。
 そうしてふと目の前のガラス棚を見れば、ある種見慣れたものが若干乱雑に並べられているのに気がついた。
「人形が結構あるね」
 煤に汚れた一体を手に取り、ダグラスが思案げに眉根を寄せる。
「服は手作りっぽいね。半ば監禁状態だったから、こういうので気を紛らわせてたのかな」
「だろうな」
 生憎と裁縫、刺繍といった手習いに興味のないクリスに技巧のほどは判らないが、単なる片手間や暇つぶしで出来るものではないだろう。趣味、というよりはこれより他に集中できるもの、自由になるものがなかった、という限界点に違いない。
 いくつもの人形の中に知った物を見つけて、クリスは何気なしに手に取った。
「それ、他と比べてると顔がブサイクだね」
 面白そうな笑みを浮かべて、ダグラスがクリスの手元を覗き込む。大男とかわいらしい色彩の人形、十中八九、ミスマッチと言いたいのだろう。
 もっともなことだ、と客観的に評価しながら、クリスは人形を母指の腹でなぞりながら呟いた。
「まぁ、単なる飾り人形ではないからな」
「どういうこと?」
「中に小さな物が入る。子供の頃、妹が欲しがっていたので買ってやったから覚えている。こちらの方が上等な細工で少し形は違うようだが、同じ仕組みのもので間違いないだろう」
「へぇ」
 何気なさを装いながらも、ダグラスの声に罅が混じる。クリスティンが死んだ事故について、彼もまた調査済みなのだろう。
 それに気づかぬふりをしながら、クリスはカラクリの部分に手をかけた。
「入ると言っても大した容量はない。小さな子供の指で2本ぶん、俺ならせいぜい小指一本程度だ」
 カラクリの仕組みについては簡単なカスタマイズが出来る程度で、仕様さえ知っていれば誰にでも解除できる。それでも一時期少女たちの間で流行ることになったのは、要は秘密基地に妙な興奮を覚えるのと同じことなのだろう。
 懐かしさを覚えながらクリスは定まった手順の最後、人形の腰部と脇に指をかけて捻るように上下に引き――そこで、指を止めた。
「……?」
「どうかした?」
「取れない」
 本来であれば腰の部分でふたつに分かれるはずの人形が、細長い鉄の棒で連結している。そう後から加工したわけではなく、丁度、中に物をしまうための空洞の部分に入れた物が引っかかっているようだ。
 少し考え、クリスはそれまでより強引に捻りを加えた。
「あっ」
 カラクリの一部が折れる音に続き、分解された人形の中から黒い棒のようなものが滑り落ちる。咄嗟に出した手は間に合わず、それはむき出しの床板の上で跳ねてダグラスの靴を叩き転がった。ほぼ同時に視線を遣り、ふたりは次いで顔を見合わせる。
「鍵?」
 拾い上げ、クリスは怪訝な顔で呟いた。
「大きさからすると、せいぜい小箱程度の簡易な鍵でしかなさそうだが」
「ダーラ・リーヴィスが入れたのか……、いや、ちょっと待って」
 珍しくも慌てた様子でダグラスは鍵を凝視した。
「これ、例の”物証”を入れてた箱の鍵じゃないかな?」
「まさか……」
 否定を口にしながらも、正直なところクリスもその可能性には行き当たっていた。
 壊す以外には取り出しようのない強引な入れ方は、そこが鍵の通常の保管場所でなかったことを示す。また、かつて屋敷に住んでいた面々が貴重品を仕舞う箱を持っていたとしても、その鍵をわざわざ不特定多数の入る部屋に置きはしないだろう。部屋の主はどうかといえば、ダーラ・リーヴィスは実質自由などなかった身で、つまりは鍵付きの何かを持っていたとしても、それを隠すことに意味はなかっただろうと思われる。
 つまり、五年以上前からその鍵がそこに隠されていた可能性は低い。
 加えてやや狭い視野で考えるなら、人形がカラクリであることを知っている世代もまた限られていると言える。クリスティンと同世代に近い女性か、もしくはそういった年代の子供を持つ親で、ある程度生活に余裕のある者と特定しても差し支えないだろう。世代を超えて普及するには造りが子供じみており、希少かと問われれば否定せざるを得ない微妙な一過性の流行もの、そういう位置づけだからだ。ヴェラもその括りに入るが、他を思えばこの屋敷の捜査を任され、半ばで斃れた法務省の捜査官がそれに当たる。


[]  [目次]  [