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「とりあえず、この鍵がどんなものに使われるのか、どこかで照会してもらうしかないね」
「職人のところへ持ち込むのか?」
「まさか。法務省の資料室ならそういう資料も揃ってるし、技術者との間に伝手もあるはずだよ」
 後付けされた頭は枝付きのリンゴを平たくして形取ったような、歪な円形に突起を付けた変わったデザインではあるが、肝心の背中や腹の部分は特徴のない代物だ。比較的単純な造りからして、金持ちの好みそうな装飾を入れただけの量産品だとみて間違いない。これであれば確かに、法務省所属の技術者に頼れば元々何の鍵であったのかを特定できる可能性は高いだろう。
 ただ、とクリスは首を傾げて手のひらにある鍵を睨みつけた。
「方法としてはそれが一番無難だとは思うが――」
「ダグラス、クリス!」
 クリスの言葉を掠うように、遠くから呼びかけの声が響いた。
「聞こえたら返事をしてくれ!」
 レスターである。庭の方から叫んでいるようだが、建物の中で反響してその方向までは判らない。大した声量だと妙な関心をしつつ、クリスとダグラスは引き戸を超えて奥の部屋へと向かった。
 だが、見える範囲には誰もいない。
「三階にいるけど、何!?」
 ならば、とレスターに負けるとも劣らぬ大声で、ダグラスが応えを返す。思わず耳をふさいだクリスだが、軍隊では部下を持った人間に声を出す訓練をさせているとは、さすがに知るよしもない。
「降りてこい! 地下室が見つかった!」
「!?」
 咄嗟に顔を見合わせ、そのままの姿勢でふたりは同時に息を呑んだ。驚愕とは別に、そんなうまい話があっていいものかという疑惑に眉根が寄る。
 ――捜査の玄人が見つけられなかった事が、こんな短時間で素人に曝かれるはずがない。
 もともと無駄を承知でやって来たのだ。予想外の発見に混乱が生じているのも無理からぬことだろう。
「とりあえず、行くか」
 言いながら窓際を離れたクリスを、ダグラスが無言で追った。慎重に進んでいた通路を逆走し、二階へは縄を使わず飛び降りる。鍛えられた身体能力があってこそのことであるが、来たときの半分と時間をかけずにふたりは屋敷の外へと飛び出した。
「こっちだ」
 待ちかまえていたレスターが手で招く。気負ったところのない常と変わらぬ様子に妙な安堵を覚えつつ、クリスは彼の案内に従った。
「よく見つけられたな」
「偶然というよりは、運が良かったというべきだろうな。単に虱潰しに見て回っただけだ」
 苦笑しつつ、レスターは厩の近くを指で示す。その先に立っていたヴェラが軽く手を挙げて合図を寄越した。若干表情に険があるのは、アランの姿が見えないことに由来するのだろう。
 案の定、クリスたちが到着するのと同時に、発見された穴からアランが顔を覗かせた。
「ひとりで探索すべきではないと忠告したのですが」
「先に三人でやったんだからいいだろ。めぼしいものは何もなかったんだし」
 アランがこれまでになく興奮し妙な活気を見せているのは、若さ故といったところだろうか。あからさまに呆れた様子のヴェラと小さく苦笑するレスターが、発見時の彼の様子を物語っている。
「アランが見つけたの?」
「始めにエルウッドが探索していたときは見逃したようですが」
 他者が発見したのであれば、アランが必要以上に興奮することはなかったのに、と言いたいのだろう。レスターはただ短く苦笑した。その面目なさげな表情に免じてか、ヴェラは一拍おいた後、話を建設的な方向へと軌道修正した。
「本来であれば、丁度人が通らないような厩と屋敷の壁の間、だったのでしょう。この低木が邪魔で敢えて隙間が出来た、と普通なら捉えてしまう空間です」
 なるほど、とクリスは頷いた。今大人数人が輪になって立っていられる空間も、かつては厩と壁に占領された狭い隙間でしかなかったはずだ。五年前屋敷に残る組織の構成員を追い詰めた際、一部焼失したために連なる箇所を解体したというが、ここは植え込みや厩の土台が中途半端に残っている。
 数年の歳月が木を腐らせ、時折起こる嵐がかろうじて残っていた物を破壊し、地面を人の目に広く露出させた今だからこそ、こうして気づくことが出来たと言ってもいいだろう。否、古い木と根という限定された視点がなければ調べようとも思わなかったことを思えば、モイラの言葉は天恵であったとするべきか。
 まさに足を引っかけるのが目的のように地表に出た根の近くに、蝶番の壊れた鉄板が立てかけられている。見える側の面には縁に沿って木枠が組まれ、周辺と同じ土が固められていた。丁寧に、雑草までも生い茂っている。そうと知った目で見れば若干の不自然は容易く目に付くが、五年前にはここが壁と壁の間の暗がりであったことを考慮すれば、まず、穴と地面の区別は付かなかったとみてもよい。
 不安定な鉄梯子を下りると、中は冷えた空気とかび臭さが充満していた。
「たいしたものはなかった。もっとも、五年以上前は何か荷物置き場として使われてたみたいだけど」
 何故か得意気に言うアランに感心したような目を向ければ、彼は更に舌の滑りをよくした。
「でも、誰かが寝泊まりした跡がある。それもそんなに前の話じゃない。ここに、法務省の捜査官を殺した奴が潜んでたんじゃない?」
「見たところ何もないようだが?」
「さすが素人だね。いいかい、あんたの立ってる床を見なよ。毒虫が死んでるだろ? 真っ二つになってさ。切り口は鋭利な刃物。人間以外に何が武器構えて虫を殺すってのさ」
 他にも幾つかの根拠をつらつらと述べるアランだが、おそらくは彼ひとりで気づいたことではないだろう。それをして小馬鹿にされているのはどうにも微妙な気分だが、反発して無用な面倒を呼び込むのは下策というものだ。ダグラス同様、周囲を見回しながら適当に相づちを打つ。
 要約すれば、この地下室は人身売買組織が壊滅するより以前に既に使用されなくなっていた場所であるということらしい。絨毯や家具を移動した跡がかろうじて判る程度だが、法務省の手入れが入る前に慌てて運び出したというには仕事が丁寧すぎる、というところから推察される。つまりは、事件を洗い直すという意味では、この発見は無意味に近い。
 せいぜい法務省の捜査官を狙う輩がどこに隠れていたのか、という謎が解けただけとも言えるが、他の建物を捜査している者へ注意喚起ができると思えば多少の価値も見いだせるというものだ。
 そう広くもない空間を一通り見回して上に戻り、クリスは新鮮な空気を求めるべく深呼吸を繰り返した。
「どうでしたか? あなたの視点から、何か判りましたか?」
 ヴェラはむろん、真面目な表情である。何か皮肉な意味で揶揄しているのではなく、本気で意見を聞いているのだろう。
 考え、クリスは思ったままを口にした。


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