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「私にはどうすることもできなくて、人を呼びに行ったんです。そしたらこの方が来てくださったの」
「レスター?」
「私も墓参りだ。本当はもう少し後でもいいんだが、忙しくなりそうだからな」
「そうか。緊急招集がかかったものな」
 同じく私事を優先する者がいたことに、クリスは今更のように安堵した。至極もっともな理由ではあるが、特殊とも言うべき任務に関する事を蹴って良かったのかと若干危惧していのだ。
 どうしても荒くなる息をどうにか整えて見上げた先、僅かに目を見張るレスターに笑い、首を横に振る。意図するところを察し、一度顔をしかめたレスターは、結局ため息を吐いてゆっくりとクリスの体を解放した。
「っと」
「莫迦」
 それ見たことかと短く言い捨て、レスターがクリスの肩を支え起こす。
「無理するな、前のアレと同じなんだろう?」
「そうだと、思う」
「曖昧だな」
「具体的ならとうに医者に相談している」
 違いない、と苦笑するレスターの顔が近い。そうしなければほぼ同じ体格の人間を支えきれないのだと判っていながら、クリスは動揺を抑えられなかった。男への免疫不足と、女誑しというレスターの悪評判に因る過剰反応だ。ほぼ反射的にレスターを振り払い、反動で崩れそうになる膝を叱咤しつつどうにか立ち上がる。
 驚いた顔のレスターはしかし、厚意を無にするようなクリスの態度を可笑しく捉えたようだった。
「妻の前では格好つけたいか?」
「……悪いか?」
「いいや、見上げた根性だ」
 からかいの成分しか含まれていない声だが、その勘違いにクリスは胸をなで下ろす。冗談に乗る形でやり過ごしたクリスは、未だ熱を持つ顔を誤魔化すように汗を拭った。その視界の端にエマが映る。
「あなた、これを……」
 低い位置から差し出されたのは、エマのハンカチだ。遠出というほどの距離でもないため、それ以上に気の利いた物は持ち合わせていなかったのだろう。礼を言い、受け取ろうとしてクリスはふと手を止めた。
 エマの指先が細かく震えている。原因を察し、宥めるべく小さな体を抱き寄せれば、エマは素直に縋り付いてきた。どうにも力の入らない体だが、彼女はそれと比べてもまだ華奢で頼りない。
「心配させた」
 なんとか呼吸を整え、平静の声に近い音を出す。本当の理由を話せないことに若干の苦痛を感じるが、それはクリスの勝手な感傷というものだろう。
「もう大丈夫なのですか?」
「ああ」
 得体の知れない動揺に、保護欲が上書きされていく。ガタイの良い男に支えられるより、守るべき対象を前にする方がクリスの気力は上昇するようである。
 現金だなと苦笑しつつ妻の背を軽く叩き、ゆっくりと体を離す。上から覗き込めば、エマもまた安堵と照れを混ぜたようにはにかんだ。短いやり取りではあったが、いつの間にか手の震えも止まっている。
 エマが落ち着いたのを認め、クリスは首を回してレスターへと顔を向けた。
「レスター、礼が遅くなったが、助かった。ありがとう」
「どういたしまして。しかし、本当に大丈夫か? 入り口の横に休める小屋がある。そこまで行かないか?」
「不要だ。問題ない」
「それなら、無理強いはしないが」
 肩を竦め、レスターはエマの方を見る。
「念のため送っていこうかと思ったが、あなたの夫君は見かけ通り我慢好きの意地っ張りであるようだ」
「……おい」
「それに、可愛らしい妻の方がやはり良いらしい。余計な手を貸すと睨まれそうなので、私は退散させてもらいますよ」
「まぁ」
「レスター」
 低く呼び睨むが、むろん通じる相手ではない。唸るクリスと素知らぬ風に口の端を曲げるレスターを見て、エマはくすくすと笑い声を上げた。そうして、思いついたように顔を上げる。
「あの、よろしければ、我が家にいらしていただけませんか? たいしたおもてなしは出来ませんが……」
「いえ、お気遣いなく」
「けれど、突然助けていただきましたのに」
「礼と考えるなら、不要ですよ。クリスに仕事の面で働いて貰うことにしますから」
 言い、レスターは貸しを作ったとばかりにクリスの肩を手の甲で叩く。
「それに、まだ墓参りの途中ですので。もう少し、ここで用を済ませるつもりです」
「……そう言えば、さっきそう言ってたな」
 続きを目で問うが、レスターはただ頷いただけだった。あまり深入りされたくない様子に、クリスは短く息を吐く。
「そういうわけだ。付いて行ってはやれないから、帰り道は気をつけろ」
「ぬかせ」
「あなた、もう。……あの、本当にありがとうございました」
「いや。おやすいご用でしたよ。それでは」
 エマにむけて端正な礼をとり、レスターは墓地のより奥へと体を向けた。この一帯はなだらかな丘となっているが、高い場所へ行けば行くほど歴史は古くなる。その一帯に墓を持つと言うことは、レスターの一族がそれだけ昔からこの地に住んでいるという証拠なのだろう。由緒ある家柄というものにあまり意味を持たないこの国ではあるが、けして古いものをないがしろにしているわけではない。
 姿勢良く歩くその後ろ姿に、連綿と続くしがらみのようなものを感じ、クリスは知らず目を細めていた。
「あなた」
 エマの手が帰りを促す。クリスの体調不良を思ってのことだろう。僅かに不安の残る目に、本来ならば気遣わなければならない相手なのだと思い出し、クリスは優しく彼女の肩を抱いて踵を返す。
 歩くこと数歩、彼はふと、その背に呼びかける声を響いた。
「クリス!」
 今し方別れたばかりの男の声だ。クリスはエマと顔を見合わせ、そして同時に振り返った。
 表情も判らないほど離れた場所で、レスターがふたりの方を向いている。
「貴重な休暇になる。ゆっくりと休み、調子を整えておいたほうがいい」
 どういうことかとクリスは首を傾げる。だがレスターがそれに応えることはなかった。或いは言うことだけが目的だったのか、そのまま再び奥へと消えていく。
 ――わざわざ、呼び止めてまで言うことだろうか。
 妙な暗示を覚えさせる言葉に、クリスは見えなくなった男に向けて神妙な面持ちで頷いた。


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