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8.


 延々と続く曇天を見上げて、クリスは首の骨を鳴らした。
 季節は秋へと向かい、日に日に暑さは和らいでいる。晴れた日の日中はそれでもまだ汗をかく陽気だが、こうした天気の時や朝晩はそれと判るほどに変化していた。事故からひと月、あの頃はまだ夏の盛りであったと思えば、月日の速さに愕然とせざるを得ない。
「お待たせしました」
 男にしては若干高めの声に、クリスは背後の門に目を向けた。予定の時間にはまだ早いが、他に待つ者がいないとなれば勘違いのしようもない。
 法務省の制服を認め会釈をすれば、相手は少し笑ったようだった。
「法務省の検察局所属、一等捜査官ヨーク・ハウエルです。よろしく」
 多少の驚きとともに間を空けたクリスを押しのけて、胡乱気な視線を向けたのはアランである。我に返ったクリスが止める間もない。もとからして好意的にはほど遠いアランの態度が、不審という名の冷気を帯びた。
「……ハウエル?」
 言葉の途中から、クリスは無言で天を仰ぐ。
「何を企んでんだい?」
「おや、名乗る前に詰問ですか?」
 対する男は動揺もなく、笑顔を浮かべたまま少し首を傾げてみせた。
「財務省の秘蔵っ子が礼儀知らずとは知りませんでした。初歩的な情報不足ですね、申し訳ありません。以後態度を改めますのでご容赦下さい」
 わざとらしさの欠片もない、教本に載るような完璧な敬礼。アランは顔を真っ赤にし、クリスは背筋を凍らせた。そうして、綺麗に整えられた灰色の髪が目の前を上がっていく間に低く唸る。
(どうしてこうも、厄介事ばっかり!)
 今回に至っては、それを押しつけられたと言ったほうが早いだろう。
 改めてバジル・キーツが招集した会議で与えられた初任務は、人身売買組織のかつての重要拠点を捜査する者の補佐、つまりは護衛兼助手という内容だった。
 単純に役割遂行だけを考えれば、捜査時の基本形態である法務省の捜査官二名に加え、周囲を警戒する助手役をひとりふたり配置すれば事足りる。だがそれを成すには法務省に人員的な余裕がないというのが現状だ。今回の件に関して言えば、護身術程度しかおさめていない若手を起用できないのも一因している。
 緊急時は上級捜査官の権限で公安局に所属する者を連れ出すことも可能だが、それはあくまでも相応に切迫した状況あってのことだ。軍部は基本、他部署への個人的な護衛等の派遣は行っていない。法の定めるところ、通常の巡回における警戒レベルを上げ、救援要請があったときに対処できる体勢を取るというのが最大限の援助となる。つまり、捜査官の権限により軍人の支援及び強制出動が可能となるのはあくまで緊急時であり、予定任務に関することは部署内の戦闘要員で対処に当たれということだ。
 むろん財務省との関係も同じく、要は権力の集中及び癒着防止の為の措置であるが、今回ばかりはそれが弊害となっている、と言うべきだろう。
 その枠を取り払い、相互援助を特別に許可されるのが「特捜隊」であり、それぞれの部署の特技を持ってして対応に当たることが出来る。故にこの展開ははじめに集められたときよりクリスも想定していたことであり、最も有効に使うことの出来る任務であるには違いない。
 だが、
(何の嫌がらせ!? どういう組み合わせ!?)
 よりにもよって最重要地点への派遣、更にはペアとなるのがアラン・ユーイングという二重苦とはどういうことか。否、今や現れた人物の為に三重苦に昇格してしまった。
 内心で罵りながらもアランを牽制し、クリスは含みのある笑顔を浮かべる人物に向き直る。一癖も二癖もありそうな男だが、とりあえず今のところ彼に非はない。言い訳無用とばかりに、クリスはアランに謝罪をさせるべく、半ば強引に後頭部を押さえつけた。
「失礼。私は軍の歩兵師団所属、クリストファー・レイ。連れの無礼については申し訳ない」
 言い、自身も深々と腰を折る。
「ご存じのようだが、こちらは財務省所属のアラン・ユーイング。本日は二名で当たらせていただくこととなった」
「そのようですね。よろしくお願いします」
「捜査の専門はそちらにある。基本的な行動は任せてもよろしいか?」
「構いませんよ。余計な手出しをされるほうが支障を来しますから」
 あからさまな邪魔者扱いだが、クリスは肩を竦めてやり過ごした。専属の護衛や同職種のベテランであるならまだしも、あれこれと口出す権利を持った部外者の同伴というのは面倒以外のなにものでもない。法務省としても重要な捜査場所であるだけに、護衛は必要と重々理解しつつも、今回の横やりは舌打ち程度では済まないものだっただろう。同行を拒まなかったのは、あくまで特捜隊が持つ権限に逆らえなかったからに違いない。或いは発足人である財務長官の顔を立てたと見るべきか。
 だんだんと思考が斜め下に下がっていくのを感じ、クリスは緩く頭振った。歓迎されようとされまいと、己の職務を全うするのみ、と発破をかける。クリストファーであればおそらく、他人の思惑など気にせずに、正しいと思ったことを貫くに違いない。むろん、それが良いか悪いかはともかくとして。
 心中で気合いを入れ直し、クリスはヨークに向き直った。
「今日の予定は?」
「馬車で現地に向かいます。そう遠くはないとは言え、日帰りでは時間のロスが大きすぎますので宿泊先も手配しています。準備はしてありますね?」
「無論だ」
「結構。では、早速向かいましょう」
 言い、ヨークは門の奥へと手を挙げた。それに呼応して、車輪の音が響く。ほどなくして現れたのは、二頭立ての簡素な幌馬車だった。素っ気ない車体だが、快適性よりも機能性に特化した特徴あるフォルムは間違いなく法務省のものだ。
「目立つな」
「ええ。ですが、それも目的のひとつでしょう?」
 当然のように応えるヨークにアランが舌を打つ。
「法務省ではこの一週間に捜査を飛躍的に進めるつもりです。せいぜい、いい囮にならないと」
「捜査の方がメインだろう」
「ええ。ですが、折角あなたがたが来てくださったのですから、こそこそと調べても意味ありませんしね」
 捜査よりもむしろ、捕り物になる方を期待しているような口調である。
「まぁ、とりあえずは目的地へ向かいましょう」
 目の前に止まった馬車を小突き、ヨークはふたりを促した。確かに、捜査の遙か手前で立ち止まっている場合ではない。それぞれに言いたいことはあるにしろ、移動しながらでも十分に可能なことだ。
 ふて腐れたままのアランを強引に車内に押し入れ、クリスもステップに足をかける。後部から乗り込むごく一般的な型であるが、乗り込みながらふと、クリスは小さな違和感を覚えた。
「どうしました?」
 足を止めたクリスに、ヨークが問う。
「狭いので椅子などはありませんから。適当に腰を下ろしていただいて構いませんよ」
「いや、そうではなく」


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