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 首を傾げて中を見回し、クリスはああ、と頷いた。
「そういえばあの馬車は、珍しく横から乗り入れるタイプだったと思ってな」
「あの馬車? ……ああ、事故で大破したあれですね」
 大した情報量もない言葉から正確な事実を導き出したということは、ヨークもクリスが事故の被害者であると知っているということだろう。事故に関連した一連の事件を追う捜査官であるからには当然と言うべきか。
「あれは確かに法務省のものですが、普通の送迎にも使われるものでしたので、横に扉が付いていました。……行きましょう。進めてください」
 最後に入ったヨークが巻き上げられていた厚い布を下ろし、馭者に声をかける。応答はなかったが、それがいつものことであるように、ゆっくりと車は進み出した。
 御者台との間も粗い織りの布で仕切られているため、全体的に中は暗い。男三人が座れば足も伸ばせない状態だが、衝撃吸収用の布や綿、クッションが乱雑に積まれているため、それらを利用すれば椅子代わりにはなりそうであった。
「変わった馬車だ」
「そうですね。相手が隠す物を捜す際にもそれを運び出す際にも危険はつきものですから、襲撃を受けたときのために全面覆う造りになっています。頑丈に且つ重さを軽くするために、こんな内部になってしまってますけどね」
「何故、”物証”を運んでいた馬車はこれを使わなかったんだ?」
「利用した者が亡くなっている今では推測でしかありませんが、おそらくは御者台が完全に外になるから、そして中からは周囲が殆ど見えないからだと思います」
「そう言えば、捜査官が操っていたわけではなかったか」
「はい。馬車が手配されたのは王都から南西に伸びる街道にある街の法務省関連の支部でのことです。あの辺りでは結構大きな支部で、夜にも係員が常駐しています」
 領主が自治権を持つ地方は例外として、基本的に国民の全ては王都で管理されている。しかしそこへ最終的な報告がなされるまでのことは、各地方の担当官が取り仕切っているというのがこの国の大まかな仕組みだ。その担当官が居る場所には法務省を初めとして軍部や財務省の支部が存在し、王都から離れた場所にいる国民達はそこを利用することとなっている。
 助けを求める場所としては妥当な場所と言えるだろう。
 「そこでの情報ですが、手に持てる程度の箱を抱え、腕と足に怪我をしていたようです。なので、馬を走らせるのは無理だったのでしょう。馭者を務めたのは法務省の職員ではありますが、ただの事務員だったそうで、『敵』が存在する中で外を完全に任せるには不安だったのでは、との意見が妥当なところです。夜番の責任者と直接交渉することなく強引に人手と馬車を借りたとのことで、……関係者全員が亡くなったために詳細が判らないというところが困ったところですね」
 馬車の中を見回し、クリスは成る程と頷いた。飛び道具による襲撃への耐性はあるが、確かにこれでは外が殆ど伺えない。安全と引き替えに安心を放り投げるようなものだ。怪我をしていたが故の苦渋の決断といったところなのだろう。
「しかし何故、亡くなった捜査官は、そこまで自分たちだけで運ぶということに執着したのだろうな」
「それは、判りません。当事者がふたりとも亡くなっていますから」
 ただ、とヨークは顎を撫でる。
「誰も信用ができないという状況に追い詰められていた、と仮説を立てることはできます。もしかすると、行方不明になっている”物証”がキーなのかもしれません」
 しばしの沈黙。
 一旦話の流れが途切れたのを確認してか、ヨークがわざとらしく咳払いをした。
「さて、それでは少し時間もあることですし、あなたがたの疑問に先に答えておきますね」
 律儀と取るか皮肉と取るか、判別しにくい表情である。
「名は……名乗りましたね。ご想像通り、法務長官セス・ハウエルの息子です」
 正直なところ、髪の色以外に父親との共通点を見いだすことのできない男であるが、志す箇所が同じということか。
「とは言え、三男坊で家督を継ぐなどといった甲斐性はありませんので、普段のお付き合いは父親とは切り離して考えて貰うようにお願いしています」
「お父上と同じ道を進まれているようだが、継ぐ意志はないと?」
「そうですね。この道を選んだのは父の影響でしょう。ですが、優遇などは一切受けておりません。仕事も、父の関わったものには基本立ち入らせてすらもらえませんから」
「今回は特別、と?」
「ええ。この人手不足ですから。父も未だ復帰できませんし」
 セス・ハウエルが凶刃に倒れて二十日ほどとなる。事件当初は意識不明の重体とのことだったが、今は全くと言っていいほど状況が伝わってこない。徹底的に規制が加えられているのは当然というべきだが、快方に向かっているのを敵に隠すためか、絶望へ向かっているのを誤魔化すためか、――何の音沙汰もないことに国民の不安は拭われずにいる。
「法務省はネコの手も借りたい状態なのですよ。ああ、いえ、けしてあなた方がそうだとは言いませんよ。私のことです」
 とってつけたような言葉だと思いつつもクリスは、これからの仕事の関係を思い賢明にも頷くだけに止めておいた。だがもうひとり、微妙に空気の読めないアランが、その思惑を台無しにするように鼻を鳴らす。
「はっ、そんな奴に重要拠点を任されるわけないだろ? しかも普通ならふたりのところをひとりで、だ」
「ひとり? 馭者をしている彼が相方だろう?」
「挨拶ひとつしない奴が、か?」
 指摘に、クリスは顎を引く。
「まぁ、相方には違いないだろうさ。捜査に加わらないが移動役、連絡役、その他のサポート役。違うか?」
「おや、案外よく見ているのですね」
 舗装が粗くなったのか、ヨークの言葉が揺れる。その皮肉には乗らず、アランは冷静な意見を吐き出した。
「法務省の捜査官は任務に合わせたふたり一組が基本だろうが、その場合、お互いはキャリアに関係なく基本は対等のはずだろ。なのにあんたは、あからさまにあいつを『使ってる』感じがした。それだけならただの運転役ですむけど、そんな使いっ走り程度に外は任せられないって言うなら、それよりは格上なんだろうさ」
 さほど難しい推測ではないが、腐れた様子を見せながらも観察を怠らないところは感心に値するだろう。口に出して言うと怒るだろうなと思いつつ、クリスはそこに至らなかった自分を恥じた。
「まぁ、そう怒らないでください」
「怒ってない。疑っているだけだ。あんたが不審すぎるから」
 交渉術もなにもあったものではない率直な科白に、ヨークは苦笑したようだった。案外この手の組み合わせは、関係を貫けばいいコンビになるのではないかとクリスは思う。だがさすがにそれを口にすることはなく、彼は答えを促すようにヨークに向けて目を細めた。
「ちゃんと説明しますよ」
「回りくどいことは好まない。要するに今から向かう場所は、本来再捜査の対象ではないということか?」
「なんだ、説明なんて要らないんじゃないですか?」
 ほぼ同時にアランとクリスは冷めた目を向ける。
「……あなたがたの予測の補填になりますが。確かに、捜査という意味で期待は殆どされてません。なにせ拠点としては重要なだけに調べ尽くされていますから。正直、あまり注目されずにいた拠点の方が、五年前になおざりな捜査をされた可能性が高いとして法務省は重要視しています。ですので、私たちの向かう場所での捜査は形だけ、です。極端に言えば、捜査しているふり、を大真面目にするわけです。言ってみれば囮ですね。これが私ひとりが派遣された理由のひとつです」


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