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 どうにも不穏な空気が流れ始めたふたりの間に、ヨークが慣れたように割って入る。
「上品でも下品でも構いませんが、無能なのは勘弁ですよ」
 あまりと言えばあまりな言いようだが、彼は別段皮肉っているわけではない。クリスとアランが「それ」に気づいているかの確認だ。
 口の端を曲げて、前を向いたままアランが鼻で嗤う。
「ふたり、だろ」
「そうですか。それは良かった」
「で、撒くのか?」
「いいえ、当たりか外れかは判りません。どのみち、当たりだった場合、撒いたところで無駄です。このまま様子を見ましょう」
 人混みを抜けたあたりから、三人の後ろを付かず離れず追ってくる者が居る。あからさまに法務省の看板を背負ったヨークと、如何にも軍人というようなクリスがいるのだ。どこにでも居る掏摸や引ったくり等の、所謂ただの小悪党ではないだろう。だがおそらくは、彼らはただの先兵だ。容易に気づかれる程度の技術しかもたないレベルで、訓練を受けた捜査官をどうにかできるとは思えない。
 つまり、彼らを捕まえたところで意味はない。そうしたヨークの判断に頷き、クリスはふと浮かんだ疑問を口にした。
「着いてからは? 三人で行動するのか?」
「べったりついて回る必要はありませんが、そうですね、互いの姿が確認できる範囲で自由行動というのはどうでしょう」
「ではそれで」
 言っている間に、目的地は目の前に迫っていた。ヨークが具体的に指し示したわけではないが、言われるまでもなくそうと判る一角である。高級住宅街にありがちな静けさとも一線を画した、妙な雰囲気が周囲に漂っていると言うべきか。
 いわばそれは、「荒廃した」と表現すべきものなのだろう。サムエル地方で放置されていた屋敷とは違い、建物の外観に目立った損壊はない。だが、内部の調査や捜査のために庭は全て更地同然に剥かれ、徹底的に装飾の外された豪邸は、人が住まぬという域を超えた寂れ方をしていた。
 錆び付いた門を抜け、ヨークが正面の扉の開ける。元から設えらえていたのに加え、明らかにふたつみっつ加えられた錠は、安易な侵入者を警戒してのことだろう。
 鈍い音に迎えられながら踏み入れた玄関ホールは、久々に吹き込んだ新鮮な空気に埃を舞い上がらせていた。床はうっすらと白い。
「最後に調査の手が入ったのは二年前ですので」
 咳き込むクリスを横目に、ハンカチを口に当てたヨークがくぐもった声で言う。先に断って欲しかったというのは、果たしてクリスの甘えか。
 若干湿ったクリスの目線と恨みがましいアランの表情を後ろに、唐突に振り返ったヨークはにこやかに宣言した。
「ようこそ、メイヤーハウスへ」
「メイヤーハウス?」
「そうです。ここの通称です。ブラム・メイヤーの名義で購入された、いえ、建設された建物ですので」
 名前を聞き、クリスは首を傾げた。どこかで聞いたことがある。どちらかと言えば、クリスティンの記憶だ。
 思い探れば、高名な建築家に行き当たった。
「王宮の増築部分の建設にも関わっていなかったか?」
「よくご存じで。その通りです」
 あっさりと頷くヨークに、アランが不審気に片方の眉を上げる。
「おいおい、大丈夫かよ。そんな奴に王宮を出入りさせて」
「ご心配なく。さすがに建築の間はずっと兵が見張りをしていましたよ。それに、この家のことが明るみに出てから、増築部分の設計図から現物から、何から何まで手入れを行っていますが、特に不審な仕掛けなどは一切ありませんでした。彼が関わって名を売った多くの建築物に関しても同様です」
「ということは、無理矢理この建物を?」
「判りません。ブラム・メイヤーは五年前の騒動の前に病死しています。弟子が……失礼、名前は判りませんが、そういった者も居たそうですが、それよりもかなり前に縁が切れているようですので無関係でしょう。とりあえず重要なのは誰が作ったかというよりも、どういう造りになっているか、です」
 器用に片目を瞑り、ヨークはふたりを中へと誘導する。
「まず、この建物は表の顔と裏の顔を持っていることを覚えておいてください」

 *

 人身売買と言えば、年若い女を被害者とするもの、という連想をするのが一般的だろう。国が奴隷制度を廃止している以上、頑健な男を裏で取引し手に入れたところで、そうそう表だって働かせるわけにはいかないからだ。だが実際は、男女の割合は半々、否、むしろ男の方が多いという資料が存在する。
「ようするに、国外で強制労働に使われるケースがあるという事です。あと、傭兵団に男の子供を売りつけたり、といったところですね」
 どちらにせよ、胸の悪くなるような話である。
 至極まともな「金持ちの家」にしか見えない一階部分を巡回した三人は、一時間後、さしたる収穫もないまま地下部分へと探索の手を伸ばしていた。
「ここは、地下の競売室だったという話です」
 鈍い音を立てて開いた扉の向こうでは、凝った造りの椅子が半円状に配置されている。正面、一段高くなった部分に設えられているのは、部屋の半分ほども占める舞台だ。中へ入り充分に時間をかけて見回したところで、音響を考えて作られた瀟洒な娯楽室、としか捉えようがない。
「確かにオークションを開催するのは可能だと思うが」
 呟けば、ヨークはくすりと笑みを浮かべた。
「だが、裏の顔があるんだろう?」
「その通りです。そうですね、おふたりは舞台の真ん中に立っていてください」
 案内を促せば、ヨークは舞台袖へと進んだ。そしてその陰に隠れた急階段を昇り、一階部分にある控え室へと姿を消した。既に調査済みのその室に、特におかしな処はなかったとクリスは首を傾げる。アランはと見れば、彼はヨークの姿を追うこともなく、じっと床を見つめていた。
 どうした、と声をかける直前。
「……何?」
 反響する耳障りな音に眉を顰め、クリスは天井睨んだ。そうして、数秒後に息を呑む。
 巻き上げられた緞帳のすぐ脇から、鉄格子が落ちてきている。それは真っ直ぐに部屋を割り、舞台の外すれすれに足を下ろして停止した。段差があるため、観客席から見れば床との間に拳ひとつぶんほどある隙間も、舞台からは全く窺うことができない造りとなっている。
「莫迦な」
 舞台という名の檻に完全に収監されたクリスは、小さく呻き声を上げた。その側で、アランが皮肉っぽい笑みを浮かべている。
「台の側面に、僅かだけど縦に擦れた痕があった。気づかなかったのかい?」
「面目ない」
「注意力不足だね」
 言うアランの口端は上に吊り上がっているが、目は厳しい色を宿している。呆れと怒りを混ぜたような妙な表情だ。むろん、クリスに向けられているものではない。よくぞここまでろくでもないことに金と労力と技術を注ぎ込めたものだという、謂わば侮蔑の顔だ。


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